第86話 お疲れ様
デュポン暦2023年10月
日が沈み、真っ暗な部屋の中で、呆然とエミリアはソファーに座っていた。
『もう魔法を唱えられません』
ヴォルフ医師の言葉を反芻した。
そして、ローテーブルの上に置いてあるリパロヴィナの歴史書に目を落とす。駐屯地内の図書館から借りてきたものだ。
イザベラ・フォーサイス。100年前の戦争で活躍した金色の魔法を使う女性。膨大な魔力を持っていたが23歳で急死。人間が一生の内で使用できる全ての魔力を使いきり死亡したのではないか、と記載されていた。エミリアは今22歳。来月23歳になる。
体が震え、寒気がする。
ふと時計を見ると夜9時を回っていた。
明日の準備をしないと。エミリアは体を動かすがすぐに立ち止まった。
明日は来るのだろうか。イザベラは朝ベッドの上で死んでいたらしい。
部屋の扉がノックされる。
「エミリア……、起きてるか」
ルイスの声だ。しかし今はとても顔を合わせられない。
エミリアは急いでソファーに横になり、寝たふりをした。
「仕事が長引いて遅くなった……」
暗い部屋の中、ルイスがダイニングテーブルに物を置く音がする。きっと食べ物を持ってきてくれたのだろう。ソファーはダイニングテーブルに背を向けて配置されている為、エミリアからはルイスが見えない。このまま帰ってほしい。エミリアは膝掛けで顔を隠して、うずくまった。
ルイスの足音が近づいてくる。無様な姿を見せたくないという気持ちと、他の気持ちが入り混ざる。
「……朝まで回復魔法しといてやるから、安心して寝ろ」
ルイスが横になっているエミリアの腕にそっと触れ、回復魔法を唱えた。
いつのまにかルイスは回復魔法の短縮詠唱ができるようになっていた。
エミリアは、ルイスにバレないよう声を押し殺して泣いた。
翌朝、太陽の光でエミリアは目を覚ました。
腕に違和感を感じ、目線を下げると、そこにはルイスがいた。ルイスはエミリアの腕を掴んだまま、ソファーの縁に頭を乗せてうつ伏せで寝ている。ずっと回復魔法をかけてくれていたのだろう。ルイスも魔人との戦闘後で疲れているだろうに。
エミリアの頬から涙が伝った。濡れた顔を拭き、エミリアはそっとルイスに声を掛けた。
「先輩、朝ですよ」
ルイスはハッと顔を上げて目覚めた。
「もうすぐ6時ですよ」
エミリアはなるべく平常心を装って声を出した。
ルイスはエミリアの腕、顔を見て、スッと立ち上がった。
「……体調は?」
「大丈夫ですよ」
エミリアは自身も体を起こした。
「暫くは有給休暇使って休んでおけ」
「分かりました……ありがとうございます」
ルイスは部屋を出る直前、ピタリと止まりエミリアへ振り返った。
「あまり考えすぎるなよ。エミリアとイザベラは違う」
「はい」
エミリアは軍の訓練場の一角にある、花がたくさん咲いている場所のベンチに座って休んだ。花を見てると気分が安らいだ。しかし、手の痺れは依然残っている。魔力回復薬はやはり効いてないようだ。
『やっぱりお前をパートナーにするんじゃなかった』
魔人との戦いの前にルイスが言った言葉を思い出す。
魔法が使えなくなって、正直ルイスは安心しているかもしれないとエミリアは思った。パートナーになって2年半。必要とされる事はなかったのだろうか。
2、3日エミリアは、ぼうっとお気に入りの花畑のベンチに座って過ごした。
魔人の出現で軍全体が忙しくなっていた。ルイスも毎日帰りが遅い。エミリア1人だけが取り残されている気分だった。
「調子はどう?」
アイリーンが、花畑のベンチに座るエミリアの元にやってきた。
「アイリーンさん……」
「よく知らないけど、しばらく休むみたいね」
「すみません、皆さん忙しいのに」
「別に。忙しいのはいつもの事だし。座っていい?」
「はい」
エミリアは、お尻を少し横にずらした。
「私、曹長に昇進が決まったの」
「え! おめでとうございます!!」
「ありがとう。自分で言うのもなんだけど、かなりスピーディな出世よ」
「すごいですね!!」
エミリアは祝福の気持ちで一杯になった。
「春からルイス班を抜けて、どこかの隊の班長になるわ」
「え……」
「魔力ではあんたに敵わないけど、私にしか出来ないことってあるはずだから、私は私らしく戦って、さらに上を目指すわ。……まあ、そんな報告は置いといて、何が言いたかったかって言うと、魔人から守ってくれてありがとう」
アイリーンがエミリアを見て笑った。
エミリアは少し頰を赤らめた。
「あの時のあんた格好良かったわよ」
「ありがとうございます」
エミリアは少し俯きがちに礼を言った。
「早く元気になりなさいよ!」
そう言って、エミリアの肩を叩きアイリーンは立ち去った。
アイリーンさんは格好良い。
これからも一緒に働きたい。
働きたかった。
「お疲れ様です」
翌日の夜8時、エミリアは本部大隊長室を訪れた。
ここに来るのは久々な気分だ。
「今日も残業ですか」
椅子に座り、仕事をしているルイスに話しかけた。
「そう。……お前、出歩いて大丈夫なのか?」
ルイスはペンを持ったまま怪訝な顔をエミリアに向けた。
「なんだかすっかり元気になったようです」
エミリアはヘラっとぎこちなく笑った。唇が震える。
エミリアの様子を見て、ルイスは困惑の表情を浮かべた。
「……仕事が終わったらお時間頂いて宜しいですか?」
「もう終わる」
ルイスは机の上を片付け始めた。
ルイスからソファーに座るよう指示され、来客用ソファーに座った。緊張で体が強張る。しばらくしてルイスが向かい側のソファーに座った。
「痺れ、なくなりました」
エミリアは少し声を震わせながら、ルイスに伝える。
「よかった」
そう言いながらルイスはピクリとも笑わない。
「……この数日間、寝てばかりいたので、回復できたのかもしれません」
エミリアはまた俯いて話す。
「そうか」
「……でももう第1箒兵部隊にいる事はできないですよね。……もう魔法は使えないですもんね」
沈黙の後に、ルイスが口を開いた。
「…………俺もそう思う」
エミリアは自分の足元を見つめたまま、拳をぎゅっと握りしめた。
そして気持ちを軽く整えてから、ルイスをしっかりと見て言葉を発した。
「先輩、私、軍人辞めます」
ルイスは目を大きく見開いた。
「何も、辞めなくても……」
ルイスが引き止めてくれるなんて、エミリアは思ってもいなかった。
「通信科とか魔法を使わない科もあるよ」
「通信科の仕事は私には高度すぎて、出来る気がしません。向いてないと思います」
「そうかもな」
「でしょ」
「補給部隊、処理部隊も、違う気がして。もともと回復魔法を使用して兵を助ける為に働こうと思って入隊しましたし」
「………そう、か」
「はい……」
お互いに下を向いて話した。
「正直、そうなるのかもな、とは思っていた」
ルイスがゆっくりと、ぎこちなく言った。エミリアは視界が滲んできた。
「すみません……」
「就職先、斡旋してやるから、今はまだ休んでおけ」
「はい……」
これで、先輩との関係が終わる。
エミリアはソファから立ち上がり、深々とお辞儀をした。
「今まで、大変、お世話になりました」
涙を堪えながら、ゆっくりと思いを込めてエミリアが言った。
ルイスもソファから立ち上がる。
「お疲れ様……」
ぼそりと一言だけ言った。
なんとも先輩らしい、とエミリアは思った。
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