第84話 (注意:残酷描写あり) 魔人レラジェとの戦い

 デュポン暦2023年10月


 朝。エミリアはルイスの箒へ跨り、二人で担当区域の巡回を行った。ルイスと何を喋れば良いのか分からない。エミリアは胸が痛くなるばかりだった。


「先輩の事なんかなんとも思ってないですよ」とでも言ったら、元の関係に戻れるのだろうか。でも、平然とそんな事は言えない。



 そんな中、ふとルイスの箒が静止した。

 そして、ゆっくりと下降を始め、林の中に降りた。


 何があったのだろうか。エミリアが不思議に思っていると、ルイスがエミリアを木と自分の間に挟んだ。


「は!?」


 エミリアが頓狂な声を上げると、ルイスが「静かに」と合図をした。

 エミリアの背中には大木、ルイスと至近距離で向かい合う形で、エミリアの血圧は一気に上昇した。

 しかし、エミリアがルイスを見ると、いたって真面目な仕事の顔だった。

 視線はエミリアではなく、空へと向けられている。

 ルイスは、左手を大木に置いたまま、右手で自分の襟元の通信機を起動させた。


「魔人が現れた……至急対策会議を」


 魔人……?


 エミリアはふとルイスの視線の先を辿る。

 ルイスの腕と木に挟まれていてよくは見えないが、黒いモンスターが複数空を飛んでいるのを確認した。


「魔人1匹とワイバーン6匹が周遊しています」

『確かに魔人なのかね!』

「……魔人の要件を全て満たしています。異界大全のレラジェに似ています」


 異常事態。通信機から沢山の声が聞こえてくる。

「偵察部隊が到着するまで、私が追跡します」

 そう言ったルイスの声は緊張感に溢れていた。

 通信機を切り、ルイスはハァとため息をついた。


「お前はここで待機」


「……は?」


「ここで援軍を待て」


「何言ってるんですか……? 私も行きますよ!」


「命令だ」


「私は先輩のパートナーです!」


「うるせー! 俺の命令が聞けねぇなら今すぐクビだ! 」


 エミリアは一瞬頭が真っ白になった。


「……は? 何言ってるんですか!? そんなの許されませんよ!」


「お前が怖じけずいたと言えばいいだけの話だ」


「ほんと何言ってるんですか……!」


 エミリアは必死に訴えるが、ルイスには響かない。


「もう行く」

 ルイスがエミリアから顔をそむき、箒に視線を向けた。


 置いていかれる。そう思ったエミリアは、走って、ルイスより先にルイスの箒を手に取った。そして急いで恋人ベルトを起動し、起動装置自体は森の中へと投げ入れた。


「お前!」


 ルイスの怒り声にエミリアは箒をぎゅっと握りしめた。


「私は先輩の盾です。私より先に先輩は死なせません」


 エミリアはしっかりとルイスを見て言った。

 ルイスは顔を曇らせた。


「……やっぱり、お前をパートナーにするんじゃなかった」


 そう言って、ルイスが箒に跨った。

 エミリアは全身が冷たくなるのを感じながら、唇をぎゅっと噛み、ルイスの後ろへ乗った。


 ルイスは、ゆっくりと箒を浮上させ、魔人にバレないように低く低く飛んだ。


「……演習で学んでいると思うが、魔人は人間を遥かに超越した力を持つ存在だ。アジリタの時は、殆どの人間が、魔人と目が合っただけで倒れたり、精神が崩壊した。どういうつもりで奴らが人間界にやってくるのか分からないが、何もしないならこのまま帰ってもらいたい。……もし街へ向かうようなら、軍隊総出で全力で阻止する事になる」


「はい」


 魔人の能力は未知数。以前、アジリタに現れた時は、軍人が駆けつける時間もなく、ものの数分で沢山の人間が犠牲になったと言われている。


 遠くの空に魔人とワイバーンが飛んでいる。ワイバーンは、ドラゴンのような頭に大きな翼が生えたS級モンスターだ。それが6体もいる。

 そして、それらを従えるように中央を飛んでいるのは、レラジェと呼ばれた魔人。

 人間のような上半身と馬のような下半身を持っていた。



 エミリアは訓練生時代、ロミオ教官が教壇に立ち、講義してくれた事を思い出した。


「魔物は本来、魔界の生き物である。それがどうして人間界に現れるか。魔界と人間界の狭間に歪みが出来た時に現れると言う。歪みは自然現象で発生するという説と、作為的なものがあるという説がある。魔界ではモンスターが繁殖し過ぎて手狭になっており、人間界に移り、瘴気で満ち溢れた環境をつくりたいのではというのが現在の見解だ。ダンジョン出現はその例と言われている。我々の仕事は、地上にいるモンスターの繁殖を抑え、見つけ次第殲滅させる事……」



『――目標がアガタ平野に入るならば作戦を実行する!』

 ルイスの通信機からアンドリュー中将の声。

 魔人がアガタ平野を越えて、市街地シルドを襲うことを懸念しての判断だ。


 偵察部隊が到着し、魔人の尾行をバトンタッチ。エミリアとルイスは司令部より伝えられた作戦計画に沿って、急ぎアガタ平野へと向かった。


 ルイスの背中から緊張感が伝わってくる。

 流石の先輩でも魔人は怖いのかな。でも周りに悟られるのは大隊長として不味いのでは? エミリアはルイスの箒の後ろから、そっと話しかけた。


「大丈夫ですよ、私がいますから……」


 少し間を置いてから、ルイスが目を細めて顔だけエミリアに振り向いた。


「……お前に心配されたら終わりだな」


 いつもらしい声色だ。



 市街地シルドから60キロ離れたアガタ平野には、すでに箒兵6大隊と衛生隊が集結しつつあった。ルイスとエミリアが現場に到着するなり、第1箒兵大隊が敬礼で迎える。


 作戦は、箒兵部隊3大隊がワイバーン6体を1匹ずつに引き離して個別に撃破する事。魔人はエミリア達第1箒兵大隊を含む3大隊が対峙する事に決まった。


 第1箒兵大隊の先頭で、ルイスが大きな声を出す。

「先陣である第2箒兵大隊が、魔人を孤立させ円球の陣で取り囲んだら、次は我々の番だ! 第2箒兵大隊に続き、円球の陣をとり、順に魔法攻撃! 魔人の息の根を止めろ!」


 そして呼吸を整えてルイスは再度口を開いた。

「いいか! 絶対死ぬな!」


 第1箒兵大隊の隊員達が大声を出して返事をする。


 ルイスがカーターとディランに振り返った。


「攻撃魔法を唱えたらすぐに魔人から距離をとり、陣列の最後尾に着くことを徹底」


「はい!」


 カーターとディランが大きな声で返事をする。


「アイリーンは防御魔法に徹して、クリスから離れない事」


「はい!」


 アイリーンが白い顔をルイスに向けて返事をする。


「クリスはアイリーンの指示をよく聞く事」


「はい」


「……それと、魔人の目を見るなよ。失神するかもしれないから」


「え、僕だけ、そんな指示ですか」


 クリスが目を見開く。


「なんとなく、一番倒れそうだから」


「酷いですよ!」


「嘘だよ、頼りにしてる」


「隊長〜!」


 ルイス班に少しだけ笑みがこぼれる。


 そして最後にルイスがエミリアに振り向いた。ルイスの笑顔がパッと消える。


「エミリアは、防御魔法。回復は地上にいる衛生隊が行うので不要だ。一番優先して防御魔法をかけるのは、エミリア自身と俺。次に班員だ。ルイス班以外の兵士のサポートはするな。いいな」


「はい……」


 命令を守らなければ今すぐクビだ、と言いかねない雰囲気だ。冷たい顔を向けられ、エミリアは胸が痛くなった。すると、ルイスが頭をポンと叩いた。エミリアには全くルイスの行為の意味が分からない。



 第1箒兵大隊の隊員達は、全員不可視化魔法を使用し、姿を消し、息を潜める。

 第2箒兵大隊も近くにいるはずだが、魔人にバレないように潜んでいる。

 異様な静けさにエミリアは汗が垂れた。


 遠くの空に黒色の物体が複数現れる。先程見た魔人とワイバーン6匹だ。

 エミリアの緊張は極限に達した。


 戦闘の合図を知らせる魔法煙が発射された。

 瞬間、箒兵部隊の先発隊が姿を現し、一斉に魔人とワイバーンへと向かって行った。ワイバーンを魔人から引き離し、1匹ずつに孤立させるのは非常に難しい作戦だ。エミリアはただただ作戦の成功を祈った。


 ワイバーンが1匹、2匹と魔人から離れて、箒兵部隊を追っていく。

 さらに潜んでいた箒兵部隊が姿を現し、魔人の近くにいるワイバーンに攻撃を食らわした。上級魔法の連打。


 ほんの一瞬の出来事だった。

 空が広範囲に光り、ドンッという轟音が鳴り響き、大きな雷が攻撃中の箒兵部隊を襲った。雷は大地まで届き、平野が広範囲で焼け野原になった。


 魔人から少し離れた位置で見ていたエミリアは、「あ……!」と声を漏らし、口もとを両手で覆った。箒兵達がばらばらと地面へ落ちていく。

「あっ……あっ……」

 エミリアは声を震わせながら、その状況を見つめた。

 エミリアの目の前にいるルイスは動かない。


 次々に箒兵部隊が現れて、ワイバーンと魔人に立ち向かう。そして虫けらのように倒されていく。先発隊は4大隊だが、どのくらいの兵がやられたのだろうか。

 魔人が一撃攻撃魔法を放っただけで、多くの兵士が落ちていく。一方、魔人には攻撃があまり当たってないように思える。


「先輩……!」

 エミリアは堪えきれず声を漏らした。


「……まだだ」

 ルイスが低い声で静かに言った。


 落ちて行った兵士は無事だろうか。箒から落ちた際、落下防止の浮遊魔法が箒に機能するらしいが、もし地面に直接激突したら死んでしまう。


 エミリア達第1箒兵大隊は見守るしかなく待機していた。

 徐々にワイバーンが魔人から離されていく。魔人を第2箒兵大隊が、球体の陣で取り囲む。攻撃魔法の連打。このまま仕留められるか? とエミリアは兵士達の無事を願ったが、陣が崩れ始める。魔人が瞬時に動き、兵を次々に襲っている。


『第1箒兵大隊、攻撃準備!』


 ルイスが通信機を通して声を発した。


『攻撃開始!』


 ルイス達は、魔人と戦う第2箒兵大隊の元へ、猛スピードで箒を飛ばした。

 どんどん魔人に近づいていき、エミリアは初めて魔人を間近で見た。


 異形な存在。目を合わすと飲み込まれてしまいそうだ。人間のような体つきをしているが、下半身は馬。緑色の皮膚に緑色の衣服を纏っている。


「Inferno!」

 開始早々、ルイスは炎属性の上級魔法を唱え、魔人へ的中させた。

 そしてすぐに魔人から距離をとる。


『%#¥@*n%#』


 聞いたことのない言語が耳に入る。

 魔人の声だ。とても低く、薄気味悪い声。


 上級魔法の的中で腹が立ったのか、こちらに向かって来た。


「先輩、こちらに向かって来ました!」


 ルイスは軽く返事をして、すぐに次の攻撃魔法を練る。


『a&#)5/k#%nhj』


 魔人が雷魔法を唱えた。広範囲に稲妻が走る。

 ルイスより前方にいた兵が雷の直撃を受け、真っ黒の物体になり地面へと落ちていった。


「!!」


 エミリアは息が止まりそうになった。

 激しい雷が轟く中、ルイスは高速度で箒を操りながら避けていく。

 アイリーンがエミリアの視界に入る。ルイス班のメンバー達は、無事に雷を避けている。

 他の兵士達も順次、魔人に攻撃を仕掛ける。魔人のスピードが早く、全ての攻撃は当たらない。こちらの兵士がやられる数の方が多い。


『Frozen Rose!!』

『Zero Gravity!!』

 マッティア中隊長とエマ中尉もそれぞれ、上級攻撃魔法を唱えて、魔人へダメージを負わせた。


「陣形を崩すな! 攻撃を続けろ!」

 マッティアが兵士達へ叫ぶ。


『Meteoric Stone!』

『Lava Flow!』

 ディランとクリスもそれぞれ上級魔法を唱え、魔人へ食らわした。


 先鋭部隊による攻撃が効いているのか、少し魔人の動きが鈍くなり、兵士達の魔法が命中しやすくなってきた。魔法の連打で魔人が一瞬煙に包まれた。そして次に魔人が姿を現すと、魔人は頭上に大きな緑色に光る矢を出現させた。


「全員防御魔法を唱えろ!!」


 ルイスが叫んだ瞬間、魔人の矢が解き放たれた。


「あぁ!!」


 エミリアはルイス班全員に最上級の障壁魔法を唱えた。

 辺り全体が眩しく光り、爆音が響く。


 目を開けるとほとんどの兵士が飛ばされていた。飛ばされた兵士達は、状態を立て直し、再度攻撃態勢に入る。しかし明らかに人数が足りない、エミリアは地面を見た。人の形をした黒い塊がたくさん横たわっていた。それは先程まで共に空で戦っていた人達だった。


『Giant Impact!』

 ルイスは最上級魔法を唱え、5重の朱色の魔法陣を描き、巨大な火の天体を出現させ、魔人へと衝突させた。


 ルイスに続いて他の兵士達も魔人に時間を与えずに魔法攻撃をする。そしてついに魔人は体をだらりと後ろへ倒した。身体中傷だらけでいつのまにか左腕は失っている。やった? エミリアは期待した。


『a3*¥#*%*@#』


 身体を不自然にぐるりと起こし、ギョロリ大きな目で魔人が何かを叫んだ。そして魔人の周りに、禍々しい緑の光を帯びた大きな矢が瞬時に3本出現し、こちらへと放たれた。


「駄目――――!!!」

 仲間を失いたくない。それ一心で、エミリアは防御魔法を唱えた。


 唱えて唱えて。魔人の周りに障壁を発生させて、魔人の攻撃が跳ね返り、魔人自身がダメージを負った。ルイスが何かを言っているが、エミリアには聞こえなかった。魔法を唱えなければみんな死んでしまう。


 突然、空を切るように、手応えのない感覚が急にエミリアを襲った。

 あれ? 障壁を作れない。


 魔人が右手を掲げ、エミリアの視界は真っ白な光が広がった。

 気がつくとエミリアはルイスと共に飛ばされていた。強い耳鳴りとともにぐるぐる落下していく。強い衝突は免れながらも、地面へ箒ごと叩きつけられた。強いめまいに襲われながらエミリアは必死で目を凝らした。ルイス班全員、地面へ横たわっている。幸いみんな上体を起こして、這い上がろうとしている。


 その時、ルイスがエミリアの目の前によろりと膝をつき、防御魔法を唱えた。エミリアが空を見上げると、魔人の全身が光り、体の中から大きな雷を解き放った。


 エミリアは叫んだ。何を叫んだのか自分でも分からない。誰かから後押しされるような。自分ではなくその誰かが喋っているような感覚。そして、エミリアの癖のあるミディアムヘアが、綺麗にウェーブした膝まで届く程のロングヘアになったような錯覚を覚えた。


『Π∪ΑΞΕΟΑΥΑΚ』

 エミリアの口から言葉が溢れた後、金色の光が周囲へ素早く広がっていった。さらに金色に輝く粒子は空へと昇っていき、ドーム状にエミリア達を包んだ。魔人の雷を一切通さず、魔人の細胞は粉々に壊れ、そして消滅した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る