第2章 恋心

第31話 恋心を自覚しました①

 デュポン暦2020年10月


 仕事後、エミリアがグラウンドの片隅で泥だらけの靴を洗っていると、1人の男がやってきた。


「エミリアさん!」


 第1箒兵大隊ブルスト班所属のジャック上等兵だ。

 そばかす、癖っ毛のジャックは、エミリアより3、4歳年上の先輩である。


「お疲れ様です。ジャックさん」


「最近どう? 忙しい?」


「ぼちぼちですねー」


「へー……」


 一瞬沈黙が訪れたのち、ジャックが口を開いた。


「今週の土曜日予定ある?」


「特には予定はないですが……?」


「あー、じゃあ、あの、一緒に演劇見に行かない?」


 エミリアは靴を片手に持ったまま固まった。


「あ、いや、あの、考えておいて! 返事は今じゃなくて構わないからっ」


 ジャックが足早に立ち去った。




 ソフィアー!!



 エミリアは心の中でソフィアの名前を叫びながら、慌てて衛生隊の勤務棟へ向かった。衛生隊は、心の病を抱えた隊員のカウンセリング、検診による体調管理、時に戦場に従軍して回復を行う部隊である。エミリアは棟内でソフィアを探してみたが見つける事が出来ず、同期の隊員に居場所を聞くと、ソフィアは1週間の地方出張に出ているとの事だった。


「はぁ……」


 エミリアは寮に戻り、自分の部屋の前でため息をついた。ジャックが演劇に誘う理由がエミリアには分からない。ジャックとはたまに仕事の話をするだけの関係だ。誰かに相談したいが、同期のレイも野営でいない。


 エミリアは隣のドアを見つめ、ためらいつつもルイスの部屋をノックした。


「どうぞー」


 許可が降り、扉を開けると、タンクトップ姿のルイスがいた。

 シャワーを浴びたばかりのようで頭はまだ湿っており、肩にはタオルをかけている。エミリアは風呂上がりの男性を初めて直視して、少し気まずくなった。


「何?」


「えー……あの、その……」


「……入る?」


「はい……すみません……」


 エミリアは促されるまま、落ち着きなくダイニングテーブルの椅子へ座った。

 男性の部屋に入るのも初めてだ。エミリアの部屋と作りは同じだが、飾りっ気はない。代わりにソファーやローテーブルの上には魔法書が何冊も置かれて散らかっている。



「先輩は魔法書いっぱい読んでるんですね……」


「お前も少しは自主的に勉強しろ。強いモンスターが現れた時、防波堤になるのは俺達だ」


 ルイスは上着を着て、ビールの栓を開けて、エミリアの右斜め隣の椅子に座った。


「先輩はもう充分強いじゃないですか。S級モンスターも倒せるし……」


「怖ろしい存在は世の中沢山いるんだよ」


 ルイスにも怖ろしいと思うモンスターがいるのか。


「で、話しは?」


「あー……あのー……いきなりこんな相談をするのもなんですが……」


「何だよ」


「男性が演劇に誘うのってそのー」


 ルイスがキョトンとした。


「デートとかではなく、ただ友達になりたいだけって事もありますか……?」


 エミリアはゆっくりとルイスの顔を覗いた。


「いや、ねーだろ」


「ないんですか!?」


「知らんけど」


「どっち……!」


 エミリアは頭を抱えた。



「誰それ」


 ルイスが目を細める。


「……職場恋愛禁止とかありますか?」


 名前を伝えてジャックが処罰を受けたら大変だ。


「ない。こんなガキに誰が惚れたのか気になるだけ」


「酷い……」


 エミリアは胸がチクっと痛んだ。


「で、誰?」


「誰にも言いません?」


「言わねーよ」


「……ジャックさん」


 ルイスが目を見開いた。


「ジャック!」


「どんな人なんですか? ジャックさんって……」


「俺もよくは知らないけど、真面目そうな奴だよな」


 悪い人ではないのか。しかしジャックと二人だけで観劇を見に行く気にはなれない。



「……先輩も一緒に行きません?」


 我ながらおかしな提案をする、とエミリアは思った。


「いや、それ可哀想過ぎるだろ。何お前、デートした事ないの?」


「ないですよ!! うわあぁぁぁぁぁ」


 エミリアは顔を覆った。


「面倒なら行かなきゃいいじゃん」


「い、いいですかね……?」


「告白してもないのに断られるなんて気の毒だな……」


 とルイスが真面目に呟いた。


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