嫌いな人の事よりも、推しについて考えていた方が楽しい
「嫌いな人の事よりも、推しについて考えていた方が楽しい」。こんな事は分かり切っているんですが。
嫌いな人について考えるという事は、誰しも経験がありますよね。しかしそれって、何でだろうと思うのです。時間の無駄、人生の浪費じゃないですか。自分に害を為す人について考えるのって。なのに考えてしまう事がある。一体、何でなのか。
※作者の考える「嫌いな人」とは
・害(ネット上での荒らし行為、殴ってくる等の暴力行為、金銭をせびる、一発やろう、などと、初対面にもかかわらず誘ってくる上に好みのタイプじゃない、等)を為してくる者。
「推しを教えて」などと人に聞かれると、答えたくない事があるものです。なぜって、共有したくないんですよ、推しを。言うなれば秘密の隠れ家、平たく言うと性癖だから。でも、嫌いな人の事なら、ガンガン言える。だって、その人のために秘密にしてあげようと思う事など何一つ無いのだし。「あ、こんな悪事までバラしたら可哀そう」とかいう、人間の心に生まれつき備わっているであろう慈悲の気持ちを上回る、怒りを起こさせるような悪事を為されたとき、人は鬼になれると思う。←怖い
で、人の悪口で盛り上がるのは楽しいんですが、だんだん悪口を言う事(聞く事とセット)に嫌気がさしてくるんですよ。「でもさ、そこまで嫌な奴かなあ」とか、思うんですね。他人が嫌う人に関しては。そして、自分が他人を嫌う気持ちにすら飽きてくる。
ようするに、他人が嫌う人には興味が無いんですよ。いや、他人が嫌う、その気持ちに興味が無い。そもそも、他人そのものに興味が無い。そうじゃなくて、その「他人」の事をあんまり気にしてない。つまり、そいつの事をそんなに気にしてなかった。ああ、だから「あんたは人の話を聞いてない」「冷たい」と言われるのか、たまに。
そもそもですよ。他人を嫌う気持ちを、別の他人に共有してもらおうとするその行為って、うざったいだけなんですね。「勝手に言ってろや」という。そこを分かっていない女友達などがたまに、「毒を吐いている」「友達じゃないのか」とか言ってくるんだ。逆に、問いたい。「いちいちひとの考える事を指図すんのが友達なのかよ、それってただの嫌な奴だぜ」って。こういう考えって、変なのかなあ。
ああ、何でこんな話をしているんだろう。そうだ、「感情労働」について考えていたからなんだ。そうそう。コンビニの店員が不愛想なのは、ごくごく自然な事なんだよって、そういう話をしたかったのに……という事で、感情労働の話は別の機会に譲るといたします。
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