第90話 演技の極意
憂鬱だ。だいたい大勢でつるんで何かをするのって性格的に合っていないんだ。群れるのもキライだし群れて大層満足そうにしている人の顔を見るのにもうんざりする。群れたことで強くなった気にでもなるのか横柄な態度を取るやつなんてもう最悪だ。えてしてそういうやつは群の仲間以外には排他的になるし仲間に加えるときには妙に恩着せがましかったりする。ぐったりしちゃうんだよな、そういうのを見ると。
だからぼくはそういったこと一切からできれば距離を取りたいと願っているのだが、今回の件に関してだけはなぜか母が頑として認めない。
「たとえお天道様が許してもね」母は言う。「孟宗竹は孟宗竹にほかならないのよ!」
多くの人にとってまったく意味不明だと思うが(そして慌てて付け加えるとぼくにとっても意味が不明なことには変わりないのだが)、ここで母が言いたいのはただ一つ。群れたくないというぼくの考えを却下すると言うことなのだ。
「ぼくがそういうの一番苦手だってわかってるくせに」ぼくだって引き下がるわけには行かない。「苦痛だし、苦痛だってことが顔に出るからまわりも迷惑する。何もいいことなんてないよ」
「おだまり!」その言葉の響きが気に入ったのか、母は続ける。「おだまりおだまりおだまり」
「おだまりは、わかったよ」
「おだまり!」
結局、反論空しく、ぼくはおたのしみ会に出ることになる。そのためには練習に付き合わなくてはならない。白雪姫と七人のこびとたちが悪い魔女の噂話をするシーンだ。あ。言い忘れていたけど、ぼくは南山手幼稚園の年長さんで、これが最後のおたのしみ会なのだ。おかあさんがたも先生もこれが最後だというので熱が入っていて、その熱気も暑苦しくてぼくはげんなりする。母はその盛り上がりとは一線を引いているようだった。あんなにぼくには出ろ出ろとけしかけたくせに。
ぼくとしては黙ってじっとしていられさえするならテーブルの役でも壁の役でも良かった。ところがなんと全員にセリフが回るように一つのキャラクターを3人に分けて演じるという。そのせいでぼくにもセリフのある役が回ってきてしまった。「おこりんぼ」の役だ。先生にも少しは見る目があるらしい(あるいは日頃のぼくの態度に対する皮肉のつもりなのかもしれない)。
ぼくに振り当てられたセリフは「気に入らないな」の繰り返しだった。ほかのこびとの提案に対しても白雪姫の呼びかけに対しても「気に入らないな。気に入らないな」というだけのものだ。これについては実は少し気に入ってしまった。 心から感情を込めてしゃべることができるので。思いがけず熱心に参加するぼくを見て先生も安心したんじゃないかな。
さて、おたのしみ会の当日になって、なぜ母がそこまで入れ込んでいたのかがわかった。母は誰が見てもあのディズニー映画の白雪姫だとわかるコスチュームを着て現れたのだ。そんなことがしたかっただなんて。考えられないことだ。いつの間に用意したんだ、そんなもの。他のおかあさんがたも引きまくっていたが、何人かに「自分でつくったんですか、お上手ねえ」と言われて素直に喜んでいる風だった。
ところが事態はすんなりとは進行しない。全員参加作品『白雪姫』が始まって間もなく、白雪姫(2番目)の子がセリフに詰まってしまった。その場に立ちすくみ誰かに助けを求めることもできない。一気に緊張が高まった。客席の保護者たちがはらはらしているのがわかる。「がんばって」「しっかり」などと声をかける親もいるが、白雪姫2は完全に委縮して何もできなくなった。
「わたしもそうだったわ」
その時、おたのしみ会の雰囲気とはそぐわない、低く落ち着いたトーンの声で女の人がしゃべりだした。言うまでもないだろうが、もちろんぼくの母だ。
「何も言えなくて、頭の中が真っ白になって、まわりで何か言っているのも耳に入らなくなったの」
不思議なことにその声は白雪姫2の耳に入ったようで、白雪姫2は母を見上げた。巨大白雪姫であるところの母はいつの間にか立ち上がって客席をかき分け舞台へと歩み寄り、白雪姫2の前に立ち、まるでシンデレラのフェアリー・ゴッドマザーみたいな感じで話しかけている。
「終わった後で死のうかとさえ思ったわ。でもね、それは違ったわ。死にたいくらいつらかったけど、死ぬことはそれよりもっとこわかった。死ぬほどこわかった」何を言っているんだ。ぼくは舌打ちをしたい気分になった。こっちの方が死にたいよ。「でもね、それでいいのよ。さあ、叫んでご覧。『エスクレメントー!』」
白雪姫2がつられて叫ぶ。
「『エスクレメントー!』」
「『エスクレメントー!』」
「『エスクレメントー!』」
そうして母は席に戻って座り、白雪姫2は奇跡的にセリフを思い出し場面はつながった。
晩ご飯の時に母に聞いてみた。
「『エスクレメント』って何?」
「糞ってことよ。イタリア語で畜生みたいな意味なんだって。筒井康隆が書いてた」
「はは」ぼくは力無く笑う。「で、おかあさんがセリフに詰まったのって、やっぱり白雪姫だったの?」
「ええ?」母は何を言っているんだこの子は、という顔つきでぼくの方を見て、それから理解したらしくうなずく。「おかあさんはね、おたのしみ会なんて大嫌いだから出なかったのよ」
(「おたのしみ会」ordered by ariestom-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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