第86話 ウンコマン

 日本でも大きな町ではガーディアン・エンジェルとかいう舶来ものの自警団が活躍しているそうだが、わたしの住む竜田町ではなかなかそう垢抜けた感じにはいかない。それでも最近になってだんだん治安が悪くなってきたので、竜田商店街の青年部でなんとかしようということになった。でも、わたしたち商店のおっさんたちがいきなりガーディアン・エンジェルとか言っても、急に金髪のカツラをつけて外人のふりをし始めたみたいでみっともないし、かといって自警団と言うと殺伐とする。


 そこで戦隊もののユニフォームをマネして、客寄せイベントをやりつつ、実はまじめに治安維持にも取り組むと言うことになった。その名もドラゴン戦隊タツレンジャーである。言い出しっぺはわたしだが、あくまで「例えばこんな感じ」というので言っただけの名前で、ドラゴンとタツがかぶっているのが気になっていたのだが、青年部ではノリがいいということで一瞬で採用になってしまった。わたしが赤タツレンジャーでリーダーをつとめているのはだいたいそういう理由なのだ。


 平日の夜に5人で集まって、土日のイベントの練習をする。つたないながら、わたしが台本を書き、セールをかける店舗の情報を必殺技の名前に折り込みながら、最終的には敵役をやっつける。敵役といっても、そのためにいちいち金をかけて特殊メイクとかするわけにいかないので、不景気マンとか、怪人・フシンシャーとか、妖怪・万引き小僧とか、まあそんなのを相手に戦うわけだ。不景気マンならこてんぱんにやっつけて追い出したり、フシンシャーや万引き小僧なら改心させたり、という具合。


     *     *     *


「断りもなしにかっこつけとるんやないでワレー!」

 というのがその男の発した第一声だった。けばけばしいスーツ。濃い茶のサングラス。下手に触ると瞬間的に爆発しそうな、むき出しの刃物のような異常なオーラを発しまくっている。赤タツレンジャーのタイツをはくわたしの手は止まってしまった。事務所のメンバーも全員凍りついた。せっかくこれまで暴力団は敵として扱わずに来たのに、それでも因縁を付けられてしまうのか、といろいろ考え始めたとき、男の表情が変わった。


「ウンコマン」その言葉が目の前の人間凶器のような男の口から飛び出した。「ウンコマンやないかい」

 それは、小学生の時のある忌まわしい事件のためにわたしにつけられたあだ名である。この年齢になって人前で暴露されようとは。

「おれや。クボタや。竜田第2小の」

「クボタ……クボタか! 久しぶりやな。どないしとってん」


 クボタは中学卒業まで同級生だった。小柄でいつも敵意むき出しだったクボタとは小学校の頃からのつき合いだ。小学校の頃は仲も良かったのだが、中学に入るとクボタはだんだん学校に来なくなり、かろうじて卒業はしたものの、そのまますぐに地元の組関係の構成員になって、すっかり疎遠になっていた。組の若頭をやっているという噂は聞いていた。そのクボタだったのだ。わたしが何者かわかると途端にクボタは表情をやわらげ、いろいろ話し始めた。ウンコマンのエピソードまで暴露しやがった。


「悪かったんやで、この赤タツレンジャーは。おれなんかよりよっぽどキレやすかったんや。小学生やのに二人でようつるんで悪さようけしよったんや。ほんでな、いっぺん近所の中学の悪ガキどもに囲まれてもうて、シメられそうになったことがあってな」


 小学生のわたしたちは無謀にも中学生四人組に真っ向から闘いを挑み、もちろん二人ともボコボコにやられた。クボタはたぶん肋骨を折られ、わたしも立ち上がれなくなってから何度も腹を蹴られ完全に戦意を喪失していた。そのときあいにく腹を下していたわたしは下痢をもらしてしまい、その瞬間に切れたのだと思う。あとは何がどうなっていたか覚えていない。気がついたらわたしは誰かの上に馬乗りになっていて、下には口のまわりに下痢を塗りたくられ顔中あざだらけになって泣きながら謝っている大将格の中学生の姿があった。クボタは茫然と脇に立っていた。以来そのあだなをつけられたのだ。


「余計なこと言いくさって」

「ええやないか。めちゃくちゃ強かったんやで」

 クボタは、これからタツレンジャーに文句言うモンはおれがシメたる、と宣言し、意気揚々と帰っていった。文句を言いに来たのはおまえやないか、と言いたかったが、さすがに黙っておいた。ずいぶん勝手な話もあったものだ。それからクボタとわたしは時々会って酒を飲む仲になった。これは暴力団と癒着したことになるんだろうか。


     *     *     *


 青年部に「クボタが襲われている」という連絡がはいったときも、わたしはタツレンジャーの出番に備えて準備を終えたところだった。聞けばどこから来たかわからない集団に不意打ちを食らってボコられているということだった。まわりからは止められたのだがわたしは「友だちを助けられんで何が正義の味方や」と威勢のいいセリフを叫んで飛び出したらしい。らしい、というのは、よく覚えていないからだ。どうやら何十年ぶりにキレたらしい。


 気がついたらわたしはクボタを介抱していた。クボタを助け起こそうとして、ものすごい激痛を覚え、わたし自身指の骨が折れていているらしいことにそのとき気づいた。まわりにはもう誰もおらず、誰が勝って誰が負けたのかもよくわからなかった、でもわたしは指の骨折以外はそれほどダメージをうけた様子はなかった。


「おまえめちゃ強いなあ」クボタが言った。「うちの組にはいらへんか」

「あほか」わたしは答えた。「おれは正義の味方や」

 そのあとしばらくクボタは咳き込み、痛みに顔をしかめた。また肋骨を折られたらしい。涙をぽろぽろこぼして痛がりながら、それでも何かをどうしても伝えたいらしく苦しい息の下から必死になって声を絞り出す。


「ウンコマン……」

「わかってるて」

 まるでチンピラ映画の感動的なラストシーンだ。でもクボタは別に死ぬわけでもないし、これはどこにでもあるただの乱闘であって、何か守るべき者のためにすごい闘いを終えたわけでも、ない。

「ウンコマン……」

 しかもセリフは「ウンコマン」だ。

「やかましわ、ウンコマンウンコマン言うてから」

 正義の味方もつらいのである。


(「ウンコマン」ordered by ヨ ウ ス-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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