第84話 逆SEO
昭和16年12月8日の真珠湾攻撃から始まって、しばらくは誰もが知っている太平洋戦争の経過が綴られていく。ミッドウェーで日本が手痛いダメージを受けるところまでも歴史通りだ。しかしそこから先、史実通りではない流れが始まる。後世批判を浴びる数々の失策の替わりに、日本政府が意外な手を打ち国際社会を翻弄する……。
時々一緒に仕事をするウェブデザイナーの田辺さんがそのウェブサイトを教えてくれたのはかれこれ3カ月ほど前のことだ。こんなサイトあるの知ってます? なんですかそれ。太平洋戦争のシミュレーションです。右翼っぽい小説かなんかですか? そういうのとは違うんです。どう違うんです? 途中から歴史とは違う展開をするんですけど。ああ、日本が勝ったらってやつですね、スピルバーグの映画でもそんなのなかったっけ? そうぼくが言うと一瞬会話が途切れた。
田辺さんは微妙な顔をして、まずご自分で見て判断してください。と言った。ふだん、そういう強引な勧め方をする人ではないので珍しいなと思いながらアクセス方法を聞いてみた。ところが教わった検索キーワードを入れてググってもそのページにたどり着けなかったので、翌日仕事の合間の雑談タイムに改めて聞いてみた。あれ、言いませんでしたっけ、グーグルを1ページに30件表示するように設定し直して8ページ目まで進むんですよ。1ページに30件? そう、そして8ページ目に進んで、真ん中より下の方を探して。
8ページ目の真ん中を過ぎたあたり。なるほど見つかった。検索ワードと同じ「太平洋戦争/米国敗戦」というのがページの名称。米国敗戦かとため息をつきながらクリックする。そういうことだと思ったよ。出てきたのは何のしかけもない、最も素朴なHTMLで書かれたテキスト主体のページだ。零戦が飛んでいるわけでもなく戦艦大和の勇姿を見せつけるわけでもない。画像といえば題字と、読みやすさのために文中のところどころに配されている記号くらい。いかがわしさもないが、愛想もない。
それでも警戒しながら読み始めると、意外にこれが面白い。よく書かれた歴史書のような、いいリズム感と、ほどよく差し込まれる書き手の洞察が心地よく、知らず知らず読み進めてしまう。真珠湾攻撃、シンガポール攻略、仏領インドシナ、そしてフィリピンからマッカーサーを追い出す。1942年春先にかけての、いわゆる連戦連勝の日々。それが6月のミッドウェー海戦で完膚無きまでに叩きのめされる。主要な空母4つを失い、艦載機320機、そして3300名がなすすべもなく死んでいった。
後に関連する掲示板を見つけて知ったのだが、ここまではほぼ史実通りといって良く、最初の明かな史実との違いがこのあとの小さなエピソードとして描かれている。それは戦勝会の準備をしていた東京の軍令部に敗戦の報が届くシーンである。勝つものと決めこんで浮かれていた首脳部に激震が走るのだが、史実ではその後、海軍軍令部は敗戦をひた隠しにしていたらしいのだ。ところがこのウェブサイトでは、このあとも戦闘の結果がありのままに伝えられるというのが明かな違いらしい。
「太平洋戦争/米国敗戦」の内容について語り合うために開設された掲示板を読むと、実に多くの人がこのウェブサイトにアクセスしていることがわかる。海外在住の日本人がたくさん読んでいるのも特長だ。ストーリーはまだ完結していないが、同時に翻訳も進められているらしい。かなりの部分が訳出されて数カ国語で読むことができ、それなりの人気を集めているとの情報もあった。やはり人気は、シミュレーション戦記物としての展開よりも、作者の洞察力の方にあるようだった。一部のマニアは史実との一致不一致を丹念に洗い出してそのひとつひとつに検証を加えていた。
恥ずかしい話だが、そのあたりの歴史についてあまり興味も知識もなかった身としては、そういう解説がなければどこまでが史実でどこからが創作なのか、まったくわからない。ただ、読み始める前にはあまり気が進まなかった戦記物が意外に面白く読め、毎月15日の更新を楽しみにしている自分が意外だった。この筆者の書く文章が肌に合っているのかも知れない。残念ながら最新の記事は1943年に入ったところまでしか進んでいない。もちろんまだ日本は勝っても負けてもいない。
ただ、外交交渉とその補足手段に奇手(外交官とは別に“語り部”と呼ばれる部隊を各国に送り込むのである)を打ち始めたあたりで、だんだん読み物的な面白さが出てきた。「米国敗戦」とつけたタイトルに向けてどう話を進めるつもりなのか、お手並み拝見だ。このページを話題にした掲示板では様々な憶測が書かれているが、この作者なら予想を上回る思いがけない展開を見せてくれそうな予感もある。次は来月8月の15日の更新まで待つしかない。おや? その日付を見て不意に気づく。
試しに「太平洋戦争/米国敗戦」でググってみる。8ページ目の正確に15番目にそのページはあった。前から、なぜここまで人気のあるウェブサイトがこんなに後ろに出てくるのかずっと疑問だったのだが、ひょっとすると……。翌日もチェックする。やはり8ページ目の15番目。その翌日もそのまた翌日も結果は同じ。つまりサイトはGoogleの8ページ目の15番目に表示されるようにコントロールされているのだ。サーチエンジンによく引っかかるようにする対策をSEOなどと呼ぶらしいが、このサイトは、いわば逆SEOを試みているのだ。
8ページ目の15番目とは、つまり、8月15日のことだろう。いったい何をすれば、検索結果をそんな中途半端な位置に保つことができるのか見当もつかない。けれど検索結果を見る限り、事実このウェブサイトの作者はそれをやっているのだ。それは単なるお遊びにしては手が込みすぎている。ウェブサイトの技術に詳しい田辺さんに尋ねてみると「偶然でしょう」とまるきり取り合ってくれない。でもその無関心ぶりに注意を払っていれば、田辺さんこそその技術の提供者だということにもっと早く気づけたはずなのだが、それはもっと後の話になる。
8月15日。サイトは更新され、アクセスした世界中のPCに、とあるソフトウェアが植え付けられる。後にnarratorともkataribeとも呼ばれるそのソフトウェアは次に起動する時期まで長い長い潜伏期間を過ごすことになる。
(「太平洋戦争/米国敗戦」ordered by ヨ ウ ス-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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