第66話 ハンティング
コートの衿を立ててあなたは足を早める。今にも冷たい雨が降り出しそうな、どんよりした空のした人々はみな示し合わせたように首をすくめ背を丸め足早に歩いている。部活帰りの女子高生のグループが通り過ぎるが、芯から冷える寒さに声もなく黙々と急いでいる。あなたは鋭い視線を彼女たちの顔に浴びせるが、そこには求めているものは見つからない。
コートの下にほとんど何も着ていないのはすばやくことを済ませるためだ。ふだんならばここまで大胆なことはしない。こんな大きな町にコート1枚羽織っただけで出てくるような危険な真似はしない。しかしもう半月も続く飢えと渇きに苛まれている。もう限界なのだ。乳房が張り乳首が固くなっているのは寒さのためだけではない。獲物をとらえたくて全身が猛り狂っているのだ。
風が吹き、コートがあおられる。一人の男があなたをじろじろ見ながら通り過ぎる。何か気づかれたかも知れない。あなたは男を値踏みするがお話にならない。顔には酒焼けが浮き、歯には煙草のヤニの色がしみついている。内臓のどこかを悪くしているだろうし、だとすると何かクスリを飲んでいる可能性もある。断じてそんなものにかかわってはいけない。理想的なのは毒されていない健康体だ。
半月前の獲物は背の高い高校生の少年だった。透き通るような肌をして、整った顔立ちで、文句ない標的に見えた。そもそも外見で気に入ったのだ。少し会話を交わしたときにかすかな口臭が気になったものの、直前に食べたもののせいだと思うことにした。それが間違いだった。警戒する少年にややあからさまな誘いをかけ、お茶の相手をさせ、話しながら徐々にその気にさせ、苦労してホテルの部屋に連れ込んだ。
服を脱がせ、肌を合わせて一気に飲み込もうとした瞬間に気がついた。生まれつきの病気を持っている。そして小さな頃から治療薬に浸ってきている。こんなものを飲んではいけない。こんなものを飲み込んではこちらがおかしくなってしまう。あなたは途方もない渇きに襲われながら、目の前の獲物を諦め、訳もわからず混乱する裸の少年を廊下に放り出した。
治療薬を飲んでいないこと。麻薬に手を出していないこと。保存料や着色料や得体の知れない化学物質を使った食事をとっていないこと。農薬やら殺虫剤やらの成分を摂取していないこと。適度な運動をしていること。十分な睡眠をとっていること。あなたにとって必要なのは汚れなき肉体なのだ。あなたの渇きを癒し、飢えを満たす安全で健康的な肉体なのだ。
でもこの都会にそのような理想的な獲物はほとんど存在しない。こんなにたくさんの個体がいるのに。病んでいるか、薬品漬けになっているか、不健康な生活をしているか。そんな者の血をうっかり飲むと深刻なダメージを食らう。肌から流れ込んでくるエネルギーだけで我慢して、血を飲まなければいいのかも知れないが、そんなの無理だ。できた試しがない。血を飲まずに食事を済ませることなどできない。
それにしても最近の獲物の状態はひどすぎる。こんなのは前世紀の初め頃まで体験したことがなかった。それまで自然界にはなかったもの、あってもごく微量だったものなど、人間どもは急速にさまざまな化学物質を生み出すようになり、自分自身を汚染してしまった。見つかるリスクを犯して地方に行ったが、皮肉なことに、撒布する農薬のせいでもっとひどい状態だった。もうどこに行っても同じなのだ。
あなたはあまりの飢えと渇きに身を震わせ、目を閉じる。どこか近くの大画面モニターから飲料水のCMが聞こえてくる。それを聞きながら思わずあなたは笑う。そう。おいしくてからだにいい飲料水を手に入れるのは困難なのだ。おまえたちがなかなか手に入れられないように、わたしもわたしの渇きを心底潤してくれるたっぷりの飲料水を手に入れるのに大変苦労しているのだよ。
(「飲料水」ordered by aisha-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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