第64話 決闘

 最初からどこかおかしいとは思っていた。とはいえ断る理由もないからその仕事を引き受けた。それが巧妙な罠だとも知らずに。


 依頼主は居酒屋を経営していて、請け負った昼間の仕事を終えるとその店で晩飯と酒をご馳走になった。地酒もうまいし、川魚を塩焼きにしたり、煮付けたり、天ぷらにしたりと、どれも非常にうまく、おれとしてはこの時間と寝床さえ提供して貰えれば謝礼などいらないとさえ思っていた。でも依頼主はこれに加えてたっぷりの報酬も約束してくれていた。こういうのは本当に珍しいことだ。もっともその珍しい幸運には裏があることが直にわかるのだが。


 その晩も川エビを口に放り込みつつ、山菜や魚に舌鼓を打っていると、店の戸をがらがらと開けてひとりの男が入ってきた。おれはその男が起こした風に奇妙な印象を受けて顔を上げた。見ると長い髪を後ろに下ろし、妙な髭をはやし、和服を着た老人がいかめしい顔つきでおれをにらんでいた。誰か知り合いだったかと思って声をかけようとした瞬間に、男は目をそらしカウンター席についた。関係なかったのかと、食事に戻っているとやがて耳障りな声が聞こえてきた。


「近頃では風を操るとかいうものが全国を歩き回って法外な報酬をとって商売しているそうじゃな」


 明らかにおれのことを言っている。でもまだこの時は、知ってて言っているのかどうかもわからないので食ってかかるわけにも行かない。


「風を操ったくらいで病気を治したり作物を育てたりできるなんて、とんだ食わせ物だな」男はそういうとおれに向かって言った。「どうですお客さん。見かけない人だがそういう手合い、どう思います」


 大声で言っているのにおれの依頼主は引っ込んだっきり出てこない。それでピンときた。ははーん。依頼主も共謀なのだ。だからおれはできるだけ丁寧に相手することにした。


「もしも、もっといい方法があるなら、その方がいいかも知れませんな」

「ありますとも」和服の老人は鼻先で笑い、繰り返した。「ありますともさ」

「それはどんな方法ですか?」

「太陽黒点じゃ」

「太陽黒点」

「学者どもは黒点黒点なんぞと言っておるが、あれは雑だな」

「はあ」

「温度によって黒点、赤点、黄点、青点、白点と分類すべきなのじゃ」

「なんですって?」

「黒、赤、黄、青、白と分類すべきなのじゃ。それぞれ全然違う」

「全然違うって?」

「それこそあんた、風の吹き方なんぞ黒点さえ観察すればどんぴしゃり。何でもわかる」

「面白そうですね」おれはだんだん興味をそそられてきた。本当に役立つ話なら襟を正して耳を傾けよう。おれはこういうところ、意外と謙虚なのだ。「分類にはどんな意味があるんですか?」

「意味?」びっくりしたように老人の声が裏返る。「意味なんか、ない。ただ現象あるのみじゃ」


 確かに意味なんてどうでもいい。それぞれの色が現象を正確に言い当てているならそれで十分だ。それだけで注目に値する。


「風もだいたいまあ同じようなものですよ」

 そういった途端、老人の口元にいやな笑いが浮かんだ。

「なんじゃ。あんたは風使いの仲間か」

「いいや。風使いではない。風博士だ」よく思いのままに風を操る風使いだと思われるが、おれはただそこに流れる風を利用するだけだ。向きを変えたりぶつけてみたり。「わたしが風博士だ」

 それを聞いて老人は目を光らせた。

「ではどうじゃな。明日の正午からあんたの風の力とわしの黒点の力で競演をしよう」

「望むところだ」


 さて寝床に戻って思う。あいつこそバッタモンだとあらゆる記号が指し示している。にもかかわらず、あの自信満々ぶりは何だ。何か隠し球を持ってくるに違いない。太陽黒点の技、見せて貰おうじゃないか。おれはただ淡々と風の流れを見るだけだ。明日は明日の風が吹く、というわけだ。


(「黒点」ordered by カウチ犬-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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