第60話 転生
ある朝、嫌な夢から目覚めるとぼくはベッドの中でグレゴール・ザムザになっていた。
最初のうちは自分ではどうとも思わずにごろごろしていたのだが、ふとした瞬間に腕を見て、一夜にして毛むくじゃらになっているので驚いて飛び起きた。起きて自分の身体をチェックしていると、胸毛も濃く、胸毛どころか全身に茶色っぽい体毛が生えていてあ然としているところに、母がノックもせずにドアを開けて入ってきた。
「ヒロシ、いつまで寝ているの!」
「ノックしてから入れって言ってるじゃん!」と言ったつもりだったが、口から出てきたのは知らない言葉だった。印象で言えばドイツ語みたいな感じだったがよくわからない。母は「あ。すみません!」と他人行儀な口調で言うが早いかぺこりとお辞儀をしてそそくさと出ていきドアをしめてしまった。
状況がわからずにいたものの、何か自分の身体に異変が起こったことはわかった。ベッドから降りてクローゼットのドアについた鏡の前に立った。目の前には白人がいた。「あ。すみません!」思わずお辞儀をして母と同じ言葉を口にしようとしたが、またしてもドイツ語らしきものを口走り、鏡の中の白人が同じようにお辞儀をするのを見て、さすがに気がついた。この白人がぼくだ。
「ナイン!」これはぼくにもわかった。ノー!ということだ。「ナイン!」
その後に続く罵り言葉風のものは聞き取れなかったが、ぼく自身としては「マジかよ!なんなんだよこれ。どうなってんだよクソ」と言ったつもりだった。
転生だ。とっさにぼくは思った。これは転生だ。このまま学校に行ったらどうなる? 転校生だ。いやちがう。ぼくはぼくだ。転校生なんかじゃない。というか転校生になるためには何か手続きをしなくてはならないはずだが、ぼくは自分が誰かもわからない。だったら転校生にもなれない。じゃあぼくは何だ。そう思ったとき、目の前のカバンに名前が書いてあるのに気づいた。
グレゴール・ザムザ。さすがのぼくにもその名前は読みとれた。『変身』じゃん! そう思った瞬間、気がついた。そうだ。これは変身だ。転生じゃない。ということは転校生でもないということか? いやそれは関係ない。転校生は転校生かも知れない。というか何考えているんだおれ?
お腹がすいたので着替えて下の階に降りていくと、母がおどおどしながら朝食を準備してくれた。何か話しかけたそうだが、何と言っていいのか思いつかないらしい。パンをむしゃむしゃやっていると、不意に腹を決めた様子で母が口を開いた。
「あの。ヒロシは」
「おれにもわかんねーよ」
と、言おうと思ったがやっぱりドイツ語みたいな言葉しか出てこなかった。
「アイキャントスピークイングリッシュ!アイキャントスピークイングリッシュ!」と母が叫んだ。
英語じゃないよ。ドイツ語なのに。
(「転生」ordered by shirok-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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