第61話 ネゴシエーター

工場長「いくら賞美堂さんの頼みでもね、これは頼まれたからどうなるって話じゃないんだ。できないものはできませんな」


賞美堂「そこをなんとか」


工場長「わからない人だな。重さで2mg、サイズで12mm、ここまで削れたのが奇跡と言っていい。何べん頼まれたってもうこれ以上はどうにもならないところまでやっているんですから」


賞美堂「そこをなんとか」


工場長「あのね。ぎりぎりまで調整して、以前の構成を完全に見直してパーツの配置までミクロ単位で調整してようやっとここまできたんだ。それをそういう風に、まるで今まで何にもしていなかったみたいな言われ方をすると、あたしだっていい顔ばっかりしていられませんよ」


賞美堂「そこをなんとか」


工場長「だいたいね。賞美堂さんとはお父さんの代からのお付き合いだから、今までだってそれは大抵のことは何とかしましょうってやってきましたがね、うちだって道楽でやってんじゃないんだ。できるできないの線引きはきちんとさせて貰いますよ」


賞美堂「そこをなんとか」


工場長「おい。いい加減にしろっ! なんだ、甘い顔してたらつけあがりやがって。だいたいこんなの最初から無理だってわかってたんだ。それでもあんたの顔を立ててやりたいと思うからこうやって、大のオトナが5人がかりで3か月間、ほとんどろくに休みも取らずに精度を上げてきたんだ。あんたはうちの大事な働き手をつぶそうってのかい!」


賞美堂「そこをなんとか」


工場長「馬鹿言っちゃいけねえ。あたしだってもうこれ以上あいつらを一秒たりとも引き留められませんよ。たりめえでしょうが。こんだけこき使っておいて、限界の限界まで身を削るようにしてやってきて何だその態度は。帰って貰おうじゃないか」


賞美堂「そこをなんとか」


工場長「くどいぞ! たいがいにしろ。え? 出てけ。出ていきやがれ。おい。おーい。賞美堂さんがお帰りだ。塩持ってこい。後からまいてやる。ざけんじゃねえ。顔も見たくねえ。二度と来るなってんだ」


賞美堂「そこをなんとか」


工場長「どうにもならんって言ってるのがわかんねえのか。ルーバー構造の三層展開もピペリット三角の不正乖離も全部試したんだ。言っちゃあ何だが、こんなことできる工場が日本にいくつある? うちでできなきゃもうどこでもできやしねえ。さあ帰んな。とっとと出ていきな」


賞美堂「そこをなんとか」


工場長「しつこいな。悔しかったらピペリット三角の鏡面体を精製できる工場を探してみろってんだ。うん? 鏡面体? 鏡面体はまだ試していなかったな。でも同じことだ。サイズも重さも変わらないわけだからな。さあ諦めるんだな。ほら帰った帰った。しっしっ」


賞美堂「そこをなんとか」


工場長「鏡面体の件だけは考えてやるが無理に決まっている。だって12月の『月刊擬宝珠サイエンス』にも論文が確かサンタフェ研究所のゴディモフ教授以下の研究ってことで……、ほらここに載ってるだろう。不正乖離は少数の例外を除いて、鏡面体同士は全く同サイズ同質量だ。何にも変わりっこない」


賞美堂「そこをなんとか」


工場長「確かに論文の付記には、以前ジュネーブのピケロゾヴァ教授が微小鋼の位相変換について。あ。いやしかし、あれはまだ追試験レベルで確立された手法じゃ」


賞美堂「そこをなんとか」


工場長「もちろんうちの施設があればそこまで試して試せなくはないが、あんた、そんなの天文学的確率に賭けるような話だぜ。とても正気の沙汰じゃねえ」


賞美堂「そこをなんとか」


工場長「そうなると電力は今までのざっと3倍はかかるし、材料もけちけちしたことを言わず一気に一桁増やして進めなくちゃならねえってことはわかってんのか。人件費だってバカにならねえし、賞美堂さんにしたって現実的じゃないだろう、そんなの」


賞美堂「そこをなんとか」


工場長「はああああ。しょうがねえなあ。わかった。わかりましたよ。でもあんたもとことん強情だね。今回はあんたにすっかり丸め込まれちまったが、いいかい。こんなこともうないからね。いやしかし賞美堂さんにはかなわねえなあ」


(「そこをなんとか」inspired by sachiko-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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