第56話 暗黒面通信
ハローハロー。
元気にしてるかい。
暗黒面からのお便りだ。オールドスタイルに手紙で出すことにした。スネイル・メイルというわけだ。かたつむりってわかるかい? ぬめぬめのろのろしてていかにも暗黒面の生き物っぽいだろ? かたつむり並の速度で届くメイルってわけさ。そっちの調子はどうだい? 相変わらずお日様をいっぱい浴びて永遠のサーファーズ・パラダイスって感じかい? 皮膚癌にならないように気をつけるんだよ。きれいな肌をしてるんだから。
ところで今日こうしてスネイル・メイルを出すことにしたのは、他でもない。お知らせしておくべき話があるからだ。近況報告ってわけさ。前に会ったのは確か三カ月ほど前だったよね。そのときは中間領域でデートをした。あれはなかなか楽しかった。君は太陽の国の人らしく陽気で露出過多でセクシーで、ぼくみたいな言ってみればもぐらみたいな生き物からすれば、まぶしくてじっと見ていられないくらいだった。たまの息抜きに羽目を外すには申し分のない一日だった。
あの日のことを一日だって忘れたことはない。
さてあれからぼくはこの暗黒面に戻って、つまり建造中の宇宙ステーションの決して日の当たらない一画に戻って、こつこつと姿勢制御装置の根幹部分の仕上げに専念してきた。これはぼくの生んだ傑作。芸術品といってもいい。他の誰にもここまで完璧な仕事はできないと思うよ。ぼくにまかせれば地球だってもっと上手に回転できるようになるんじゃないかと思うくらいだ。でもまあそれは完成したら、という話だ。残念なことにぼくは作業からはずれることになった。これが近況報告パートワンだ。
何かヘマをやらかしたって訳じゃないんだ。ある意味では大変なヘマをやらかしたんだが、決して能力が低くてチームを外されたわけじゃない。冗談じゃない。自分で言うのも何だけど、ぼくは最もすぐれた技術者の一人だ。いや。一人だった。いいかい? ちょっと驚くかも知れないけどぼくはいまはもう技術者じゃないんだ。「やっぱり日本人は指先が起用だなあ!」とみんなを感嘆させてきた手先を披露することはもうない。君を歓ばせるためだけに指先のテクニックを披露することも、もうないんだ。残念ながら。
大変なヘマというのはつまりそのことだ。ここからが近況報告パートツーだ。重力場制御装置の回転板の研磨のために部下がしかけた設定が、どうも一桁間違えていたらしいんだ。それが誰だったかなんて調べるなよ? とにかくそういう事情で事故は起こった。ぼくの開発した研磨装置はあまりにも鮮やかに仕事をした。何の痛みもなかった。痛みは全くなかったんだよ。それだけは安心して欲しい。一瞬でぼくは頭と体幹部を残して全てを失った。興味があるかも知れないから書いておくと、君が好きだったあの小器官もなくなってしまったよ。もうぼくはあの伸び縮みする小器官に悩まされることはないわけだ。
どうか、あんまり大事に取らないでくれたまえ。ぼくは元気だ。命に別状はない。すばらしい生命維持装置によって、何ら苦痛なくやっている。QOLサポートシステムとかいう部屋に入ったおかげで、好きな食べ物を食べられるし、好きな本も読める。観たかった映画も観られるし好みの音楽にどっぷり漬かることだってできる。最近は落語を片っ端から聞いたりしている。手紙だって、ほら、こうして書ける。ぼくの声を読みやすい書体ですらすら書き取ってくれる。
どうかあまり大事に取らないでいてほしい。
たぶんもう会うことはないと思う。正直、会っても何かすることもできないしね。一緒に散歩もできないし、指先も使えない。小器官もない。もう言ったけど。抱きしめる腕も蹴飛ばし合う足もない。そんなの──そんなの、何が楽しい? でもぼくはそんなに落ち込んじゃいないよ。なぜならぼくの中にはあの日があるから。君が太陽を運んできてくれたあの日の思い出があるから。暗黒面にいたって、そこ、サニーサイドの太陽を感じることができるんだよ。
(「サニーサイド」ordered by delphi-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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