第55話 学校の怪談

 おめでとうおばけの噂を耳にしたのは10月半ばのことだった。


「おめでとうおばけだって?」ぼくは吹き出しながら聞き返した。「なんだそりゃ!」


 それが、そのおばけの名前を口にする最後になろうとは、その時はまだ知らなかった。後輩の秋内は、ぼくの質問に答えて顔を引きつらせながら話し始めた。それは本当に身も凍るような話だった。話を聞き終わって、部室は静まり返り、誰も何も言おうとしなかった。ぼくは少しトイレに行きたかったのだが、何というか、もう少し我慢しようかという気になっていた。


「でも」ケイコが口を開いた。みんなが救いを求めるように一斉に振り向いた。「ううん。なんでもないの」


 それっきり、また誰も口を開こうとしなくなった。本当にうちのめされていたのだ。そんな凄惨な話を聞いた後で何を口にしたらいいのか、頭が空っぽになってしまったのだ。しびれを切らしてぼくは言った。何と言ってもぼくは部長なのだ。


「で、秋内の知り合いはどうなったの」


 わざと冗談っぽくぼくは聞いてみた。秋内の返事を聞いて数人が悲鳴を上げた。ぼくもひっと息を飲んだ。少し匂いが漂い始め。尿の匂いだ。誰かが失禁したのだ。たぶんぼくではない。と思うが自信はない。ぼくが失禁したと思われたくないので頑張ってまた話を続けてみた。


「あんでそんだ変なだまえだの?」ちゃんとしゃべれなかった。そしらぬ振りをして言い直した。「何で、そんな、変な名前なの?」


「それは」と秋内は口を開いて口をつぐんだ。また数人が悲鳴を上げた。まだ何も言っていないのに。ぼくもまたひっと息を飲んでしまったんだが。だしぬけに電気が消えた。部室だけではない。廊下も、窓の外の街灯も、ついているはずの非常灯も何もかも。


 真っ暗になった室内に悲鳴が交錯した。「落ち着け!落ち着け!」とぼくは叫びながら、もうこのふくれあがる尿意をどうにも我慢できないのに気づいた。このままでは服を履いたまま大放水をしてしまうことになる。いまなら何とかなる。この暗闇に乗じれば。


 懐中電灯の光が暗闇を切り裂いた。

 サバイバルマニアの遠藤が小型のマグライトをつけたのだ。

「おう。遠藤。ナイスフォロー」ぼくはそう口にしたが、本当は殴り倒してやりたかった。でもその瞬間、突然天才的なアイデアが浮かんだ。「それ持ってさ、トイレまで肝試ししようぜ」


 どういうわけかほぼ全員が圧倒的な勢いで賛同した。結局みんなトイレに行きたかったんだ。そういうわけで部員11人がぞろぞろ連れ立って部室を出た。遠藤のマグライトが廊下を部分的に照らし出す。どういう意図があるのか分からないが、最初に天井を照らし、廊下の左右の端をなめるように床を照らし、それからさっと廊下の先の方を照らし、また天井を照らし……とライトを振り回す。そのたびに闇の部分がわっわっと動くのがひどく恐ろしい。でも誰もそんな文句は言わない。早くトイレにつきたいからだ。


 もう間もなくトイレに到着しようかという廊下でいきなり電気が元通りついて、また何人かが悲鳴を上げた。怖くて怖くてたまらない。電気がついたのに。恐怖が感染してみんなろくに口もきけない。その部員たちの怯えた目を見るのがまた恐怖を増幅させる。お互い見ない振りをしていたが、何人かはもう我慢しきれず足元を濡らして始めていた。ぼくは大丈夫だ。まだ持ちこたえている。とはいえ限界だ。それに部長だ。何と言っても11人の部員を引き連れる部長だ。堂々と振る舞わなければならない。そこでぼくはすたすたとトイレに近づき、「じゃ、お先に」とドアを開いた。


 トイレの中にそれは立っていた。ぼくを待ちかねていたという表情で、ひんやりとした微笑みを浮かべ、それから祝福の言葉を口にした。


(「おめでとう」ordered by 花おり-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る