第51話 新カクテルのご案内
____さま
平素は一方ならぬご厚情賜り誠に有り難う御座います。さてこの度、本日零時零分零秒を持ちまして私ども「MARS STONE」では開店50周年を迎えました。これを記念致しまして、完成したばかりの新しいカクテル・レシピをメニューに追加致しました。51年目を、そして次の50年間へのスタートを飾るにふさわしい極めて現代的、同時代的なカクテルだと自負しております。お近くにお寄りの際は是非とも当店へお運びくださいますようお願い申し上げます。……
* * *
深夜零時に行きつけの店からメールが届いた。妙に古めかしくかしこまった文体が逆にふざけた印象を生んでいる。そんな堅苦しいビジネス文書を書くようなキャラクターじゃないくせに、わざわざこういうことをする。だいたい50周年だなんてホラに決まっている。全くあのマスターは食えない親父だ。せいぜい5周年がいいところだろう。でも新しいカクテルというのは気になる。そう思ってノートブックを閉じ、店に足を運ぶことにした。なあに。すぐ近所なのだ。「お近くにお寄りの際」もないもんだ。
もともとカクテルなんか大して関心もなかったが、この店でいくつかのカクテルを飲んでからすっかりはまってしまった。初めて飲んだのは「レセプション」で、この時の体験が全てを決定づけたと言っていい。この店に完璧な形で迎え入れられたと感じたのだ。店の名を冠した「火星の石」はまさしくホラ話で盛り上がりたいときにうってつけだ。「アラーム・クロック」を飲んだ時は個人的なツボをつかれて胸を熱くしてしまった。
階段を降りて店にはいると、マスターはメールのことなどまるで知らないようなすました顔つきで「いらっしゃいませ」という。こちらもわざとメールのことには触れずに灰皿を置いてくれるバーテンダーに「何か新しいカクテル、ある?」と聞く。バーテンダーはバーテンダーで「ございます。お試しになりますか?」なんて白々しく言う。飲ませたくて仕方ないくせに。「お願いします」というと「かしこまりました」と用意を始める。ウォッカベースで、ジンジャーエールと、何か漢方っぽい木の実だけ使ったひどくシンプルなものだ。それぞれをグラスに直接入れてステアするだけ。拍子抜けするほど簡単につくってカクテルグラスに注いでくれる。
本当に新しいカクテルなんて作ったんだろうか。こちらの疑わしげな視線をものともせずに、バーテンダーは「どうぞ」とグラスを差しだし、すぐさま次の作業に移る。能書きも何もなしだ。そこで口に含む。隣の席では父が難しい顔をして文庫本を読んでいる。何もせっかく一緒に店に来てまで文庫本を取り出さなくても、と思うが、ふとそのタイトルを見て、思わず声に出す。「あ、トールキン!」すると父は目を上げこちらを見て、口元に笑みを浮かべる。ここ何年も見たことがないような笑みだ。
そこで像は崩れ再び店のカウンターに座っている。
「いかがでしたか?」
親父が座っていた場所にマスターが座り、尋ねてきた。
「親父が出てきた」
「お父様が……しばらくお会いになっていないんですね」
「ああ。連絡も取っていない。何を話したらいいかわからないし」
「そういう方とお会いになることが多いようです」
「連絡取ってみるよ。何を話したらいいかわかったから」
「へえ。それは?」
「『指輪物語』の話だよ。トールキンの。子どものころ、親子ではまってたんだ」
「ああ。それはいい。みなさん、そうおっしゃいますね」
「そうって?」
「『何を話したらいいかわかった』って」
「何て名前?」
「はい?」
「カクテル」
「『パスワード』です。もう一杯お飲みになりますか?」
「いや。親父にメールでも書くよ」
「こんな時間に?」
「こんな時間にだって? あんたが、よく言うよ」
(「パスワード」ordered by はかせ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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