第48話 ピニャ・カラーダ

 ホテルの部屋にいてもすることがないので1階に降りてバーを探した。ボーイをつかまえて場所を尋ねると外の方に案内されてしまうのでどうなることかと思ったらプールサイドにバースペースがあった。あちこちに丸テーブルが配され、それぞれ椰子の葉で葺いたパラソル状の屋根がついている。夜空の下でトロピカルドリンクを飲むという趣向だ。なるほどここはリゾート地でもあったのだ。


 やはり椰子の葉を葺いた屋根のついたやや大きめのコーナーがバーテンダーのいるカウンターで、客はそこでめいめいにドリンクを注文して、金を払い、好きな席で飲めということらしいが、パラソル付きの席はもう満員だ。声からするとドイツ人とイタリア人ばかりがいるようだ。いずれにしても白人ばかり。現地の人間は一人もいないように見える。東京でこういう洒落たつくりのホテルのバーをつくると、現地人、つまり日本人が少なくとも客の7割はいるだろうに。


 仕方がないのでバーカウンターのスツールに掛ける。プールも見えないし、星空も見えない。夜なのにセパレーツの水着を着てデッキチェアーに横たわっている女たちもここからは見えない。見えるのはカウンターの中で身振り手振りも派手派手しくカクテルづくりのパフォーマンスをしているバーテンダーだけだ。おまけにドリンクメニューの95%は甘ったるそうなトロピカルカクテルだ。何をしに来たのかわからない。これじゃあ部屋で飲んでいた方がマシだ。他に選びようもないのでビールを頼む。


「お客さん、日本の方ですか」妙に目の大きい優男が日本語で声を掛けてくる。「ここいいですか?」


 おれが返事するより先に男はそこに腰掛け「ピニャ・カラーダ」と注文する。ピニャ・カラーダだと? それはピナ・コラーダのことか? ピナ・コラーダだけでも許せないのに、よりによってピニャ・カラーダとは何だ。お前はそれでも日本人か。


 腹を立てていると男は急に振り向き「わたし、何人に見えますか?」と問題を出した。日本人ではないのか。黙ってにらみつけていると「この国の人間です」と正解を教えてくれた。現地の人間も店の中で飲んでいたのか。「でもここで、この国の人間、わたしだけ」まるでおれの心の中の声と会話をしているように男が言う。じゃあお前は何なんだよと思っていると「わたしは特別。ホテルに雇われて昼間日本人のガイドしているから入れるね」とまた教えてくれた。おまえは“さとるの妖怪”か。「お客さんショーは見ないの?」


 そう男が言った途端、プールの向こうの方がザワザワして、急にどやどやと客がなだれ込んできた。店のスタッフが慌てて対応に走るが、プールサイドにどんどん人があふれてきている。いくらあふれてきたってここにはもう席はないのに。すると店の者と話していた一人の男が急に怒り始める。その声を聞いてそいつらが日本人だということがわかる。


「お客さん、わたし、行ってきます。わたしのお客さんもいるみたいだから」男は律儀にきちんとした挨拶をして席を立った。相変わらず大声で文句を言う日本人と、それを懸命になだめる店のマネージャーか誰かの声が聞こえる。おれには関係ない。もう一杯ビールを頼む。やがて目の大きな優男は戻ってきて報告する。「ショーがね、中止になったみたい」「ショーって?」「あれお客さん知らないの。日本のヴェリフェイマスなマジシャンのマジックショーよ」「誰」「ハレルヤ・サイトーよ」「知らない」


 男は少し驚いたような表情でわたしを見、「ヴェリフェイマスよ」と繰り返した。おれはあいまいにうなずき、騒ぎの方に目をやる。数人の日本人がすごい剣幕でマネージャーに何かを要求している。ショーが中止になったうっぷんを晴らすために飲みに来たら満員だったのだ。当たり散らしたくなる気持ちもわかる。熱心にそちらを見ているので、関心があると思ったのか男は説明し始める。


「ハレルヤ・サイトーはとても偉大なマジシャンね。ヘリコプター、飛んでるところ消したり、ジャンボジェットを鳥に変えたり。すごいよう」見たことがあるのか。「わたし解説するだけ。見たことない。でも見たお客さん、みんなびっくりする。みんな楽しみにしている。今日やるはずだった『熱帯の雪』もとてもすごい」


「『熱帯の雪』だって?」おれは思わず聞き返す。

 男はおれからやっと反応を引き出せたので俄然元気が出てきたようだ。

「はいそうです。雪降らせます。この熱帯に。みんな空見上げる。タネも仕掛けもない。でも雪降る」

 男の興奮をよそにおれは納得する。だからか。だから今回の作戦には「熱帯の雪」などという気取った名称がついているのだ。ばかばかしい。


 その時ホテルの建物の方から一人の男が駆けてきて大声で叫んだ。

「ハレルヤ・サイトーが睡眠薬を飲んだらしい!」

 プールの向こうがざわめく。まずい。そういう騒ぎは起こって欲しくない。チャンスが失われてしまう。また日本に戻れなくなってしまう。ようやく日本政府が司法取引を用意してくれたのに。またくそいまいましいあの砂漠にとじ込められて何年も何年も過ごすことになるのか!


「大変ね。お客さん。明日の取引はナシだね」優男は大きな目をぐりぐりさせながら声をひそめて言う。「本当に熱帯の雪、なっちゃったね。すぐ溶けて無くなる」


 連絡役だったのか、この男は。「どうするお客さん。おごるよ」他にどうできる? これで当分日本の地を踏むチャンスはなさそうだ。飲むしかあるまい。「ハレルヤ・サイトーの話をもう少し聞かせてくれ」「わかった。飲み物はどうするお客さん」考えるまでもない。「ピニャ・カラーダを」


(「熱帯の雪」ordered by きのの曹長-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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