第33話 独白

 時々足を運びたくなってね。父は片手で口のまわりを拭うようなしぐさをする。かさかさの頬をかさかさの手のひらがこする音がする。一人で来るんだ、たいていはね。迷惑じゃないんですかと尋ねると、口元に笑みをたたえて、かまわんよと言う。今日はお前のために時間を取ると約束した。場所はどこでもいいと言うからここに決めた。私がそうしたかったからそうしたまでだ。


 父は腰を下ろすと座り心地を確かめるように身じろぎしてから尻の落ち着くところを見つけた風で、満足げなうなり声をあげる。一人で来るというのはどのくらいの頻度で? そうだな。月に1度、いやふた月に1度というところかな。本当はもっと来たいんだが。あらかじめ計画を立てて? とんでもない。計画なんか立てられんよ。その時ふと思い立って目についたところに入る。さもなければ昔々からあるお馴染みのところにね。昔々って? 学生時代だよ。そう。学生時代。講義をさぼってね、よくこもったもんだ。ここも、今日選んだここも本当はその一つだったんだよ。建て直されて真新しいからそうは見えんが、私の学生時代から同じ場所にずっとある。いろいろ観た。『クライングゲーム』『ブルーベルベット』『マーラー』『桜桃の味』『神経衰弱ぎりぎりの女たち』『ブルジョアジーの秘かな愉しみ』。単館ロードショーっぽいのばかりですね。単館ロードショー? ふふん、そんな言葉が生まれる前からその手の映画ばかり観ていた。いまでも内容を覚えていますか? 覚えていますかだって? 忘れるもんか。何も忘れんよ。何一つ。


 父の視線はスクリーンにまっすぐ向かっている。何一つ、ですか? そうだ。『アマルコルド』を観終わって外に出たら一面の雪だった。映画を見ている間に大雪が降っていたんだ。『気狂いピエロ』を観たあとすぐに買い物に行った。ああいう服を着たかったんだな。あなたが? ベルモンドみたいな服を? そうだ。それから、そうそうそれから『サクリファイス』を見たころは二股をかけていてね。父は喉の奥の方でくっくっと笑う。おかげで二度観に行く羽目になった。でも眠ったのは一回目で二回目の時は食い入るように観ていたな。


 ここではどんな映画が見られるんですか? ここ? この映画館か? それとも。ええ。この施設ではどんな映画が見られるんです? ふむ。どんな映画、か。どんな映画でも観られる。でも先ほどこの刑務所のライブラリーを拝見したらルーカスとかスピルバーグとかトム・ハンクスとか。いやいや、どんな映画でも観られるんだ。あなたはここでも特別扱いと言うことですか? まさか。刑務所で特別扱いなんてことはない。いいかね。全てが入っているんだ、私の頭の中に。私はただここに来て2時間ほど座っている。他のみんなが中庭で運動をしている時間だ。年寄りが建物の隅でじっとしていたって悪くなかろう? するとあなたはここにいて。そう、ここにいて映画を丸ごと観るんだよ。心の中で? いいやありありと目の前に観るのさ。


 ああ。いまぼくとこうして話しているように? そう。こうして話しているようにね。今日はお前が会いに来てくれてよかったよ。映画は観られないが、まあそんなことはいい。看守は誰と話をしているんだろうと思っているだろうよ。おおかた頭がおかしくなったってね。それから父はしばらく身じろぎもせずはるか先にあるスクリーンを見つめている。抗争の中で先に死んでしまった息子のことを思いながら。だからぼくはそっとその場を離れる。それに気づいて父は目を上げ、看守を呼ぶ。


「今日は中庭に出るよ。日に当たりたい」


(「単館ロードショー」ordered by カウチ犬-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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