第32話 お賽銭談義

 文化人類学だか比較宗教学だか知らないがそういうのを修めた女と結婚するとろくなことはない。例えば家族3人で近所の有名な寺に初詣に行くとしよう。するとこういうことになる。


「あれ。5円玉がないや。5円玉持ってる?」

「いいのよ1円でも10円でも100円でも」

「いやでもお賽銭は5円だろう」

「いくらでも変わんないって」

「んなこたないだろう。1円と500円じゃ500倍も違うし」

「だから同じなんだってば1円でも500円でも」

「同じって。わけわかんないし」

「それは頭が西欧文明型の価値観に毒されているからよ」

「頭が何に何されているって?」


 3歳になる娘は敷き詰められた石を拾っては投げて遊んでいる。


「西欧文明型の価値観に毒されているのよ」


 娘と一緒に石で遊んでいたい。


「毒されなかったらどうなるの」

「すべてのものが等価なものとして交換可能になるの」

「1円玉と500円玉が?」

「1より500の方が大きい、500より1の方が小さいなんてことをいちいち比べたりしない世界なのよ」

「いやそりゃ仏さんがそろばん勘定しているとは思わないけどさ」

「そういうことじゃなくて、仏教では一つの世界は無辺なる世界で無辺なる世界は一つの世界だから有限な数の多少なんて意味を持たないの」

「えっと……ムヘンって何だよ」

「広大無辺な世界。全世界よ」

「そりゃ全世界は一つだろうよ」

「じゃなくて、部分は全体で全体は部分だっていうこと」

「大丈夫かお前」

「だから」


 おれがふざけていると思って妻は苛立ち始める。おれはふざけているんじゃない。真剣に大丈夫か心配しているのだ。


「有限の数字を並べて、その大小にとらわれるのは西欧文明的な価値観だって、一神教的に画一化された価値観の世界だって言ってるの」

「それはわかるけどさ。部分って言うのは全体の一部だから部分なんだろ? それが全体と同じだって言われても」

「部分を見れば全体がわかって、全体を見れば部分がわかるってことよ」

「1円玉を見ても500円玉のことはわかんないぜ」

「だからそこにはもう区別はないの!」

「区別がない? いやあるだろう。だって1円玉出して煙草くれって言っても売ってくんないぜ」

「だから貨幣経済も西欧文明的な……」

「ああわかったわかった。つまり仏教だから1円でも5円でもいいわけね」

「そう」

「じゃあ、0円でもいいってことかな。スマイル0円みたいなので」

「だめだめ。0円では関わりを持てないじゃない」

「カカワリヲモテナイ?……あそ。じゃあ1円でいくわ」

「最初からそう言ってるじゃない」


 はいはい。ため息をついて1円玉を投げ入れ手を合わせるおれの横で、妻は自分の財布を開けて2枚の5円玉を取りだして1つを娘ににぎらせる。


「あれ? なんだよ。自分は5円玉かよ」

「だってご縁があった方がいいんだもん」

「ええー?」


 二人がお賽銭を投げ入れる。


「ご縁がありますように」

「ごえんがあいまふようい」


 なんだよそれー。文化人類学だが比較宗教学だか知らないがそういうのを修めた女と結婚すると本当にろくなことはない。


(「5円玉」ordered by tara-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る