第30話 門松を選ぶ

 父は何でも「元来日本では」と理屈をつけて、いろいろ奇妙なことをやっては「だからこれでいいんだ」と悦に入っていた。例えば長髪。わたしが子どものころ友だちの男親で髪の長い人なんて皆無だった。本人は「元来日本では男が髪を長くして結うのは当たり前のことだったのだ。短くするのはたかだか明治以降の 欧米かぶれの習慣に過ぎん」と意気揚々としていたが、時代的にはヒッピームーブメントのさなかだったので、まわりからは「年甲斐もなく若作りをしている」 と思われていたようだ。わたしも弟もそれが恥ずかしくて仕方がなかった。


 それから何かというと太陰暦を持ち出すのも迷惑だった。睦月、如月、弥生といった言葉を使うので、小さいころわたしは1月、2月、といった月以外にも卯月とか神無月とかいう月があって、1年は20カ月くらいあるのだと本気で信じていた。おかげでひどい恥をかいたのでそのことでは真剣に父を恨んでいる。盆を旧盆にやるのはまだいいとして、正月も世間がみんなお正月の時には「元来日本ではまだ師走で」とか何とかまくし立ててろくに正月らしいことをせず、あげくに旧正月が来ても自分が忙しいものだからやはりろくに正月らしいことをせず、でもそれがおかしいということに気づいたのはわたしがある程度大きくなってからで、確かわたしが小学校4年生の年にようやくうちにも当たり前の正月が来るようになった。わたしが文句を言ったせいもあるが、本人も正月らしいことがしたかったのではないかと思う。そうでなければなかなか自説を曲げるような人ではないからだ。


 とはいえこれもただではすまなかった。父の説によれば「元来日本では門松というものは常緑樹であれば何でも良かったのだ」ということで、信じられないことだがクリスマスツリーを門の前に飾り、それをそのまま正月まで立て続けて「これでいい」と言い張ったのだ。さすがにクリスマスを過ぎるとオーナメントこそ外したものの、端から見ると、理屈がどうだろうと「片づけ忘れた家」「何かを間違えている家」以外の何物でもない。このことではわたしも弟も泣いてやめて欲しいとお願いしたのだが、父は頑として聞き入れようとしなかった。これでいいのだの一点張りだった。これも後から考えれば、恐らく旧の正月を譲った分、何かで自分の主張を貫きたかったのだと思うが、家族はいい迷惑である。


 だから数年前の正月に実家に帰って、当たり前の門松が当たり前に飾られているのを見て、嫌味半分にクリスマスツリーを飾らないのかとからかってみた。すると父は真顔で「そんなことがあったはずはない」と言った。押し問答の結果、わかった父の主張は「当時うちは旧の正月を祝っていたので、クリスマスからだと1カ月以上飾り続けることになってしまっておかしい。そんなことがあったはずがない」という理屈だった。その時初めて、父の記憶があやうくなり始めていることに気がついた。わたしが小学校4年生以降の記 憶がどんどん失われていたのだ。


 やがて父はときどき自分がまだ40代や30代だと思いこむようになり、いくつかの問題を引き起こした。行動を規制されるようになってからは急激に体調を崩し、間もなく世を去ってしまった。死の直前には、母のことをその母親だと思いこむようになり、しばしば「ミツコはどこですか」と母の居所を母本人尋ねたそうだ。ときどきは「元来日本では」といいかけたものの話す内容を思いつかず、そのままになってしまうこともあったらしい。最期の言葉も「元来日本では」だったら話は面白いのだが、残念ながらそうではなく「ミツコさんをお嫁にいただけないでしょうか」という挨拶だったらしい。20代の頃、母の両親の元へ挨拶に来た日そのままの、緊張した真剣な顔つきでそう言ったそうだ。母はそのことを少し嬉しそうに語った。


 年末に門松を買いに行って、シンプルな松だけのものや可愛いミニ門松や、いろいろ並んでいる花屋の店先を物色しながら、夫とどれにしようか話している時にふと「シンプルなのでいいんじゃない? もともと日本では常緑樹なら何でも良かったらしいから」と言って、はっとした。自分も父のようなことを言い出す年齢になったんだろうか? 小さいころは嫌でたまらなかったのに。と思っていたら夫が言った。

「いつも感心するけどさ、おまえってそういうこと、ホントよく知っているよなあ」

 どうやら知らないうちにいつも言っているらしい。次からは「元来日本では」と言ってみようかな。


(「門松」ordered by 花おり-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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