第28話 観念論的水族館
無意識という言葉が嫌いでね、それがすべての始まりでした。
無意識という言葉を軽々しく使う方は、意識を上等なものだと思っておられて、無意識をその下にある訳のわからないぐちゃぐちゃしたものだと考える傾向にあります。冗談じゃありません。言ってみれば意識なんてポケット版事典みたいなもんです。事典の本体部分は図書館まるごとを埋め尽くしてなお日々追記されあふれ返り続けている。そんな感じ。この場合、本体の事典のことを「無ポケット版」なんて言いますか、普通?
ああ。違うなあ。これは違います。事典じゃ整然とし過ぎている。そうじゃない。
無意識は、結局のところ、海です。海なのであります。無意識と呼ばれているものこそ豊饒の海であり、意識なんてものはその一部をすくいとった水族館に過ぎない。なるほど水族館は色々工夫が凝らされていて一日いても見飽きないけれども把握できないほどのものではありません。それは目に見え触れることができ、ここからここまでが水族館だと言うことができ、図面や解説書にまとめることだってできる。
海は、何年何十年かけたってその全てを把握することは不可能です。生物の種類の多少のことだけを話しているのではありません。もっと圧倒的な差があるのです。早い話、水族館には海底火山はないし、海流もないし、海溝もない。それくらい違う。それくらい無意識と呼ばれるものは豊かで多面的で可能性に満ち満ちていて、対する意識は貧弱でぺらぺらで辻褄合わせに汲々としている。海のことを「無・水族館」と呼ぶようなものです。ああ。これの方が近い。
海そのものはあまりにも巨大で要素が多くて扱いきれないから、扱いやすいところだけちょこちょこっとまとめて簡易版にしたものが水族館です。無意識と呼ばれるものもまた、あまりにも巨大で要素が多くて扱いきれないから、扱いやすいところだけちょこちょこっとまとめて簡易版にしたものが意識です。だったら無意識という名前を変えてみたらどうでしょう。かろうじて手に負えるサイズの「簡易版の海」が水族館なら、かろうじて手に負えるサイズの「簡易版の無意識」が意識というわけです。 海と水族館、無意識と意識、どちらが主でどちらが従かおわかりいただけるでしょう?
でも困ったことに、実際にはもうこの水族館さえも大きくなりすぎて扱いきれなくなってきています。だからみんな海のことを持て余しているんですよね。水族館の中ですら行き迷っているのに海のことなんか考えていられるかってわけです。ということで、当水族館ではついに画期的な手法を発明しまして、この巨大化してしまった水族館をそのまま海の中に戻すことにしたのであります。
入り口はこのようにちゃんとありまして、入館料もいただきます。最初のうちは浜辺の生物、岩場の生物、太平洋の生物、熱帯の海の生き物という具合に進んでいきますが深海の生物に行くあたりでそこはもう本物の海になっています。気がつくと建物もなくなっています。我々としては可能な限りガイドをつとめますがなにしろ相手が海ですからどこまでお客様の対応ができるかわかりません。これはあらかじめご了承ください。
というわけで入館料と一緒に保険料をちょこっといただきます。こちらにご署名と入金をお願いいたします。本日は水族館「無意識の中の意識」オープン記念価格として特別定価でお届けしております。それでは本物の海の醍醐味をどうぞ存分にお楽しみください。
(「無意識の中の意識」ordered by helloboy-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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