第27話 in the car
「ソウくんこんにちは! おじさんお邪魔しまーす」
「はいどうぞ。狭くてごめんね」
「それじゃあ今日はよろしくお願いします。メグミいい子にするのよ」
「はーい」
「では行ってきます」
なんだ。母親は一緒に来ないのか。
バリバリのキャリアウーマン風に決めたその母親は、おれたちに娘を預けるとさっさと行ってしまった。娘も母親に負けず劣らず華のある少女で、とてもまだ幼稚園児とは思えない存在感を放っている。顔立ちが整っているのはもちろんのこと、言葉づかいもしっかりしているし、態度もはっきりしているので接していて気持ちがいい。それに何と言っても目に力がある。お仕着せのファッションで格好をつけているのではない、自然なオーラが出ているのだ。うちの息子がこんな子と仲良くしているというのが不思議だ。いいように利用されているんじゃあるまいな。
サイドブレーキをはずして車を出す。後部座席では子どもたちが話し始める。
「じゃあ今日は何にする?」女の子が意気込んで言う。「むずかしいのがいい」
「そうだな」息子が少しためらうようにしてルームミラー越しにこっちの様子を見ている気がする。何だ? その目つきは何だ?「むずかしいっていうのはクイズっぽいってこと?」
「クイズっぽいって?」
「たとえば、カフェオレとカフェラテの違いは何かとか」
「じゃなくてー」女の子はあっけらかんと言う。「もっと何て言うの、アダルト?な感じの」
アダルト? いまうちの息子の女友だちはアダルトと言ったのか?
「え? どういうこと?」息子の声が聞き取りづらいくらいに低くなり、ますますルームミラー越しにこっちを見ている。何なんだ? 察するに、いまからする話をおれに聞かれたくないと言うことなんではないかな。「あのさ、それってまた今度に……」
「色気とセクシーの違いは?」
婆さんをひきそうになって、あわててブレーキを踏む。
「きゃっ!」女の子が叫び、息子にしがみつく。
「失礼」おれは車内の小さな紳士淑女諸君に謝罪する。「ばば……、失敬。おばあさんが急に飛び出してきてね」
後部座席が気になって婆さんに気がつかなかった。あぶない危ない。
「大丈夫ですよ、ソウくんのパパ」女の子は明るい声ではきはきと言う。そうか大丈夫だったか、良かった良かったと心が晴れ晴れしてくるような声だ。そのままの声で会話に戻る。「説明できる? 色気とセクシーの違い」
「ええー?」
息子が答えようとしないのはわからないからではなくて、そこにおれがいるからに違いない。きっとおれがいなければいつもこの少女とこういう会話をしているのだ、おれの息子は。どういうことだ? いまの幼稚園児というのはどういうことになっているんだ? これは一般的な現象なのか、うちや、あのキャリアウーマンのようにシングルパパやシングルママの家において一般的に引き起こされる現象なのか?
「じゃあさじゃあさ」少女があどけない声で論点をさらに深める。「たとえば誰なら色気があって、誰ならセクシーかな」
「落語家で色気があるとかって言うよね」しばし、考え込んだ後で息子が言う。「あれは芸風の話だけど、セクシーな落語家って言うと単にプレイボーイって感じで」
「あ! あ! あ! ダメダメ、そういうので逃げちゃ。もっとストレートに、男女関係限定で行こうよ」
男女関係限定で行くんだ。
「じゃあソウくんにとって誰なら色気があって誰ならセクシー? わたしは?」
「ええっ?」息子はものすごく困っている。おれだって困る。あんな聞かれ方したら。どう答えればいいんだ? 「ソウくんのパパはどう思います? わたしは色気がある? セクシー?」
なんでおれに振るんだ?
「ははは。幼稚園ではいつもそんな話をしているのかな?」
「ねえソウくんはどう思うの?」
シカトかよ。おれのセリフはシカトかよ。
「落語家の話じゃないけど、セクシーって言うのは性的に引きつけるってことだと思うんだ」息子までおれをシカトだ。「色気っていうのはそれに限定しない、愛嬌みたいなものも含むんじゃないかな」
というかその深い議論は何なんだ。大人のおれにだってそんな会話はできないぞ。
「また逃げる。わたしはどうなの?」
「だからメグミちゃんはセクシー以前、色気少々って感じかな」
なんてうまいことを言うんだ。おれにトークを教えてくれ息子よ。
「なにそれ」不満なのかよ。すげえうまいこと言ったじゃん、おれの息子。「ねえ、ソウくんのパパ、うちのお母さんは色気がある? セクシー?」
セクシー、かな。ってまともに考えてどうすんだよ。
「メグミちゃんのママはとっても魅力的だから、どっちもあるんじゃない?」
メグミちゃんの口から伝わることを想定しておれは言葉を吟味する。
「ソウくんのパパは色気って言うよりちょっとセクシー、かな」
幼稚園女子にセクシーだと言われておれはどうすればいいんだ?
「パパの話はいいよ」息子がはなはだ迷惑そうに言う。
「どうして? 大事な話じゃない! わたしのパパになるかも知れないんだから」
えー? そうなのー?
いけないまた婆さんをひいてしまうぞ。
「ないよ。そんなの。パパはメグミちゃんのママが一緒に来るのかと思っておめかししてきたけど、メグミちゃんのママは全然そんな感じじゃなかったじゃない」
そうだよなあ。あれって幼稚園に送り迎えしているときに見るいつも通りの仕事のスーツだったよな。っていうか息子よ、お前はそんなことを観察していたのか。
突然会話が途切れたことに気づく。どうしたんだ? ミラーをのぞくとメグミちゃんが歯を食いしばりながら涙をこらえていた。え? 何だ? え? え? 何がどうしたんだ?
「わたしだって、パパが欲しい」
うわっ。いきなりそう来るのかよ。くっそー。涙出て来ちゃったじゃないか。どうしたらいいんだ? 何なんだよ。何なんだよお前ら。おれにどうしろっていうんだ?
「大丈夫だって」息子が言う。「いいことがあるよ。時間はかかるかもしれないけど」
出る幕なし。お父さんは裏方に徹します、はい。ああそれから。おれ、さっきの話の答、わかったよ。お前らだよ、色気とセクシーっていうのは。
(「色気とセクシー」ordered by オネエ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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