第26話 風の問題
通りを歩くと冷たい風が正面からぶつかってきて息がつまりそうになる。かろうじて胸郭を広げ呼吸(いき)をしようと試みると、肺腑に流れ込んでくる空気はどこまでも透明できりりとひきしまり身体を内側から洗い流してくれる。
空は澄みわたり光満ちあふれ、わずかに浮かぶ雲の白も一点の濁りもなく輝くばかりだ。年末から年始にかけてしばしばこんな空を見ることができる。おれはそれを「正月晴れ」と呼んでいる。まだ正月になってなくても、暮れでも正月晴れ、だ。旭川にいても仙台にいても清水にいても高松にいても佐賀にいても正月晴れだ。思えばいろいろな場所で正月を迎えてきた。仕事柄これはもういかんともしがたい。風が吹けばその風に従い、町から町へとさすらうわけで、次の行き先は文字通り風に聞いてくれというわけだ。
風を背にして声を張り上げる。
「えー。風博士~風博士。風に関するお悩みご相談は風博士まで」
おれの声は風に乗って辻から辻へ町から町へと広がっていく。もっともどこの町に行ってもたいていは風邪薬を売りに来たと思われて、なかなか本来の仕事の依頼はない。風博士という仕事があること自体、あまり知られていないらしく、聞けば『13歳のハローワーク』にも載っていなかったという。
風博士をご存じだろうか? 大気の躍動、風の力を使わせていただき、風が害をなすときにはこれをやわらげ、時には風と戯れる。風と戯れるとはこういうことだ。夕べ訪れたこの町では一定した調子で強い風が吹き続けている。これを使わない手はない。動く玩具をつくり、風の力で音楽を演奏させてみた。安定した風を受けて風車がまわり、砂利の詰まったバケツがするすると引き揚げられる。帆に風をはらんだ陸上ヨットが走り回り、紙飛行機が滞空時間の記録を伸ばし続ける。その背景で自動風琴が愉快な調べを奏で続ける。
でもどうしたわけかこの町の人は集まってこない。よそ者を避けているのだろうか。昼過ぎまでその場でひとり遊んでいたが誰一人近寄ってこない。子ども一人寄ってこない。どうにもこうにもらちがあかないので、せめて最初から子どもが集まっているところを探しに行こうとしたその時、初老の男が一人近づいてきた。用心深く、値踏みする目でおれを見つめ、口を開く。
「風博士というのは風の玩具屋か」
「玩具も作るが風全般を扱っている」
「風を起こすのか」
「いやいや吹いている風を使わせてもらうだけだ」
「じゃあこの風を止めることはできないのか」
「風を止める?」どうしてそんなことをしなきゃいけないんだ?「この風を止めたいのか? 止めることはできないが吹いて欲しくない場所に吹かなくすることはできる」
「吹いて欲しくないところに……」男はその言葉の意味を確かめるように繰り返し、軽く首を振った。「だめだ。それではこの町は救えん」
「町を救う? もう少し詳しく聞かせてもらえんかね」
男の話は長かった。あっちに行ったりこっちに来たり。気まぐれに吹くつむじ風のダンスみたいな話ぶりだった。簡単に要約するとこういうことになる。この風は毎時毎分毎秒24時間365日一定して吹き続け、おかげでこの町はどんどん吹き流されて移動し続け、元々は山の麓にあったのにどんどん浜の方に押し寄せられ、いよいよこの年末にも海の中に押し出されそうだというのだ。
「なんとまあ」なんとまあ、そんな話は聞いたことがない。「では風が町を押し流すのを止めなければならないわけだね」
「そうだ。というか」
「というか、何だ?」
「本当は、元のところまで戻して欲しい」
元のところに。なるほど。これこそ風博士の出番、腕のふるいどころだ。
「わかった。やってみよう」
そういうわけで今年はこの町で正月を迎えることになりそうだ。
お前たちは元気にしているか。そっちも正月晴れか。母さんによろしく伝えてくれ。よいお年を。
(「正月晴れ」ordered by delphi-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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