第18話 矜持(プライド)

 そして作家はマントを羽織ると誰にも声をかけずむっつりした顔で外出する。腕組みをして、足早に。黙々と歩き続け、早くても半時間、長いときは3時間くらい帰ってこないこともある。その間、どこに立ち寄るでもなくただただ歩き続けているらしいが、誰かがついて回って確認したわけではないので確かなところはわからない。

 家の者はそれを見て、ああまた行き詰まっているのだなと察する。いつもそうなのだ。書いているものが先に進まなくなるとこのように歩きに出る。目的は答が見つかるまで歩き回ることなので、すぐに答が見つかればそれで帰ってくる。でもだいたい頭の中で整理するのに時間がかかるので最低でも半時間くらいはかかるわけである。

 たいていは細かい表現に関することで、例えば今日などは「生え抜き」にするか「生粋」にするかで悩んでいる。場合によっては「たたき上げ」の方が適切なのではないかと思いついたあたりから、考えるべきことが膨らんでしまった。「生え抜き」か「生粋」かはほぼ同じ意味なので好みの問題とも言えるが、ここで「たたき上げ」を選ぶと主人公の設定がいささか変わってしまう。いままで書き上げた部分も修正しなくてはならなくなる。そこまで踏み込むべきかどうかで悩んでいるのだ。


 もうひとつ作家を悩ませていることがある。


 それは夕べ編集者が教えてくれたインターネット上のある流行の話だ。インターネットの利用者の誰かが「お題」と呼ばれるものを出し、それに対して作家気取りの連中が極々短い小説をものすごいスピードで書き無料で公開する、ということが流行っているらしい。サドンフィクションと呼ばれるそれらの作品は少なく見積もっても既に10万点を超すというすさまじいボリュームになっており、あろうことか多くの読者を獲得しているというのだ。それもずっと活字離れを指摘されていたはずの若年層がこれを面白がって異様な活況を呈しているらしい。編集者によれば、いずれは読書文化は印刷された活字ではなくインターネット上に移行し、出版社を逼迫するのではないかとまで言うのだ。

 ふざけるな! と作家は考える。そんな思い付きをただ垂れ流すようなものがまっとうな作品として世に認められるわけがない。例えばわたしは、こうして歩き回る中で、それまで三人称で進めていた物語の話者を二人称にすべきだという結論に達し、既に書き上げていた600枚にもおよぶ原稿を全て書き直したことがある。そういう全身全霊を賭けた作業をその者達は想像さえできないに決まっている。


 編集者は言っていた。最初に始めたのはa.k.a.hiroとかいうどこの馬の骨とも知れないコピーライターで、しばらくは1人でやっていたが、わずか1、2年ほどの間に我も我もと書き手が増えていまや1万人近くの書き手がインターネットを徘徊しているらしい。

 広告屋風情が! 作家は苦々しく思う。どうせあっちこっちで仕入れたネタを上手につぎはぎするのが得意なんだろう。その手の剽窃まがいの閃きばかりが上手で、それが模造文化に慣れた読者に受けているに決まっている。だいたいa.k.a.hiroとは何だ? 何て読むのかもわからない。「あかひろ」とでも読むのか。そういえばインターネットには「なんとかチャンネル」というものがあってそこの社長だかなんだかの名前が確かそんな風ではなかったか?

 小説の創造に必要なのは閃きだけではない。まず習慣として書き続ける能力が絶対的に必要だ。ぱっと書いてもう終わり、などもってのほかだ。それだけではない。構想力、構成力、そして粘り強すぎるくらい粘り強い推敲に耐えられるだけの忍耐力が必要だ。ものすごいスピードとは何ごとだ。単に忍耐力が欠如していることの表れではないか。おそらくその者達は「生え抜き」と「生粋」で悩むことなどないだろう。ましてや「たたき上げ」に変えることで全面的な書き直しをするかどうかについて頭を使う努力など、思いつくことさえできないに違いない。いやいや。それどころか「生え抜き」と「たたき上げ」の違いだって知らない可能性がある。出版社も出版社だ。何を考えてぐちぐちと泣き言を言っているのだ。わたしをそんな者どもと一緒にされては困る。わたしには矜持がある。なぜならわたしは文芸誌に認められ文芸誌とともに育った生え抜きの作家だからだ。


     *     *     *


 そこまで書いて作家は万年筆を止める。いやここは生粋の作家とすべきだろうか。むしろたたき上げの作家とした方が、地に足のついた作家の誇りのようなものを強く表現できるのではないだろうか。

 そして作家はマントを羽織ると誰にも声をかけずむっつりした顔で外出する。(冒頭に戻る)


(「生え抜き」ordered by カリン-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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