第11話 おじいちゃんの帽子
人間のにおいがすぐ近くでするので、野ネズミたちはもう何日も巣穴の外に出られずにいた。けれどこのままでは一家全員飢え死にしてしまう。空腹には勝てず、新しい出口を探してトンネルを掘り、やがて地上に出ることに成功する。野ネズミは大急ぎで食べ物を集めて回る。冬はもうすぐそこまで来ている。いま食 べられるだけ食べて、貯められるだけ貯めておかなければ命に関わるのだ。身体がそれを知っていて野ネズミを追い立てる。
頬に溜め込んだ食糧を持ち帰ろうとして、つい野ネズミは元の出入り口のところに戻ってしまう。しかし出入り口に近づいて、この数日かがされてきた、あの人間のにおいに気づき身をすくめる。鼻先だけをぴくぴくさせながら野ネズミは長い時間じっとしている。日が少し陰り、また雲から顔をのぞかせる。天敵の鳥が上空で鳴いているが動かない限り大丈夫だ。
風が流れ、やみ、また流れ、野ネズミは理解する。ここには人間はいない。生きて動く人間はいない。用心深く人間のにおいを避けながら、野ネズミは元の出入り口を探す。ところが巣穴が見つからない。うろうろしばらくさまよった挙げ句、人間のにおいをプンプンさせる大きな塊が巣穴を塞いでしまっていることに気づく。
野ネズミは引き返し、新しい出入り口から巣に戻る。そのままトンネルをたどって、昔の出入り口に達する。そこは穴の外のはずなのに、トンネルの続きのような暗い空間が広がっている。人間のにおいがたまらないほど濃くこもっている。けれどだだっぴろく、地面は平らだ。食糧を置くにはちょうどいい。
何度か雨が降り、枯れ葉が舞い落ちあたりを埋め尽くし、いまはもうソフト帽もすっかり覆われてしまった。また雨が降り、すっかり地面の一部のようになって、帽子の中のがらんとした空間に雨がしみこむこともなくなった。においも少しずつ薄れ、いまはそこは野ネズミたちの食糧倉庫だ。野ネズミの子供たちは地表に少し張り出した新しいなわばりを結構気に入って、時々その中で追いかけっこをしたりしている。やがて霜がおり雪が積もるようになった時、その空間がどのくらい持ちこたえてくれるのか、それはわからない。ただ、いまは、そこは野ネズミたちの新しい隠れ家だ。
林を出たところで倒れているのを発見された老人は、その後何度もうわごとのように「わしの帽子の中に誰かが住んでいる」と言って、周囲から「おじいちゃんもいよいよ一人にしていてはいけない状態になってしまった」と判断される。文化人類学を学んでいるイケメンの孫の一人が「アイヌの世界では、老人がわけのわからないことを口走り始めたら、『神様の言葉をしゃべり始めた』といって大事にするらしいよ。ぼけたと言って見下すのよりずっといいよね。おじいちゃんの帽子の中に誰かが住んでいる、その言葉はその言葉通りに受けとめるべきなのかも知れない」などと賢しらげに話して、血のつながらない従姉妹をうっとりとさせる。彼女をモノにできる日も近い、とイケメンの孫は考える。
神様の言葉。ある意味で、それは正しいかも知れない。おじいさんが野ネズミたちのことを知るはずはないのだから。
(「おじいちゃんの帽子」ordered by イチ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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