第7話 バーフライ・トーク

 そこは地下のバーで、落ち着いた雰囲気はどちらかというと珈琲専門店のようでもあり、事実コーヒーもうまいので、ぼくも酒を飲まずコーヒーでしばらく過ごすためだけに入ることがある。この街に引っ越してきて間もなく見つけて以来すっかり気に入って、夜2時までやっているというのもぼくには便利で、いまやすっかり常連となっている。MARS STONE、というのが店の名前だ。店の名前など別段気にかけないで通っていたのだが、3回目だったか4回目だったかに訪れたとき、偶然他の客がいなくなるタイミングがあってマスターと話し込む機会があった。これはその時にマスターから聞いた、店の名前にまつわる話である。


     *     *     *


 え? 何だと思います? 曲のタイトル? ジャズの? ああ。いかにもありそうですね。『マイルストーン』みたいな感じで。いや実際にそういう曲やアルバムがあってもおかしくない。でもブッブー。違います。少なくともこの店の名前のいわれは曲名ではありません。


 あのね。ちょっと話、長くなりますよ。いいですか? ええと、どこから話そうかな。あれはわたしが小学校の3年生の時のことだから、まあどのくらい昔かはご想像におまかせしますが、転校生が来ましてね。大阪弁なのか何なのか知らないけどあっちの方のなまりでしゃべるやつで、ええ、確か和歌山だったか香川だったか、そっちの方から来たんです。変わった子で、なかなかみんなとなじまなくてね。というかわたしらもそいつが関西なまりで喋るのを聞いただけで笑ったりしたもんだから、まあ当たり前なんですけどね。でも、しばらくしてそいつがわたしのうちの近所に住んでいることがわかって、それから急に仲良くなりましてね。


 いろいろ珍しいものがありましたよ、そいつのうちには。外国から仕入れたボードゲームとかね。バックギャモンなんて当時の日本にどのくらいあったんだろう。レゴなんてあなた、部屋を埋め尽くすくらいあったな、冗談抜きで。親父さんがファンだからって言うんで手塚治虫のマンガがずらっとあってね。ええ、もちろんまだ存命中の頃の話ですよ。現役でバリバリ描いてて、ちょっと劇画タッチになり始めた頃で。小学生には少々刺激的なのもあったから夢中で読んだり、ね。部屋にこもって。いや、誰にも止められませんでした。でもいつ遊びに行っても大人はいなかったんですよ、そのうちは。おふくろさん も、親父さんも。


 いま思い返すとそいつのうちに遊びに行っているときは何かちょっと別な世界の住人になったような感じでしたね。だいたい、ちょっと変わってますよね。遊びたい盛りの小学生が午後いっぱい家から一歩も出ないで時間も忘れて遊んでたんですから。


 結局5年生の時にまたそいつが引っ越していくことになりましてね。わたしは秘蔵のライダーカードのコレクションからレアなのを何枚かあげました。そうしたら、そいつも宝物をくれるって言うんです。それがこれです。何だと思います? そう。火星の石。「誰にも言うたらあかんで内緒やで」って言うんですよ。変でしょ? 隕石だって言うならまだわかる。でも違うんです。火星の石だって言うんです。お客さん、わかります? 火星の石だって言うためにはね、誰かが火星に行って石を採取して来なきゃいけないわけですよ。人だか、採取ロボットだかがね。そうでなければ、それが火星の石だなんて言えるわけがない。そうしてもちろん、当時は人類は火星になんて行っているわけないんですがね。


 でもわたしもまだ子供ですからその辺はよくわかってなくて「ふーん」てなもんですよ。そうしたら、そいつはそいつで急に怒りはじめましてね。「わからへんのか。あるはずのない火星の石がここにあるから珍しいんやないか!」って言うんです。しまいには「おれんとこのオトンは宇宙飛行士なんや。誰も知らんけど火星に行ったことがあるんや。極秘プロジェクトや!」って。わたしは内心「そんな嘘までつかなくてもいいのに」なんて思って困っていたんですね。


 そうしたら突然そいつが言ったんですよ。「いらんわ!」って。そしてライダーカードを突っ返してきたんです。「いらんわこんなもん」って。いや、こっちもびっくりしましてね。何て言ったらいいかもわからないし、どうしたらいいのかもわからない。それでなんかこう、凍り付いたようになっていたんです。お互いに。そこに親父さんが、ええ、現れましてね。いきなり。何の前ぶれもなく。こっちからすれば初めて見る親父さんですよ。その人がずかずか部屋に入ってくると「あかんやないか!」と声を荒げてその火星の石をひっつかんで出ていったんですよ。「勝手に持ち出したらあかんやないか!」って。そりゃもうあっと言うまでした。わたしには目もくれなかったって感じですよ。その時初めてわかったんです。それはニセモノじゃなかったんだって。


 結局そいつとは気まずいままでね。仲直りできないまま引っ越していってしまったんですよ。何だったんでしょうね。本当のところは。不思議でしょう?


     *     *     *


「え?」しばらくしてぼくは言った。「じゃあこの石は?」

「この石が、どうか?」

「おかしいじゃない。親父さんが持ってったんでしょう?」

 小さな標本箱に納められた手元の石を指してぼくは尋ねた。

「ああそうか!」マスターはにやりと笑って言った。「そこまで考えてなかった」

「はい?」

「待ってくださいね。もう一度やり直しましょう。長くなるけどいいですか? 一杯おごりますよ」


(「火星の石」ordered by shirok-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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