第5話 目の前のウツボ

 ウツボ兄弟には困ったものだ。


 町中が迷惑をしている。酒を飲んでからむとか、機嫌の悪いときに当たり散らすとか言うなら、まだ我慢のしようもあるってものだ。ところが違う。ウツボ兄弟は違う。そんなものではない。ぬらぬらうねうねと徘徊し、だれかれなく出会う人ごとにあの顔つきでにらみつけるのだ。「え?」とも「げ?」とも「お?」とも「な?」ともつかないあの顔つきで。口を半ば開け、ものすごく驚いたように目を見開き、まじまじとこちらをにらみつけるのだ。不安にもなるじゃないか。こっちの顔に何かついているのか。自分がよほど妙な格好をしているんじゃないか。あるいはここで会っていけない理由でもあるのか。というよりここにいてはいけないとでも言うのか。


 そういうわけで町内会では(正確には川北町自治会の名を借りたお父さんたちの飲み会なのだが)、満場一致で町内会長の後藤さんからウツボ兄弟に一言注意をしてもらうことになった。


 後藤さんがウツボ兄弟に会いに行くというので、その日は朝から町中がざわついた感じだった。奥さんたちは午前中から駅前のドトールや珈琲館にスタンバイして、後藤さんの出陣を見逃すまいとしていた。この日、急に具合が悪くなって会社を休んだOLや会社員の数も不思議と多く、これがみな普段着で歩き回るものだから、どことなく川北町には休日の面影すら漂っていた。後藤さんは後藤さんで、いつ現れるとも知れないウツボ兄弟出現の連絡を待って、朝から商店街の連絡所に待機している。 結局正午を過ぎても午後1時を過ぎても2時を過ぎてもウツボ兄弟は現れず、「今日はナシかな?」という雰囲気が漂いはじめる。普段着のOLや会社員はその ままランチビールなどを飲み始めたりもする。


 そうこうするうちに下校してきた小学生たちがぽつぽつと集まりはじめる。彼らもウツボ兄弟と町内会長の対決を楽しみにしているのだ。小学生の中には、文字通り後藤さんとウツボ兄弟が力と力で対決すると思い込み、過大な期待を寄せるものもいた。いやいや。それは小学生に限った話ではない。大人たちにしたって、ウツボ兄弟が注意されて「はいそうですか」と退散するはずはない、むしろ、そこからが本番なのだと考えていたことでは一致している。


 夕暮れが近づき、ついに後藤さんが立ち上がった。ドトールでも珈琲館でもマクドナルドでもモスバーガーでも一斉に支払いが始まる。いい場所をとろうというので子どもたちが連絡所前に殺到する。


 後藤さんが連絡所から出てきたとき、一瞬、文字通り何の音も聞こえなくなる瞬間がある。夕方の、一番賑やかなはずの時間帯の商店街を静寂が満たす。やがて低く、抑えた声で副会長の下田さんが尋ねる。「連絡が入りましたか?」後藤さんは首を横に振る。


 なーんだ、という空気が流れ、後藤さんを取り囲む我が崩れそうになった瞬間、後藤さんは何か言いたそうに口を開き、やがて閉じ、もう一度口を開いて閉じたかと思うとそのまま頭のてっぺんに、まるで切れ目でも入れたみたいに、そこから左右にめくり返すように二つのパートにわかれはじめる。そしてみるみるうちにウツボ兄弟へと変身してしまう。それを見て人々は 「え?」とも「げ?」とも「お?」とも「な?」ともつかない表情になり……かくて川北町もまたウツボ兄弟によって占領されてしまうのだ。


 本当にウツボ兄弟には困ったものだ。


(「ウツボ」ordered by shirok-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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