第37話 紅葉秋と……

 目を開ける。


 ここは紅葉秋、彼女の部屋だ。


 戻ってきた。俺は夢の世界から返ってきたんだ。


 空の言葉を思い出す。


「またね」 


 そう彼女は言った。


 さよならではなく、またね。


 彼女はもう消えようとは思ってない。それが、確信できただけで勇気が湧いてくる。後は、僕がやるべきことをやるだけだ。


 そう決意を固めて、隣を見ると紅葉秋がいない。


 その時、視線を感じた。見つめられている。慌てて振り返る。


 そこには確かに彼女がいた。ただ、その視線の元は、とても遠かった。


 俺から離れようとして、部屋の隅に立っているようだ。背中を壁にくっつけながら、こちらを見ている。


 気持ちは分かる。


 でも、なんとかこの距離を詰めて、彼女に知ってもらわなくちゃならない。


 空のことを、あのほどけていく光景を、彼女に伝えなくちゃならない。これからを見つけるためにも、絶対にそれはやらなくちゃいけない。


 通知音がなる。


『何でいきなり私の隣で寝てるんですか!』 


 そう書かれている。


 確かにこれは誰でもそう思うだろう。だけど、今は時間が残されていない。


「言いたいことは分かる。それは、僕が悪かった。ただ、今は時間がない。だから、とにかく聞いて」


『頭がずっと混乱してるんです。気づいたら、あなたと一緒に寝ていて、それ以前の記憶を思い出そうとすると頭が痛くなってくるし。』


 どうしよう、本当にどうしよう。とりあえず、落ち着いて貰わないといけない。僕は、焦りのあまりいつの間にか頭を壁に打ち付けていた。


 頭が割れるように痛い。彼女は慌てて近づいてきて、僕の腕をつかむ。


 彼女に壁から引き剥がされることで、僕はやっと冷静になれた。頭を打ち付けようとするのをやめる。


 振り返ると、彼女は僕をじっと見つめていた。その目は僕の頭を心配しているようだ。


 まぁ、彼女にこんな目で見られることにはなったが、結果的に良かった。焦った人を見ると逆に人は冷静になれる、というのは本当らしい。


『分かりました。まず話を聞いてそれから判断します。』


 彼女はそうして、ベッドに座ろうとして、慌てて立ち上がり、壁際に立った。


 それから、もう一度紅葉空の話をする。彼女は真剣に聞いてくれている。今回は過呼吸になるということもない。


 そして、話の節々で何かを思い出そうとしているのだろう、頭を抱えて悩んでいる顔をした。


 僕はできるだけ紅葉空のことが伝わるように懸命に話し続けた。だが、なかなか彼女が思い出すきっかけに繋がらない。


 そして、僕は全てを話終えた。彼女も過呼吸にならずに、最後まで聞くことができた。


 でも、結局彼女は何も思い出さなかった。


『紅葉空っていうその女の子について、何も思い出せないんです。本当になにも。』


 紅葉空については全て彼女に伝えたはずだ。それでも、彼女は何も思い出さない。どうしたらいいんだ、解決策が一つも思いつかない。視界が暗く沈んでいきそうだ。


 いや、諦めるな。ここまで来たんだ。もう諦めたりしない、そう決めたはずだ。


 探せ、頭をフル回転させて、探し出せ。何のピースが足りてないんだ。何で彼女は思い出せないんだ。


 紅葉空が言ってきたことを必至に思い返す。


「楽しいこと、くだらないこと、苦しいけどその先に幸せが待っているようなこと。それはとても楽しい時間だった。それからは毎日夢中になって繰り返した」


 彼女は、夢を繰り返し見ていた。何度も何度も繰り返し。


 だが、それはいつからだ?


「それから、私は彼女の友達になった。毎日彼女といろんなことを話した。私の夢を作れる力を使って、いろんなことをして遊んだ。本当に楽しかった。毎日が幸せだった。あなたと過ごした時間と同じくらい私にとっては大切な時間、かけがえのないもの」


 彼女はそう言っていた。つまり、紅葉秋と一緒に夢で過ごしていた。彼女は空の夢の能力を知っていたはずだ。


「でも、それはあくまで緊急回避、本当は取るべきじゃない方法。それを彼女の体はどこかで分かってたんだと思う。心の傷が癒え始めた頃から、彼女は段々と私を忘れていった。まるで、夢の中での出来事のように。でも、それは正しいこと。一人遊びは卒業するべき。でなきゃ前に進めない」


 この言葉が引っかかる。


 本当に体の拒絶反応なら、空がすぐに消えてもおかしくなかったはずだ。でも、彼女は6年間も紅葉秋の中で過ごしていた。彼女が忘れて経った時間が長すぎる。


 もしかして、彼女は自分で自分を消そうとしていたんじゃないか。


 そうだとすると、それは何でだ?


「本当は、すぐに消えるべきだったんだと思う。でも、彼女の体は私に時間をくれた。彼女は優しかったから、心のどこかで私に消えないでと思っていてくれたんだと思う。だから、私は今まで存在できた」


 空は自分がずっと消えるべき存在だと思ってた。そんな彼女が、秋が自分と過ごす夢に逃げ続けている姿を見たらどう思うだろう。


 もしかしたら、自分を消してでも彼女を現実に返さなきゃと思うんじゃないか。


 そうだとしたら、もし本当にそうだとしたら。


 紅葉秋は彼女を必至に彼女を消さないための方法を探すはずだ。


 彼女ならきっとそうする。


 こう考えれば、彼女の記憶が消えた理由も分かる。


 空が自分から消えてしまわないように、現実に帰った。


 でも、空との思い出が忘れられなくて、現実から逃げ出しそうになった。そのとき、逃げ道をなくすために記憶を消した。


 そう考えれば、辻褄が合う。


 そして、そのときに彼女は紅葉空のことを完全に忘れようとは思っていたはずがない。


 なら、きっと方法が残されているはずだ。


 彼女が記憶を取り戻すための方法が。


 彼女が解決を先延ばしにしたのは、彼女が現実を見つめていなかったからだ。


 そのことを空に知られたら、彼女は自分から消えようとしてしまう。


 だから、必要だった。彼女が現実を生きていける証明が。


 たとえ彼女が夢の世界に引きこもってしまっても現実に連れ戻してくれる誰かが。


 だとしたら、きっとするべきなのは、紅葉空との事を思い出させることじゃなくて……。


「草原に風が吹いている。その風は強くてとてもきれいな波を草原に作り出す。そこには、小さな家が一個だけあって、その中にはベッドと机だけが置いてある。……」


 思い出すために必要な鍵は、彼女たちの秘密。きっとそれを知っている彼女たち以外の誰かの存在だ。


 僕がその条件を満たすことを示すためには、空と行った夢の話をするしかない。


 その話を続けていると、だんだんと彼女の表情が変わってくる。


 その瞳は僕を見ているようで、違うどこかをうつしている。きっと空との思い出を見つめている。


 彼女の、紅葉秋の目元から涙が溢れる。


 そして、嗚咽を上げながら泣き始めた。


 やっとたどり着けた。


「ああ……ああ……」


 その声は、今までを悔やんでいるように、そして何より思い出せた喜びを噛みしめているように聞こえた。


 そうして、彼女はしばらく泣き続けた。

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