第35話 紅葉空と……2
今日は人生初体験ばかりだ。
真っ暗な部屋の中、隣から息遣いが聞こえてくる。
今、僕はベッドに寝ている。要するに、空と並んで寝ている。
人生初だ。
家族以外と同じベッドで眠るなんて本当に人生初だ。
ただでさえ度重なる緊張の連続で心臓が持ちそうにない。それに加えて、今までで最大の緊張に襲われているのだ。本当に死ぬかもしれない。天井を見上げて、なんとか平静を保とうとする。
いや、やっぱりこれはだめだろう。失敗だ。全然眠くならない。寝るとかそれどころではない。
「ん? どうしたの? 眠れないの?」
まるで、母親が息子に話しかけるような口調だが、まったく心は休まらない。休まるわけがない。
「いや、大丈夫」
そう言ったが、どうしたものか。
とりあえず、目をつぶる。だけど、そうすると耳が鋭敏になってきて、呼吸の音に耳を侵される。これは、毒だ。
深呼吸して、意識をなんとかそらす。同時に呼吸を整えることで、夢の世界に旅立とうとする。
そんなことを何度か繰り返すことで、段々と意識が沈んでいく。色々あって疲れていたのもあったが、そうすることで僕はようやく眠りにつくことができた。
目覚めると、彼女がこちらを覗き込んでいた。
「やっと来たね、春ちゃん」
顔が近い。吐息を感じる。
「少し離れてくれ」
顔をそらし、ぶっきらぼうに言う。そうでもしないと、いつまでも見つめてしまいそうだ。
「どうして? あ、もしかして照れてるの?」
そう言って無邪気に笑う。一体、何回攻撃してくる気だ。
「そうだよ。照れてるんだよ」
どうにでもなれ、という気持ちで彼女に言い返す。これで少しは仕返しができたかと思った。
しかし、だめだったようだ。
「そうなんだ、うれしい」
彼女はそう噛みしめるように感想を述べる。
だから、やめてくれ!
きっと今、僕はものすごく変な顔をしていると思う。顔中の随意筋と不随意筋がせめぎ合っている。負けるな僕の随意筋、顔のニヤケをかみ殺せ。
これは、明日顔の筋肉の筋肉痛とかになるかもしれない。そんなものに襲われるなんて、そんな妙な体験をしたくない。いや、でもここは夢の中か。
夢の中で筋肉痛になったら現実ではどうなるのかについて考えていると、彼女は満足したのか、やっと僕から離れてくれた。
そして、
「私のお家にようこそ。ここが私が彼女から間借りしてる場所。あなたと過ごした夢を作った場所」
と言う。
辺りを見回すと、小さめのログハウスのようだった。
僕が寝ているベッドの他には、机とイスが置かれているだけで、他には何も見当たらない。机の上には、原稿用紙の束と鉛筆と消しゴムが置かれている。
「この机で、物語を書いて、夢を見ていたんだよ。あなたと見た夢もすべてここで書いた」
彼女は慈しむように、机のことを教えてくれる。
「本当にいっぱいのお話を書いた。思いつかなくて、机に落書きをほったこともある。ほら、ここ見て『無人島、どうしよ、どうしよ』って書いてる。あの話は、本当に設定を考えるのが大変だったんだよ」
それを聞いて思い出す。
無人島で僕と空が出会うという話だ。あれは確かにところどころ設定がおかしかった。
そんなに大きくない島なのに真ん中に大きな湖があって、そこから無尽蔵に水が手に入ったり、手で折れるのに水につけて干すと丈夫になる木があったりそんな都合がいいことばっかりだった。
そして、彼女と夢であったことを話しあう。
その中で彼女が僕の先輩だったときに一緒にやったゲームの話をしたり、僕が幼なじみのときに恥ずかしい格好を見られた話を思い出させてしまってちょっと怒られたり、後輩のときに屁理屈をこねて無理やり歌わせたことを謝られたりした。
本当に楽しかった。僕ももう忘れない。
そして、これからも彼女とたくさんのことを経験していきたい。
ただ、そのためにやるべきことがある。そのためにここに来たし、ここにいる。
彼女はそこで表情を切り替えた。
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