第33話 紅葉秋と紅葉空2
「少し、昔話をさせて」
彼女は、ベッドに座ってそういった。
そうして、ポツポツと語り始める。
「あるところに女の子がいました。その女の子は無口で、学校でもずっと一人で過ごしていました。でも、家には大好きなお父さんとお母さんがいたので、彼女は幸せでした。これからもずっとそれが続くと思っていました」
彼女はどこか懐かしむような眼差しで虚空を見つめている。
その表情は本当に過去を見つめているようだ。
「それは本当に突然でした。お父さんが亡くなってしまったのです。女の子はとてもとても悲しみました。それからは、お母さんも忙しく働くようになり、女の子は家で誰とも話さなくなりました」
彼女は淡々と語る。
その響きが鼓膜を震わせるたび、気持ちが揺れる。
「女の子は家でも学校でもずっとずっと一人で誰とも話さずに過ごしていました。ただ、それは女の子にとってとても耐えられるものではありませんでした。そんなある日、いつものように家でじっとしていると、誰かが話しかけてきます。けれど、部屋を探しても誰もいません」
そして、彼女はこちらを向いた。
その瞳は僕ではない誰かを、おそらく彼女を見つめている。
「そのとき、話しかけていたのが私」
その時のことを思い出しているのだろう。
その顔にに笑みが浮かぶ。
「それから、私は彼女の友達になった。毎日彼女といろんなことを話した。私の夢を作れる力を使って、いろんなことをして遊んだ。本当に楽しかった。毎日が幸せだった。あなたと過ごした時間と同じくらい私にとっては大切な時間、かけがえのないもの」
その言葉から温度が伝わってくる。
彼女が大切にしている時間。
そして、彼女が大切に思っているその気持ちの温度が。
「でも、それはあくまで緊急回避、本当は取るべきじゃない方法。それを彼女の体はどこかで分かってたんだと思う。心の傷が癒え始めた頃から、彼女は段々と私を忘れていった。まるで、夢の中での出来事のように。でも、それは正しいこと。一人遊びは卒業するべき。でなきゃ前に進めない」
彼女はそれを当然の事実のように語る。
でも……それは……。
「本当は、すぐに消えるべきだったんだと思う。でも、彼女の体は私に時間をくれた。彼女は優しかったから、心のどこかで私に消えないでと思っていてくれたんだと思う。だから、私は今まで存在できた」
何で、納得しているような顔をしてるんだ。
何で、受け入れてしまっているんだ。
僕の心にある感情がたまっていく。
「それからの出来事は、貴方に話した通り。私は貴方に出会って、この世に生まれてきた意味を2つも手に入れることができた。彼女の避難所だった私が、それだけでも十分幸せなはずの私が、貴方の思い出にもなれた。こんなに幸せなことはないよ」
彼女の言葉が聞こえなくなっていく。
「だから、私が消えることは正しいこと。私をあなたのきれいな思い出として終わらせて」
その言葉を聞いた瞬間、糸が切れるような音が聞こえた。
気持ちが溢れ出す。
彼女は決意を固めているのだろう。
これは彼女の想いに水を指すことなのかもしれない。
知ったことか。
彼女の想いなど、考えなど、知ったことか。
僕が、納得できない。
できるはずがない。
「嫌だ」
気付けば、口から出ていた。
彼女は驚いたようにこちらを見つめる。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ!」
僕は続けてそう言った。
止まらない。心のブレーキはもう壊れてしまった。
「でも、……」
そう言い募る彼女の言葉を遮る。
「何でそんな結論になるんだ。どうして、消えることが正しいんだ。そんなこと誰が決めた。僕は絶対に認めない」
僕は僕の願いを叶えにここに来た。
そのためなら、彼女の決意だって捻じ曲げてやる。
そのためにここにいるんだ。
「絶対に君を死なせたりなんかしない。君を思い出になんかさせない。そんなものいらない」
あの夜、僕は彼女を思いやるフリをして、自分の心を騙した。
自分の傷つきたくないという想いを彼女を尊重するとかいうきれいな言葉に置き換えた。
それで、納得した気になって、逃げていた。
「まだ、一緒にやりたいことだってたくさんあるんだ。三人で映画に行きたい。彼女と前に行ったときは、文句をばっかり言われたから、今度は楽しんでもらえるようにちゃんと選ばなきゃいけないんだ。三人でカラオケに行きたい。君と行ったときに負けてしまったリベンジをしなくちゃならない。勝ち逃げは許さない。君の手料理が食べたい。もう忘れられない味になってしまったんだ。あれなしじゃ生きていけない」
想いを、願いを言い続ける。
彼女に伝わるだろうか。
いや、きっと伝わっている。
この温度は、熱はきっと届いてる。
それでも、彼女はかぶりを振ってこちらの言葉を否定してくる。
「でも、……それは、いけないことだよ。願っちゃいけないことなんだよ」
そんな言葉は、そんな気持ちは吹き飛ばしてやる。
それだけの想いが、熱がここにある。
「そんなの知らない。いけないないなんて誰が決めたんだ!」
誰が決めたとしても、そんなの知ったことか。
「彼女の体が私を拒絶してる。私は、彼女のために生まれた。だから、彼女の負担になっちゃいけない」
彼女は、ずっとどうすべきかしか言ってない。
「たとえ君が諦めても、僕はあがいてやる。絶対に諦めない」
そんなものでは、そんな言葉では止まれない。
「そんなこと言われても」
吉岡に言われたことを思い出す。
「君はどうしたいんだ?」
大事なのは、どうすべきかじゃない。
「でも、私は消えてなくなるべきで」
そんなことはどうでもいい。
「そんなことは聞いてない! 聞きたいのは、どうしたいかだ!」
本当に大事なのは、どうしたいか。
彼女はまだそれを言ってない。
「私は……私は……」
彼女は視線を彷徨わせる。
何かを探すように。
何かを願うように。
それから、彼女はこちらを見て、
「消えたくない……」
そう言った。
彼女の目元に涙が浮かぶ。
そして、ポロポロとこぼれ始めた。
「消えたくないよ……」
やっと聞けた。
それは、つっかえつっかえしながらの言葉だった。
でも、届いた。
ちゃんと伝わった。
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