第32話 紅葉秋と紅葉空
彼女達はどう関係しているのか。今ならそれを推測するのもそう難しくない。
最初はただの予感だった。けれど少なくともあの最後に見た夢の中ではこの場所、紅葉秋の家に彼女、紅葉空はいた。そして、それを彼女の発言が確信に変えた。
「現実で楽しいことを見つける、とか」
僕がそう言った時、彼女は、
「それができたら、良かったんだけどね。残念ながら、それは私にはできないことだった」
と返してきた。
だが、これはおかしい。
彼女は「見つけられなかった」ではなく、「できないことだった」と言った。まるで、その手段など始めから存在していないかのように。
そして、なにより彼女は、
「6年間の私の人生で1番幸せな時間だった」
そう言った。
これはどう考えてもおかしい。彼女の見た目はどんなに幼く見積もっても、小学生以下ということはない。6年間の人生というのはありえない。
普通なら彼女が嘘をついたと、そう思うのかもしれない。
でも、僕は普通じゃないらしい。なんだか彼女の言うことは疑う気にならないんだ。嘘じゃないとすると、彼女は存在の仕方が特殊ということになる。
それ加えて彼女は、
「私にはね、不思議な能力が一つだけあるの」
そう言っていた。
そこからは単純な推測だ。
姉妹じゃない、双子じゃない、他人の空似じゃない。
だって、それじゃ六年間しか生きてないことを説明できない。
彼女達は全く同じ容姿をしてる。好きなキャラクター、読んでいた本なんかも同じだ。でも、性格だけは違う。
これを、夢を作る能力以外のオーバーテクノロジーやオカルトを持ち出さずに説明し切るもの。これだけ条件付ければ、思いつくのは一つしかない。
解離性同一性障害。
俗に、多重人格と呼ばれるものだ。
普通、人は一つの肉体につき一つの人格しかない。だが、心理的ショックなどが原因でまれに意識の切り離しが起こり、それが人格として成長することがある。
そして、一つの器に多くの魂が入った人が生まれる。いや、正確にはそれら全てを合わせて初めてその人の人格になるというべきか。ただ、これならば6年間しか生きていないというのも説明が尽く。
おそらく紅葉秋は6年前に何か心理的に大きな傷を負った。
それが何だったのかはわからない。ただ、予想できるのはきっとそのときに紅葉空は生まれたということだ。つまり、彼女たちは一人であって二人だったわけだ。
ただ、こんなのは後付だ、意味はない。きっとこんな推測ができなくても、僕は同じことをしていた。
だって、絶対に彼女たちは関係があると言う根拠のない確信があった。僕はそれに従ってきただけだ。
そして、その確信には続きがある。
それを果たさなくちゃならない。
彼女は立ったまま、さきほどからこちらをじっと見つめている。その視線は僕を攻め立てているようだ。
そして、
「立つ鳥後を濁さず、ていうのを私はやりたかったんだけどな」
やはり、その言葉は刺々しい。けど、もうその言葉に怯んだりしない。前に進むと決めたから。
「一つどうしても気になることがあるんだ」
あの夜の最後の言葉がどうしても気になる。それがすべての鍵を握ってるような気がする。
「空、君はあの時、置き手紙を残していったよね」
彼女は嘘なんてついていなかった。
もうそれは無根拠なものじゃなく、今の状況証拠もそれを示している。それに、彼女は会話に暗喩を使ったことなんてない。それを考えると、どうしても気になる言葉がある。
「あの手紙には、『もう会えないんだ、ごめんね。さよなら。』そう書かれていた。なんで君は会えなくなることが分かるんだ? もしかして、君にだけ分かる何か明確な理由があるんじゃないか?」
彼女は言ってきたことは全て本当だ。それならば、彼女には明確に会えなくなる理由が存在するってことになる。もしかしたら、それを取り除くことができるかもしれない。僕は、その可能性に賭けたい。
「そんなことを知ってどうするの? 私はあなたにさよならを言った。あるのはただ、その事実だけだよ」
彼女は冷ややかな目でそう告げる。なんだか、あの夜とは別人のようだ。ずっと暗い表情のまま、こちらに鬱陶しげな視線を向けている。
怯むな。
気圧されないために、言葉を続ける。
「一人でだめでも、二人なら解決できるかもしれない。だから、相談してほしいんだ。もしかしたら、なんとかなるかもしれないじゃないか」
僕はこのまま終わるなんて嫌だ。そんな終わりは望んでいない。
「私がそれを望んでないとしても?」
その言葉に想いをせき止められそうになる。その視線に諦めの気持ちが膨らみそうになる。
止まるな!
それでも、やめることはしない。もう前だけ見て進むと決めたんだ。
「それでも、だ。分かってる。こんなのは、僕のわがままだ。でも、それでも君のために何かしたい。させてほしい」
気付けば僕は彼女にすがりつくように、そう頼み込んでいた。彼女の前では情けない姿を晒してばっかりだな。
だが、その姿が彼女の何かに触れたのかもしれない。
「なんで……そこまで……」
その詰まってしまった彼女の声は、かすれていた。ゆらいだ。今、彼女の気持ちのゆらぎが一瞬だけ見えた。
ずっと違和感はあった。彼女の言葉をどこか空虚に感じていた。だから、ひるまずに進めた。
きっとこの先に彼女の本当がある。そう確信した。
しかし、また彼女は怜悧な視線に戻ってしまう。
「そうだね。あなたのわがままだね。そういうのは、あなた一人でやって。
私には関係ない」
本心じゃないと思っていても、この言葉を彼女に言われるのは辛い。言葉をつまらせてしまいそうになる。
自分の頬を張る。何度も何度も叩く。何度かそうしたことで弱気を吹き飛ばす。ヒリヒリして痛む。でも、気合は入った。
いきなり自傷行為を始めた僕に、彼女は驚いたようだ。目を見開いている。
「そうだよ。僕はそういう身勝手な人間だ」
そうこぼすように言った。そして、畳み掛ける。
「だから、絶対諦めない! 君が話してくれないなら、何度だって頼み続ける。夢の中にだって行ってやる。僕から逃げられると思うなよ!」
ヤケクソになってそう叫ぶ。彼女はその言葉を飲み込むのに時間がかかったようだが、しばらくするとうつむいて何かをこらえていた。
だが、ついに耐えきれなくなったようで笑いだした。
「あははっ。『僕から逃げられると思うなよ』って。それじゃ、ストーカーだよ。なんでいきなりストーカー宣言してくるの? どうやったらそんなこと叫ぶっていう発想になるの?」
確かに、意味が分からない。でも、僕の本心だ。
「普通ならロマンチックな言葉をかける場面でしょ。本当に意味分かんないよ」
そしてひとしきり笑った後、息を一つ吐く、
「あぁ、だめだな……失敗しちゃった。夢であれだけ色んな私になってきたんだから、演技は得意だと思ってたんだけどな」
きっとそれは演技している君を、夢の中の君を一番良く見ていたのが僕だったからだ。だから、彼女が今まで嘘を言ってこなかったことにも気付けた。だから、今みたいに無理やり嘘をつこうとしたときにも気付けた。
「いいよ、話してあげる。本当に春ちゃんはどこまでも追いかけて来ちゃいそうだから、困りものだよ」
彼女はそう悪態を付いているが、どこかうれしそうだ。そして、深呼吸した。
「私はね……私は、消えてなくなるの」
それは、その答えは予想していたものの中で最悪のものだ。でも、本当は彼女がもう一つの人格であることが分かってから、予想していた中でもっとも可能性が高いとも思っていた。だが実際に聞くと、その衝撃的な内容に言葉が出ない。
ひどく現実感がない。
それは、彼女が一人の人格としての死を迎えることを示す言葉だった。
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