第19話 後輩と部活

 今日は雨が降っているから、室内で練習しているんだろう。吹奏楽部の練習音がやけに近く聞こえる。


 放課後になったので、僕の所属する文芸部の部室に向かっている。


 校舎と繋がってはいるが、かなり遠くに建てられた部室棟、更にその隅っこにある文芸部室、それが僕が現在向かっている場所である。


 隅っこにあるので、近づくたび段々と見かける人がいなくなって行くこの様子が僕はちょっと秘密基地に行くような感じがして好きである。


 見慣れた部室がだんだんとはっきり見えてきた。いつもどおりの少し目立つ表札が目に入る。


 文芸部の文字に斜線が引かれ、その上に書かれた漫画研究会の文字にも斜線が引かれ、そのさらに上に文芸部ともう一度書かれている。


 これは、一時期いろいろあったからだ。


 そうして、部室の前にたどり着くと、少し緊張しながら引き戸を開けた。


「春先輩、こんにちは。今日はあいにくの雨ですね」


 そう紅葉空が声を掛けてくる。


 こいつは僕以外の唯一の文芸部員である。


 この部室は真ん中に長机が2つ並べてあるそして、本棚が配置されている向かいにイスが2つ置かれていて、その窓際の方のイスが彼女の定位置である。


 僕も自分の定位置である廊下側のイスに座りながら、


「今日は夜まで降るらしいな」


 と返事した。


 さらに、自分の本をカバンから取り出しながら、


「今日は何読んでるんだ?」


 と聞いてみる。


 そうすると、逆に


「何読んでると思いますか?」


 と問い返してくる。


 こいつが読んでる本か。こいつは割と乱読派なので、だいたい何でも読む。だから、予想するのは難しいし、大方それは外れる。僕は勝てない勝負はしない主義なのだ。


 質問に答えずにいると、


「なんで先輩無視するんですか、傷つきました」


 と言って、空はしくしくと泣き真似をしてくる。


 めんどくさい。


 それでも無視を続けていると、飽きてきたのだろう。


「分かりました。それでは当てられたらご褒美を上げましょう」


 と言ってきた。


 ご褒美か。それならやってみてもいいかな、タダだし。


「どういうご褒美なんだ?」


「全く春先輩は現金で困ったものです」


 そう言いながらも空は満足げな顔をしている。


「そうですね、分かったら一つだけ何かお願いを叶えてあげましょう」


「それは何か制限があるのか」


 空は信じられないという顔をする。


「一体私に何させる気なんですか、ケダモノ先輩」


 随分な言い様である。


 まだ何も言ってないのに。


 まだっていうか、これからも言うつもりないけど。


「そういう意味で聞いたんじゃないぞ」


「そういう意味ってどういう意味ですか」


 まだ引っ張りたいらしい。


「とにかく、分かった、やるよ。お前が読んでる本を当てればいいんだな」


「私の質問に答えてほしいところですが、まぁそうです。この本を当ててください」


 そう言って、文庫本サイズのカバーの掛けられた本を見せてくる。厚みはそんなになさそうであるが、それだけから分かったらそれはもう超能力である。


 最近のこいつの読書傾向から当てなければいけないだろう。


 こいつは乱読派で、ファンタジー、ミステリー、恋愛、ホラーと割と何でも読む。


 まあ、流行ってるのは結構読むみたいだから、どのジャンルかわかれば、結構可能性が上がる。


「ジャンルだけでも絞らせてくれないと、絶対当たんないと思うぞ」


 そう言うと、彼女は少し考えて、


「まぁ、ある程度当たる確率を高くしないと面白くないですもんね。あんまり多く質問されても当てられそうなので、はい・いいえで答えられる質問を3問までならいいですよ」


 と言ってきた。


 3問か、ジャンルを指定して聞くと、潰せるのは3つだけだな。ここは少し小ずるいが、策をろうさせてもらおう。



「今から本のジャンルを言うから、その本に当てはまっていたら、はい・いいえで答えて?」


 これなら、答えの列について一回聞いたことになるので、質問は1回だな。


「それで3つ言ってきたら、3つの質問にしますからね」


 僕は慌てて自分の口を塞いだ。


「取り消し、今のナシ。分かった、オレが悪かった。ちゃんとやるから、許して」


 ついみっともなく取り繕ってしまう。おかしいな、通ると思ったんだけどな。あまり頭を使うのは良くないかもしれない。


 僕は基本頭が良くないんだ。ここは当てずっぽうで質問してみるしかない。


「書いた人は新人?」


「新人ではないですね」


 新人じゃないってことは大御所か。


「ジャンルはホラー?」


「違いますよ」


 違うらしい。


「じゃあ、ファンタジー?」


「ファンタジーと言えないこともないかもしれないですね」


 何なんだろうか、この煮え切らない感じは。まぁ、ファンタジーで、こいつが好きそうで、最近書かれたものじゃないものと言えば、かなり絞れた。


 僕はしばらく悩んだ後、答えた。


「ブレイブ・ストーリーだろ」


「ブッブー。違います」


「え、じゃあ精霊の守り人?それとも、十二国記?」


「ブッブー。どれも違います」


 じゃあ一体何なんだろう。


 考えてみるが、何も思いつきそうにない。


「分かんないや。降参」


 そう言うと、空は得意げな顔をして笑った。


「正解は、芥川龍之介の短編集でした」


 そう言われて、びっくりしてしまう。


 こいつは時代小説も近代文学も古い言葉が使われていると、感情移入できないとか言って、一切読んでこなかった。


 それが一体どういう心境の変化だろう。


「いや、当たるわけ無いだろ。そんな本を読む素振り一切見せたことなかったじゃないか」


「まあ、色々心境の変化がありましてね。とにかく春先輩の負けですね」


 えらく嬉しそうにそう言って笑う。まあいいか、何かペナルティがあるわけじゃないし。


「じゃあ、ペナルティとして春先輩には私の言うことを一つ聞いてもらいますね」


 意味が分からない。本当に意味がわからないことを言ってきた。


「そんな話、してなかっただろ。リスクがないから、僕はこういう当たりそうもない勝負に乗ったんだぞ」


「春先輩、知らないんですか。権利と義務は表裏一体なんですよ。私が何でもするという対価を用意してるんですから、それなりの対価を用意してもらわないと、釣り合いが取れないじゃないですか」


 いやその理屈はおかしくないか?


「対価の釣り合いを取るのは、勝負の前にやるべきだろ。僕はなんにも賭けてないんだから無効だ、無効」


「先輩の認識が間違ってるのはそこですよ。私が何を賭けるかは確認しましたけど、春先輩が何を賭けないかは確認してないですよね。つまり、私は春先輩が何を賭けていたのか自由に決めることができるんですよ。ほら、歴史は勝者が作るって言うじゃないですか」


 そういう意味じゃないと思うんだが。


「やっぱり、なんか納得できないんだけど」


 そう返すと、空はしかめっ面を向けてきた。


「とにかく、春先輩は私の言うことを一つ聞いてください」


 そう言って押し切られてしまう。


「タダより高いものはないんですよ、春先輩」


 そう煽ってくる後輩に少しイライラするが、それでもなんだかんだ許してしまう。


 こいつには借りもあるしな。


 楽しそうに笑っているこいつを見るのは好きなのだ。

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