七月 誘い鉾
七月。一般的にはただの夏だが、洛中は違う。そう、三大祭の一つである祇園祭の季節だ。七月一日から始まるその長い祭りは、十六日の宵山と十七日の山鉾巡行で最高潮を迎える。観光客も数多く訪れ、洛中の人口は何時もの三倍にも四倍にも膨れ上がる。そして当然、そんな洛中の騒乱に乗じて良からぬ事をしようとする不届者達も多く集まるのだ。
その為、ウチ等陰陽寮は警察に強制……もとい協力して警備に当たる事になっている。理由としては、警察の怠慢……では無く、能力者や神妖の類の相手をする可能性があるかららしい。まぁ実際、妖怪が大暴れした事件も過去にはある。だからしょうがないといえばそうなる。なるのだが……
「え~、やだやだ!ボクは今年こそ、朱雀と浴衣デートするって決めてたのにぃ!」
「んなこと言ったって、朱雀は仕事なんだからしょうがないでしょ?」
蝉の五月蠅い日曜日。ウチの部屋である離れの一階に、言う事を聞かず駄々を捏ねる阿呆が居た。と言うか。
「そもそも、ウチはデートに行くとは一言も言ってないんだけど」
大体ウチは、宵山の日は本家の浴衣関連の仕事と陰陽寮の件で大騒ぎだ。浴衣デートなんて夢のまた夢。此奴等だって、ウチが毎年忙しいのを知っている筈である。と言うか邪魔なのでさっさと帰って欲しい。
しかし、どうやら此奴等はそんな事は気にならないようだ。どうでもいい三文芝居を続けている。
「折角高校生になったんだから、浴衣でいっぱい遊びたかったのに……ちらっ」
「そうだね……今迄は時間制限とかもあったから、ゆっくり遊んだり宵山をしっかり楽しめなかったりしたからね……ちらっ」
分かりやす過ぎる。もう少し上手に演技出来ないのだろうか。とは言え、正直此奴等の演技に付き合っている暇は無い。ウチは新作浴衣のデザイン決めでいっぱいいっぱいなのだ。浅黄色に朝顔もいいし、薄青に金魚もアリだ。しかしそんな古典的なデザインを無視した、赤紫地にライムグリーンの格子縞も捨てがたい。やはりデザインは外に丸投げした方がお洒落になる。
そう思ってあれこれ考えていると、神楽が一枚の絵を出して来た。どうやらこっそり浴衣の絵らしい。意外と上手いのがイラっと来る。濃紺に……鮫?成程、イラっとは来たが面白い。面白いが……
「これで良くない?」
「誰が着るの、これ」
鮫映画が好きなら兎も角、普通なら着ようとは思わないだろう……と思ったが、着たそうにしている阿呆が居た。翼だ。そう言えば此奴、B級映画が好きだった。
「いいじゃん、それ。ボク着てみたい」
「いいでしょ~」
そんな風に自慢げに見せびらかしているが…採用出来る訳が無い。
「没に決まってるでしょ」
翼が勿体無さそうな顔で見てくるが、流石に無理でしょこれは。確かに夏っぽくはあるが。取り合えず、他の案に混ざらない様にしっかり破っておく。だが……何故か神楽はニヤニヤしたまま。念の為、狐火でしっかり燃やしておこう。
と、目の前にもう一枚。今度は浴衣……かどうかの判別が難しい絵が出て来た。この目茶苦茶な構図。間違いない、翼の描いた絵だ。
「えへへ~、良いでしょ」
良いも悪いも、そもそも何の絵なのか判別出来ない。そう、此奴は所謂画伯である。そして質の悪い事に、自分は上手いと思っているのだ。
取り合えずしっかりと見てみる。多分顔だと思う場所に、角らしきものと長い鼻らしきもの……これは……鹿だろうか。
「龍と雨雲だよ。上手いでああっ!」
「ド却下。良くあるデザイン過ぎる」
速攻で畳んでポイッと投げる。そのままゴミ箱にin。ナイスシュートだ。混ざる事は万が一にも無いが、どのみち却下なのであまり変わらないだろう。ま、翼のご機嫌は斜めになったが。
「折角ボクが描いたのに……捨てなくてももいいじゃないか……」
「他と被るデザインじゃ、流石に新作として出せないでしょ」
「……下手って言わない辺り、愛を感じるねぇ」
頬を可愛らしく膨らませる翼とウチを見比べて、神楽はそう言った。五月蠅い奴だ。と、何かを思い出した様に手を打つ。
「そうだそうだ。朱雀に調べろって言われた奴があったんだ」
やっと思い出したか阿呆め。ウチは取り合えずデザインの方を片付けて、神楽の方の資料を受け取った。翼もいじけるのを止めて、ウチの手元を覗き見る。そこには、色々な怪談サイトの噂が纏められていた。どれもこれも、占いに関しての記述である。
「やっぱりだけど、虎太郎君が言ってた『占い館』についての噂は無いね……」
占い館。先月の事件で知り合った虎太郎君が教えてくれた話だ。彼があの真相に辿り着いたのも、他でも無いその占い館に行ったかららしい。
始まりは事件の……いや、ウチに依頼してきた日の二週間前位だとか。帰り道を自転車で走っていた途中、ふと気付くと目の前に見た事の無い雑居ビルがあったらしい。そして、その一階にあった「占い館 アラビアンナイト」という所に入ったと言う。何故そんな怪しい所に入ったのか。それは、少し前からクラスの女子の間で「その占い館に行くと、自分の悩みだけじゃなくて、気になっている事が解決する」と聞いていたからだそうだ。
彼自身、何故かある雛人形や隠されていたテディベア等の心当たりがあった。だから、それを確かめたかったらしい。だから多少怪しいと思っても、その占い館に入って占ってもらったのだとか。そして、如何すれば真実に辿り着くのかも教えてもらったらしい。ま、その結果はお察しだけど。
だが。その占い館をいくら探しても出て来ない。肝心の虎太郎君もしっかりとした場所を知らないと言う。なので、もしかしたらと思ったが……大外れだ。
「でも、アラビアンナイトって店自体が無いって話だよね」
翼が資料を捲りながらそう言ってきた。確かそれを調べたのは、他でも無いウチの護衛班だった筈。その結果、何も出て来なかったのだ。占い館とか、そこに居たというローブ姿の占い師についても。護衛班が調べて出て来なかったのだから、まず真面な所では無いだろう。
そんな風に資料をペラペラ捲っていると、障子を開けて鞍馬が入って来た。どうやらデザインの回収をしに来たらしい。困った。此奴等の相手で未だ決めてなかったのだ。仕方ないので、鞍馬に決めて貰おう。ウチはデザインの紙を裏返し、適当に混ぜて渡した。
「鞍馬。一番上の奴を採用で」
「畏まりました、その様に……」
これで一先ず安心だ。後は宵山と山鉾巡行の二日間が山場になる。と、何故か阿呆達は帰り支度もせずにゲームを始めようとしていた。言わなくても分るとは思うが、明日は学校である。しかも、金曜から泊まっているので約二日はここにいるのだ。此奴等、ここを旅館か何かと勘違いしているのではないだろうか。
「まだ泊まるつもり?」
ウチがそう阿呆(頭の悪い方)に聞くと、悪びれる事無くとんでもない事を言いだした。
「いやほら、明日送ってってくれるかな~って」
「はよ帰れ」
ウチは送迎付きの旅館ではない。さっさと帰れ。
そんなこんなで宵山当日である。昨日は雷が鳴り響くほどの大雨だったが、今日はそんな天気は何処へやら。すっかり晴れ上がって完全な夏模様である。蝉も元気に鳴きまくり、夏本番という見事な日だ。詰まる所、クソ暑い。いい加減にして欲しい。
そんなクソ暑い宵山当日、ウチは朝から三条室町の陰陽寮出張本部に入っていた。まぁ本部なんて言っても、要は駐車場にテントを張っただけの粗末なものだが。どうにも、毎年使っていた四条烏丸の空きテナントが今年は使えなくなってしまったらしい。この炎天下でテント……控えめに言っても地獄である。
一応外部電源式の扇風機があるが…送られてくるのは熱風ばかり。今まで空きテナントのエアコンの効きが悪いだの、黴臭い匂いがするだの言ってきたが…無いより遥かにマシだったと言う事が分かってしまった。ウチは能力で涼しく出来るが、他のスタッフ達は恐らく暑くて堪らないだろう。ご愁傷様です。
とは言え。こうして出番が来るまで、仮本部で待機するだけのウチはまだマシである。なんせ今日は、炎天下の洛中をパトロールしている陰陽師ばかりだからだ。彼らに比べたら、ウチの境遇は天国と言わざるを得ない。
ウチの役割は、パトロール組の手に負えない妖怪やその他諸々が出た時の要員。つまり殆ど出番は無いのだ。今までウチがこれを担当する様になってから、そんな事例は一度も無い。最も、ウチの前任者達から聞いても、一度もそんな緊急事態は無かったらしいが。
だが、「もしも」が捨てきれないのが宵山の特異性だ。なんせ普段から空気中の妖力濃度が濃い洛中に、普段以上の人間その他諸々が入り込むのだ。今まで何も起こらなかったからと言えど、注意するに越した事は無い。
「皆さん、お疲れ様です。差し入れお持ちしました」
そう言って、テントに入って来た白いカッターの男が一人。京都市市政課の
「あ~!私の愛しのアイスちゃ~ん!」
そう言って早速某ソーダ味の棒アイスに飛びついたのは、
「花京院だっけ」
「宇治拾院です!そろそろ覚えてよ~、朱雀ちゃ~ん」
そうそう。開発班班長の
何故開発班なんて、暇人と変人の巣窟の主がこんな前線にいるのかと言うと……最新の対妖怪用サーチシステム「
そう思っていると、宇治拾院の奴はディスプレイと睨めっこを再開した。どうやらアイスを食べ終わったらしい。小長井さんはアイスを他の人に配りに行っている。そして暇な時間が再び訪れた。クソ暑いが暇。これ以上悪い事は無い。
と、思ったが。ウチの携帯が着信音を響かせた。一体何処の誰が掛けて来たかは知らないが、場合によっては最悪の記録が更新される。せんで良いねんそんな記録。
携帯のディスプレイには、神楽の名前が。はい更新決定。
「……何」
「やっぱり暑くてイライラしてるね、朱雀」
今直にでも切ってしまいたい。だが恐らくここで電話を切ると、彼奴は憎たらしい表情が更に増すだけだ。それはそれでウチのイライラが増えるので、少し位相手をしてやろう。どうせ暇だし。
「いや~、実は今翼と浴衣デートするつもりで着付け中なんだけど」
しまった。つい手が滑って電話を切ってしまった。まあ良いだろう。どうせ碌な内容じゃ無いだろうし。ウチは暇では無いのだ。
が、やっぱりまた掛かって来た。暫く無視していたが、五月蠅くて仕方ないので出てやる。どうして着信音と言うものは、蝉と一緒になるとストレスがいや増すのだろうか。
「……何」
「ゴメンゴメン。デートじゃないよ」
重要なのはそこでは無い。そんな事よりどうして、忙しい事が分かっているであろうウチに電話なんて掛けて来たのか。阿呆なのか此奴。あ、阿呆だった。
「ほれ、宵山についての噂を集めて纏めたんだよ。何かの役に立つかと思ってさ」
成程。阿呆と鋏は使い様なんて言うが……どんな阿呆だって偶には役に立つらしい。と言うか偶にでも役に立ってもらわねば存在価値が無いと言うものだ。
「で、それを何時ウチに渡してくれる訳?」
「え……?」
駄目だ此奴。やっぱり使い物にならない方の阿呆だった。
取り合えずここの場所だけ教えておく。全く、後先考えないから此奴は阿呆なんだと何度も言っているのだが。そして電話を切ると、今度は別の阿呆が椅子に凭れ掛かって叫んでいた。正直蝉より五月蠅い。
「にゅぅぅぅぁぁぁあっ!どおおおおして上手く行かないかなぁぁぁぁあたっ!」
投げた扇子でヘッショが決まった。椅子から転げ落ちる宇治拾院。これで少しは静かになった。
「騒がしい。少しは静かに出来ない訳?伊集院」
「宇治拾院です~!ほれ朱雀ちゃん、見てみ見てみ?」
そう言って宇治拾院はウチにディスプレイを見せてくる。ウチは技術者では無いので、見たって何も分からないのだが……そこには、一面が真っ赤になっている洛中の地図が映っていた。いったいこれが何だというのだ。
「さっきからずっとこんな調子で……こんな大規模な結界なんて張ってたら、流石に誰か気付くでしょ?密度だってあり得ない位高いし……」
成程。この赤いフィルターの様な物は、高密度の結界を表しているのか。確かにこれだけの大規模な結界となると、ウチ程の能力者でなくても気づくだろう。場合によっては、結界に勝手に閉じ込められるかもしれない。
結界には幾つか種類がある。能力者や妖怪の能力によって発生する通常結界。能力発生時に自動で発生する特異結界。そして、そのエリアの妖力値が諸事情で急激に高まったり、地形的に妖力が溜まる事で発生する自然結界だ。それぞれに特徴があるが……これを細かく説明したら時間が掛かるのでカットだ。
結界密度とは、詰まる所妖力がその結界内でどれ程存在するか、と言う事だ。妖力が高ければその分妖怪は元気になるし、能力だって性能が上がる。しかし逆に高ければ高い程、人間にとって入り辛い場所になる。密度が一定値を過ぎると非能力者は入る事は出来なくなり、更に増えるとそもそも人間が入る事すら出来なくなる。
だが、結界には利点がある。結界内部は通常の世界とは異なっており、内部で建物や地形にダメージが入ってしまっても、結界が無くなれば元に戻る。だから陰陽師の多くは妖怪討伐の際に結界を張る事が多いのだ。ただし、一定量以上のダメージはどうしても残ってしまう。なので能力者は、結界内での戦いの方が色々と制約を受けたりするのだ。
「アンタがヘボいから、真面な物が出来なかっただけでしょ。鬼龍院」
「宇治拾院で~す!!目茶苦茶暑いから、冷却が間に間に合わなくてオーバーヒートしてるのかなぁ……」
まあ兎に角。あの機械を当てにするかどうかは別にして、それだけの大きな結界が発生したとなれば調査する必要がある。どうやらここも範囲内らしいが、その気配は全く無い。となれば、結界の中心を探すべきだろう。
「んで、中心は何処?」
ウチは宇治拾院を扇子で叩いて、此方に注目させる。宇治拾院は叩かれた所を摩りながらマウスを動かしてマップを広げた。しかし見事に洛中全域が真っ赤である。
「ん~……分からないなぁ……取り合えず、四条とかの辺りだとは思うけど……」
「……つまり、今人でごった返してる四条を調べに行かなきゃ行けない訳?」
それは避けたい。唯でさえクソ暑いのに、更に人が多くて暑苦しい祭りの中心に好き好んで行くのは頭がおかしいと言わざるを得ない。何でそんな事をしなきゃいけないのだ。……いや、仕事だっだ。
「ま、十中八九そのポンコツの所為だけどね」
「そんな事無いよぅ……おっかしいなぁ……」
そんな風にブツブツと呟く宇治拾院。正直あまり近寄りたくない。だがまぁ、ここでのんびりしていても結界が無くなるとは思えない。基本的に、自然結界は人数が増えれば増える程濃く、強くなってくる。そして結界密度が高くなれば成程、妖怪や能力者は元気になってくる。つまり逆に面倒が増える可能性がある訳だ。
仕方無い。取り合えず浴衣の袖に、クーラーボックスに入れたペットボトルをひょいひょいと入れる。確かに水位なら、自販機とか露店で買えるだろう。だが、それは普通の世界であった場合だ。結界に入ってしまった場合、そう言った方法での補給は不可能かもしれない。なので、先に補給出来る時は補給するに限る。因みに、浴衣の袖の何処にそんなにペットボトルが入るのかは……企業秘密だ。
そんな風にして出張本部を出ようとすると、「ちょっと待って」と宇治拾院が言って来た。何やら足元の多目的コンテナをゴソゴソとしている。そして、何かを引っ張り出した。嫌な予感がする……
「てってけてってて~!妖力コンパス~!」
その手に握られて居たのは、片手に収まる位の小さなコンパスだった。よく見れば、針の赤い方がウチを思いっきり指している。しかしウチの居る方は、宇治拾院から見て北ではない。
「これは、RATCSの簡易版みたいな奴でね?妖力の高いものを指し示す様に作ったのだ!今は私より朱雀ちゃんの妖力が高いからそっち指してるけど……ほれ、ちょっと持ってみ?」
そう言って宇治拾院は、ウチの手に無理矢理コンパスを握らせてくる。すると、さっき迄ずっと此方を向いていた針が、急にくるくると回り出した。
「今、そのコンパスは朱雀ちゃんの妖力を基準にしてる。だから朱雀ちゃんの半径5m以内に、朱雀ちゃんより少しでも妖力の高い奴が現れれば例え結界の中に居ようとも、必ず赤い方が向いてくれる。どう?役に立つべ?」
本当に実戦に耐えられるかどうかは別として、成程これは少しは役に立ちそうだ。最も、この結界の中心に居る奴が必ずウチより妖力が高いとは限らないが。
取り合えずそれを持って、ウチは出張本部を出た。さっきまでは無かった強い日差しがウチに突き刺さる。ウチは良く驚かれる位には白い。アルビノや吸血鬼と間違われる事もある。なので日差しに当たると、直ぐ赤くなって痛いのだ。日傘でも持ってくればよかった。持って無いけど。
しかしクッソ暑い。取り合えず足元にペットボトル一本分の水を撒く。これで暫くはそれなりに涼しく出来る。気化冷却と言う奴だ。だが、ウチの能力で涼しく出来るのにも限界と言うものが有る。全く、どうしてこんなに暑いんだ……
「多分夏だからじゃない?」
宇治拾院がそんな事を言って来たので、空のペットボトルを投げつけてやった。元を正せばお前の所為じゃないか。
三条室町にある仮設本部を出、三条通から烏丸通に向かう。宵山の真ん中に行くのであれば、そのまま室町通を下るのが早い。だがそれは、大量の人だかりを超える必要がある。それはやだ。暑いし。なので多少遠回りになっても、三条から降りた方が早い。
烏丸通まで出ると、流石に人が多くなっていた。なんて事だ、完全に逆効果である。時刻はそろそろ昼過ぎ。ちゃんと時計を見て来れば良かった。完全に元の木阿弥である。とは言え、今日は宵山。時間が過ぎれば過ぎる程、どんどん人も増えてくる。動くなら早いに越した事は無い。そうだ。そう思う事にしよう。
そのまま例のコンパスを見る。だが、全く動く気配がない。どうやら赤い方が重いらしく、ウチが傾けると下を向く。アレの説明が正しければ、少なくとも半径5m以内にウチより強い能力者は居ない事になる。正しければ、だが。
ウチは体力を温存させつつ、四条烏丸交差点まで出た。流石中心部。結構な人出である。そして出店が多いからか、至る所から美味しい匂いがする。そう言えば昼は未だだった。道理でお腹が空く訳だ。何処かで食べてしまおう。
と、思っていると。
「あ、黒島君じゃないか」
そんな風にウチを呼ぶ声がした。しかし残念ながら、そんな風にウチを呼ぶ奴に限って碌な奴が居ない。しかもえらく聞き覚えのある声。なので無視する事にした。
「お~い、黒島く~ん!黒島くぅ~ん!」
無視無視。
「……甘い物奢るから」
「それを先に言え」
それなら認知ぐらいしてやろう。
振り向くと案の定、赤地にトロピカルなハイビスカス柄のアロハを着、サングラスに白地のハットを被った怪しげな……と言うか胡散臭さMAXなオッサンが立っていた。どう見ても不審者である。
「オッサンとは酷いな……私は未だ二十代だからね。若いからね!」
「正確に言えば28。もう三十路何だからオッサンで充分でしょ」
このオッサンの名前は、
因みに此奴は黒髪の乙女フェチ。成程、確かに先輩は黙ってさえいられれば黒髪の乙女……と言って良いかもしれない。だから此奴は助手にしたのか。変態め。
「……何だか、私の聞こえない所で悪態ばかりつかれてる気がするんだけど……」
「気の所為でしょ変態」
勘の良い奴め。こう言う勘の良さだけで、成り立つ筈の無い探偵事務所の経営を成り立たせて居るのだから凄い話だ。良くも悪くも探偵向きの奴である。最も、此奴が探偵向きなのはそれだけじゃないのだが。
「所で今日の分の事件は?」
「あ、さっき片付いた。今日は国枝君の力も、黒島君の力も使わないで解決出来たのだ。さぁ、褒めるが良い」
そう言って胸を張る。やっぱり此奴は阿呆だ。そして、此奴が探偵業を成り立たせて居られる理由のもう一つが、ウチの聞いた事である。
「探偵物語」。望月句庵の能力名だ。句庵がふらりと出歩くと、この能力によって事件が必ず舞い込んでくる。つまり、居るだけで事件が巻き起こるのだ。他人からしたら災害みたいな能力である。
一日に起こる事件は一つだけ。大体は何かを無くしたとかペットが家出したとかのレベルだが……極稀に、超重大な殺人事件に巻き込まれている。正直自業自得としか言いようが無いが、京都府警刑事課含む警察関係者からしたらいい迷惑だ。と言う訳で、ウチが此奴の事を初めて知ったのもそんな事件からだった。長くなるからカットするけど。
逆に言えば一日に一回しか事件に巻き込まれないので、今日一日は此奴の所為で事件に巻き込まれる事は無い。これで面倒が一つ減った。まぁ……此奴と一緒にいる事自体が面倒だが。
取り合えず烏丸を更に下がって、二帖半敷町のくろしまやかふぇに入る。ここなら軽食もあるし、甘いものも有る。どうせ句庵の奢りだ。色々頼んでやる。
「……で、何でウチに話しかけて来た訳?」
ウチは宇治抹茶すぺしゃるぱふぇを空にしてから、唯の珈琲を飲む句庵に聞く。句庵は何かを思い出した様に、指をパチンと鳴らした。カッコ付けているが、胡散臭さが増しまくっている。
「そうだそうだ。国枝君を探して欲しいのだよ。ほら、聞いた所によると、黒島君は国枝君の後輩なんだろう?」
運の悪い事に。と、言おうと思ったが…止めておいた。別にこの阿呆にアレが怪しいと伝える必要は無い。と言うか、言っても聞かないだろうし。
「何か用事でもある訳?」
「いや~、別に何かある訳じゃないんだけどね。国枝君と一緒なら、事件がもう一回起こっても安心だからね」
つまり、先輩の頭の良さを上手い事利用したいと言う事か。確かにあの先輩、頭が変な方向にキレてる所がある。ウチの事件をあっさり解決してヒントまで出して来る様な変人だ。この阿呆の能力で起きる事件位、ほんの数秒で解くかもしれない。
それに、先輩が事件をさっさと解決してくれれば、唯でさえ胃薬がお友達な京都府警の面々も楽が出来ると言うものだ。なら断る理由もない。取り合えず頷いておいた。ま、見つかるかどうかは別だが。
「所で、さ」
新しく来たくろしまやかふぇすぺしゃるをスプーンで突いていると、今度は句庵が話しかけて来た。
「黒島君は何を探しているんだい?」
「何って……」
取り合えず軽く説明をすると、句庵は何やら考えるような表情を浮かべる。そしてウチの出したコンパスを突いた。
「そうだねぇ……中心に行って、何かが見つかるかもしれない訳だ」
「だから絶対に近づかないで」
面倒が起こるから。そう言うと、句庵は楽しげに笑った。
「大丈夫だよ、黒島君」
何がだ。句庵が続ける。
「私はこれから、菊水で一杯やる積もりだからね。黒島君の話じゃ、今回の事件の中心は四条の辺りなんだろう?」
それは恐らく、だが。とは言え、さっきのRATCSのディスプレイを見た限りはそう思える。それに、一番人出が多く成る所でもあるし。
「それに、今日ぶんの事件は解決した。つまり、私の「物語」は終わりだよ」
そんな事を言って、この阿呆は伝票を掴んだ。えらくカッコ付けた奴である。まぁ、此奴は前からそう言う奴だが。しかしウチも、一応仕事中の身。そろそろ快適なここを出なければ。でも涼しいし、外は炎天下。更にコンパスに変化は無い。
……もう一寸、涼しくなる迄ここに居ようか。ウチがそう思った時、携帯が鳴った。モニターには翼と出ている。そうか、確か神楽と資料を持ってくるとか言っていた。
「何?」
そう聞くと、翼の焦った声が聞こえる。
「……朱雀、確か三条室町に仮設本部があるって神楽に言ったんだよね」
嫌な予感がする。そうだと言うと、翼がとんでもない事を言って来た。
「神楽、本部を探しに行って居なくなっちゃった……」
「はぁ……はぁ……つ……翼ぁ……」
ウチが急いで仮設本部に戻ると、翼が深い藍色に朝顔と言う浴衣で待っていた。良く似合っている。じゃなくて。
「と……取り合えず……せつめ……説明……」
「あ、うん。先ずは朱雀は休んで……」
そう言って、翼がウチの前に椅子を置いてくれた。軽く早歩きで戻って来ただけだと言うのに、息が上がってしょうがない。半分死にかけてると言っても良い。少しは体力を増やしたい。
ウチが座ったのを見て、翼は事情を喋り出した。
「さっき神楽が電話した時、ボク達は「黑しま屋 祇園本店」に居たんだ。これの着付けをして貰う為にね」
成程。ウチの店にいたのか。確かに普段はウチが着付けをしてたし、ウチが居ないなら店に行くのが一番だ。
「で、少し街を歩いてから……神楽が纏めた資料を持って、先に此処に行くって言ってて。でも…いくら待ってても、待ち合わせ場所に神楽が来なかったんだ」
方向音痴な翼ならいざ知らず、神楽が道を間違えるとも思えない。と言う事は、どこかに居なくなったと考えるのが普通か。
「私はずっとここにいたけど、この子の言う子は来なかったなぁ」
宇治拾院がそう言って、翼の頭をポンポンと叩く。状況を纏めると、翼と神楽が分かれて、寄りにもよって資料を持ったままな神楽が行方不明…と言う事か。最悪と言う程じゃないが、良くない方向だ。もし翼が資料を持っていてくれれば、この謎の結界についても何となく分かるかもしれないが…
取り合えず捜索だ。こんな事で使いたくなかったが、しょうがない。
「宇治拾院、パトロール組に連絡。翼、写真あるでしょ。共有して」
「はいよ~!」
パトロール組には申し訳ないが、なんとしても神楽を……いや、資料を見つける必要がある。それにもし、結界に神楽が迷い込んだとしたら……それこそ厄介極まりない。なんせ、どうやっても結界の入り口が分からないのだ。取り合えずで中心と思しき四条烏丸まで出てみても、何もコンパスに変化は無かった。つまりあそこには何もない可能性がある。
と、思い出した。それこそ、こんな事にピッタリな小探偵がいる事を。まさかあそこでエンカウントしたから事件が起こった……何て思いたくない。それにアイツは言っていたじゃないか。「さっき片付いた」と。
まぁ兎に角。アイツが居る菊水に向かおう。また四条烏丸に戻らなきゃいけないのか……厄介だ。と言うか疲れる。句庵の阿呆め。携帯を携帯しない性格を何とかしたらどうだ。そう思ったら、なんだかイライラが増した。
レストラン菊水。四条大橋の東詰にある白亜のモダンなビルで、真ん中が飛び出した屋根が特徴的なレストランだ。大正5年からあるらしく、国の文化財に指定されているとか。恐らく四条大橋に行った事がある人なら、一度は必ず見た事があるだろう。
そんな菊水の屋上に、人探しにピッタリな小探偵は居た。わざわざそんな所迄来たウチと翼を見て、一瞬驚いた顔を見せる。が、直ぐに何時ものだらしない顔に戻った。取り合えず、起こった事を軽く説明した。
「で、私の所に来た訳だ」
そう言うと、句庵の阿呆は美味しそうに麦酒を呷った。この灼熱のビアガーデンで飲む麦酒。美味しいに決まってる。この野郎、ウチも仕事じゃ無ければ……いや、止めておこう。色々危ないから。取り合えずウチは、目茶苦茶気になっている事を確認しておく。
「念の為聞いておく。アンタ、さっき今日の分は解決したって言ってたよね」
「そうだとも。ほれ、ここにちゃんと書いてあるでしょ。落とした指輪の捜索だよ」
そう言って、句庵はメモ帳を見せて来た。此奴は本人の意思とは無関係という厄介な能力の為、何時でも身の潔白を証明出来る様にその日にあった事件をこうしてメモしている。成程。確かにちゃんと「指輪捜索」と書いてあり、完の判子も押してあった。惜しむらくは……
「……今日、何日か知ってる?」
ウチがそう言うと、句庵は胸を張って答える。
「今日は7月は15日だろ?」
「え」
翼のツッコミに、だんだん自信を無くす句庵の表情。その通り。今日は宵山、16日だ。
「だって……私は指輪を探して……それで昼寝をして……」
「単純にそのまま寝過ごしただけじゃない?」
そう言うと、この阿呆は納得したように手を打った。ウチは扇子で此奴の頭を打った。
菊水を後にしたウチ等は、そのまま橋を渡って四条烏丸まで戻って来た。別にここで何をする訳でもないが、一応ここから始めるのが筋という気がしたのだ。
「じゃ、取り合えず私も探そう。どうやらこの件、私が呼び込んでしまったようだからね」
「当たり前でしょ」
そんな事を言う句庵を、もう一度扇子で叩く。此奴が居なければ、そもそもこんな事にならなかった……かもしれないのだ。少しは反省して欲しい。
兎に角。ウチは翼と動き、句庵はソロで探してもらう。運が良い事に句庵は携帯を持っていたらしく、ちゃんと電話に反応するように言いつけた。携帯を携帯していたとして、出なかったらそれも問題である。
「んじゃ、バイビー」
そう言って、フラフラとした足取りで句庵は居なくなった。少し……いや、かなり心配になる様な奴だが、それでも此奴は今迄起こったどんな事件も解決している。まぁ、自分の能力で起こした事件を自分で解決しているので、とんだマッチポンプではあるが……
「えへへ……朱雀と浴衣デート……」
神楽は笑顔ですり寄って来るが、暑苦しいので無理矢理引っぺがす。と言うか、本来の目的をすっかり忘れてやがる。全く、困った奴だ。
本当であれば、翼とも別れて三人で別行動が一番いいのだが……残念ながら此奴は方向音痴なのだ。確かに
時刻はそろそろ五時過ぎ。行ったり来たりしている内に時間が経ってしまったようだ。空には夕闇がこっそりと忍び寄ってきている。人もどんどん多くなって行き、出店も活気づいて来た。焼きそばや箸巻き、たこ焼きと言ったソース系の匂いが尾行をくすぐる。更に赤く艶やかな林檎飴や、ふはふはで甘い綿飴。それにチョコバナナやクレープ等の鮮やかなデザイン達も眼に眩しい。そう言った物を横目に歩いていると、お腹がどんどん空いていく。と、横から可愛らしいお腹の鳴る音がした。翼だ。
「……てへへ」
翼はそうバツが悪そうに笑って、近くの出店に走って行った。考えてみれば、軽食を取ったのはウチだけだ。翼達の事は知らないが、恐らくウチと合流してから食べる積もりだったんだろう。先に食べておけばいいのに。
戻って来た翼の手には、ホットドッグが二つ握られていた。どうやらケチャップ類は掛け放題らしく、片方のホットドッグには山ほど刻んだピクルスが積まれていた。どの位詰まれていたかと言うと、ホットドッグの入っている紙袋の殆どが緑に見える程。入れ過ぎで最早、ホットドッグと言うよりピクルスを持って来た様にすら思える。
「はい、朱雀の分」
そう言って翼は、ピクルスが常識的な量の方を渡してきた。そう言えば此奴、ピクルスとかケチャップとかのジャンクなものが大好きだった。その癖ウチの作る出汁巻きが好物とか抜かすので、一回どんな舌をしてるか確かめてみたい。
ゆっくり歩きながら一口齧る。熱々のソーセージと肉汁を吸ったパンが口の中に転がり込ん出来た。粗挽き特有の肉感が舌の上で感じられ、熱せられたケチャップとマスタードが肉汁の甘さを引き立てている。そしてピクルスの酸っぱさとカリカリした触感は良いアクセントだ。
普段は絶対に食べないと言っても良いジャンクなものだが、こういう時は何故か無性に食べたくなる。しかも美味しいのだから、不思議なものだ。そう考えながら隣を見ると、翼がピクルス(とホットドック)を美味しそうに頬張ってる。と、此方を見て微笑んできた。不覚にも可愛いと思ってしまった自分が居る。
そうして暫く、ぶらぶらと四条を散策した。歩きながら食べる屋台の物は、どうしてこんなにも美味しく感じるのだろう。隣に翼が居るからだろうか。或いはこれが、夏の魔力と言うものだろうか。何方にせよ、普段からは考えられない程には幸せな時間である。
って違う違う。ウチ等は阿呆を探さなきゃいけないのだ。こんな所で青春の一ページを刻んでいる場合ではない。だが、どうやって探したものか。そう思っていると、袂に入れっぱなしだったアレを思い出した。
「そうだ。翼、これ持ってみて」
そう言って取り出したのは、あのポンコツ…もとい妖力コンパスだ。翼と神楽の妖力量で言えば、神楽の方が上。と言う事は、ウチより確実に神楽に辿り着くかもしれない。最も、アイツの説明が正しければ針はウチの方を向き続けるかもしれないが。
ま、物は試しだ。元から何処に居るのか分からない神楽を探すのだから、色々試してみよう。別に急いでる訳では無いし。しかし本当に小さいコンパスだ。ウチより手の小さい翼が持っても、十分片手に収まってしまう。
「やっぱり朱雀指しちゃうね、これ」
やっぱりか。だが少なくとも、宇治拾院の作ったこれが唯のガラクタじゃない事が分かった。それだけで十分だと思ってコンパスを回収しようとしたその時。
「あ、何か反応した!」
一瞬だが針の赤い方がクルっと回り、ウチ以外の方向を指し示した。これはつまり、その方向にウチより少し低い妖力値の何かが居たと言う事に他ならない。と言う事は、少なくともそれは神楽じゃないのは確かだ。だが。
「ほら朱雀!こっちこっち!」
「翼!ここで走ると―」
そう言って走り出した翼を、ウチは手を伸ばして捕まえようとした。だが、そのまま翼は人混みに掻き消える。そう、目の前で見失ったのだ。ウチの手は宙をきったまま、所在なく浮いたままになっている。
と、その手が一瞬。本当に一瞬だったが、確実にとある感覚を掴んだ。消えゆく残滓ではあったが、その妖力の消え方には覚えがある。それこそ、ウチが何度も感じて来たものだ。
「……結界か」
まごう事無き、結界が消える瞬間のそれだった。翼は見失ったが、さっきから探していた謎の結界の片鱗は掴んだ。そして今回の失踪に関しても、この結界が関わっていると言う事がハッキリと理解出来る。それはつまり。
「面倒が増えた……」
ある意味では減ったとも言えるが。さて、どうしたものか……
「え、それって不味くない……?」
「不味いに決まってるでしょ。兎に角、宝蔵院はそのポンコツを使って結界密度が一番濃そうな所を探して」
「宇治拾院です~!」
ウチは宇治拾院に連絡し、取り合えず今の結界の状況を調べて貰う。本当に結界があるとは思っていなかったが、此処に来て急に信頼度が上がってしまった。出来る事なら故障とか不具合であって欲しかったものだが、今では叶わぬ夢である。
今やるべき事は、結界の入り口……或いは結界の中心だ。翼が結界に入ってしまった以上、突入してでも見つけ出すしかない。そう言えば、神楽も同じように閉じ込められてしまっているが…ま、こっちは放って置いて大丈夫だろう。少なくとも、神楽は翼より戦闘スキルが高いのだから。
「朱雀ちゃん、結界の様子は今の所変わってないよ。だから多分、中心はその辺だ」
「了解」
それを聞き、ウチは電話を切る。耳と言うのも、結界捜索に大事な所だからフリーにしておきたいのだ。結界の中心は、基本的に結界密度が高いので侵入するのが難しい。が、高レベルの妖力値があれば逆に切り開いて侵入出来る。下手に結界の薄い所を虱潰しに歩くより簡単だろう。
そんなこんなで、ウチは路地をしっかりチェックする。何故翼が消えたのかは分からないが、多分まだこの辺りに何かの痕跡があるかもしれないからだ。そう思った時、ウチの携帯が鳴った。もしや翼か神楽か……何て思ったりしたが、モニターの名前で脱力した。あのヘボ探偵だ。
「やふ~。私だ」
このまま通話を切ってしまいたい。だが、句庵だって神楽の捜索をしているのだ。もしかしたら…いやそんな事は無いかもしれないが、何か手掛かりを見つけたのかもしれない。そんな儚い一縷の望みに賭け、ウチは歩きながら会話を続けた。
「……何」
「いや、冬月君……だっけ?その子まで迷子になったりしてないかなぁって思ってさ」
なんて鋭い勘だ。と思ったが、よく考えたら此奴の能力の所為でこんな事になっているのだ。それ位分かるのかもしれない。ならもっと早く言って欲しかった。ウチがそう苦言を呈すと、阿呆は笑って妙な事を口走る。
「ワハハ。兎に角、君まで迷子になっちゃ困るよ?」
「誰が迷子になるか。誰が」
少なくとも、あの二人よりこの辺りは詳しい自信がある。洛中なんて庭と同じだ。例え辺鄙な路地にいきなり飛ばされたとしても、洛中であれば帰ってくる事が出来よう。最も、体力があれば…だが。
しかし、句庵はそれを聞いても笑っている。そして、こんな事を言って来た。
「分からないものだよ?迷子とは、得てして自分が迷子になった事に気付けないものだからね」
「……如何言う意味?」
サッパリ意味が分からない。迷子になったのは彼方では無いか。ウチがそう思っていると、更に句庵が続ける。
「つまり、本当は君の方が迷子になっているのかも……と言う事だ。どうだい?黒島君その可能性も―」
そこまで句庵が言った時、不意に電話が切れた。慌てて携帯を確認すると、モニターの右上に圏外と言う文字が。翼に聞いた事がある。これは確か、この状態になると電話が出来なくなる……とか。だから通話が切れたのか。成程。
いや全然成程では無い。確かにこうなったら通話が出来なくなるとは聞いたが……街の中ではまず起こらないとも言っていた。それはそうか。携帯を所持する人の殆どが街に居るのだ。そこで使えなくて、一体何処で使えると言うのだろう。と、そこまで考えた時だ。ウチはふと気付いた。さっき迄煩い位感じていた、街の喧騒が消えている事に。
そんな訳は無い。何故なら今日は宵山で、洛中の人口がいや増す日。煩くなる事は有れど、静かになんてなる筈が無い。そう思って周りを見渡せば、見た事ある様な無い様な……そんな路地に迷い込んでいた。だが、ここは洛中は四条烏丸の辺り。さっき書いた通り、ウチからすれば庭みたいな所だ。そして、この辺りにこんな路地があると言う記憶は無い。と言う事は……
「……例の結界の中に」
「残念だけど、ハズレだよ~」
そんな聞きたくも無い声がした。振り向きたくない所だが、残念な事にウチは此処が何処なのかを知らない。しかも句庵からの伝言もある。なので仕方無くではあるが、ウチは渋々声の方を向いた。
「……先輩」
「やぁ、久しぶりだね朱雀ちゃん」
そこに居たのは、他でも無い国枝先輩だった。こんな状況下で会いたくない人物ランキング一位であり、正直どんな状況でも会いたくないと言う類い希なる先輩だ。だが、今はこの人を頼る他無い。出来れば絶対嫌だけど。
そんな先輩の格好は、何処か占い師の様な格好であった。普段から感じられる胡散臭さに拍車が掛かり、超頼りたくないタイプに見える。こんな所で占いなんてして儲かるのだろうか。と言うか。
「……先輩。アラビアンナイトって言う占術館を知ってます?」
「残念だけど、それもハズレだね。私のお友達も探しているけど、情報は君達の所と同じ位しか得られてないんだ」
先に此方の答えを読んでいたか。しかし零課ですら情報を掴み損ねているとは。本当にどんな所なんだ、アラビアンナイトは。
兎に角。今は先ず、自分の置かれている状況を判断しよう。そう思って聞くと、先輩は意味有り気に辺りを見渡して微笑んだ。
「ここはね、朱雀ちゃん。忘却の路地って呼んでるんだ。あ、当然だけど私の能力じゃないよ。私はここで、たま~に此処に迷い込んできた人に占いをしてるんだ。朱雀ちゃんも占ってあげようか?」
「結構です」
笑顔でそう言って来る先輩だが、どうせ碌な結果にならなそうなので止めておく。だがウチの言葉を聞いていないのか無視したのか、先輩はタロットを取り出してペラペラ捲る。そして、一枚のカードで手を止めた。そこに描かれていたのは……
「これは戦車だね。しかも逆位だから……おっと、朱雀ちゃんにはあんまり良くないかな~?」
「……それは先輩から見て、ですよね」
ウチから見たら正位なので、意味合いとしては成功とか勝利とかである。そう言うと、先輩は楽しそうに笑ってタロットを仕舞った。
「その通り、朱雀ちゃん。君はもう、今回の件を片付けたも同然だ」
如何いう意味だ。先輩はウチの戸惑いを知ってか知らずか、話を続ける。
「朱雀ちゃんは師匠から話を聞いているんだろう?」
話……あの訳の分からなかった、「迷子は…」と言う奴か。
「なら簡単だ。今道に迷っているのは、他でも無い朱雀ちゃんの方なんだ」
やっぱり何を言っているのか分からない。大体先輩は何処まで知っているのだろう。そう思っていると、先輩は更に訳の分からない説明を続けた。
「例えば、だ。目的地を探している人は道に迷うけど、散歩をしている人は道に迷わない。何故かって?目的地があればそこがゴールだけど、散歩なら何処に行ってもゴールになるだろう?」
「……つまり、目的地があると道に迷って、無いと迷っても分からない……と?」
ウチがそう言うと、先輩は指を鳴らしてウインクしてきた。ウザい。だが確かに言いたい事は分かって来た。
詰まる所。ウチはさっきから何の目的も無く、ただ宵山散策をしていたから結界に迷い込まなかったのだ。逆に翼や神楽は、目的地を見つけたから迷ったと言う事なのだろう。なら逆に言えば、目的地を見つけてしまえば―
「もう、朱雀ちゃんは迷わない……いや、迷えそうだね」
そう言う先輩の声を聴きながら、ウチは路地の出口へ向かった。まだ色々聞きたい事はあるが、先ずは二人を見付けなければ。そう思った時、再びウチの耳に街の喧騒が戻った。帰って来たのだ、宵山に。
そう考えて一歩踏み出す。振り返ればさっき迄あった路地は消え、代わりにファミリマート四条室町店があった。つまりウチは、いつの間にか四条烏丸交差点の辺りに戻ってきてしまっていた様だ。本当にあの路地は何だったのか……
しかし妙だ。あの路地を出てから妙な感じがする。さっきまでの宵山と、確かに何かが違う気がするのだ。どう違うのかと説明しろと言われれば悩むが、本当に違う感じがする。違和感、と言い換えても良いかもしれない。超リアルなFPSゲームの主人公にでもなった気分である。
そんな時。何処からか声がした。
「……コッチ……」
ウチは袂からペットボトルを出し、封を開けて戦闘態勢を取る。これは間違いなく普通の声ではない。しかし、周囲からは妙な気配の類はしないのだ。もっと言えばその奇妙な声は耳から聞こえたと言うより、直接脳内に響いたと言うか…記憶の何処かから湧き上がってきたと言うか…そんな感じの声だった。
しかし如何したものか。若干手詰まり感が出て来た。本部に連絡しようにも携帯は圏外のままだし、雑踏も何だか違和感があるし……もしかしたらだが、ウチは例の結界の中に入り込んだのかもしれない。それなら現状唯一の糸口である謎の声に従ってみるのもアリか。罠なら踏み潰してしまえばいいし。
何処からか聞こえる声を頼りに歩く。人波がウチに気付かない様に近づいては急に避ける所から、恐らく結界の中に居ると言う予測は間違いないだろう。なら、あの二人も居るかもしれない。さっさと探して帰ろう。暑いし。
そんなこんなで兎に角歩く。月鉾を通り過ぎ、郭巨山と四条傘鉾も横目に四条通を西に向かう。そして四条西洞院の交差点で、不意に上がれと言って来た。こんな所、何も無いと言うのに……
だが、蟷螂山を超えた辺りで気付いた。空気中の妖力がどんどん高くなっている。ウチは妖力が多いから良いものの、これじゃ普通の人間は耐えられないだろう。逆に言えば、それだけこの結界の中心に近づいているとも言える。そう思っていると、地面に見覚えのある頭が落ちていた。
「神楽!?」
急いで呼吸を確かめる。微弱ではあるが自発呼吸はある。大丈夫、取り合えず生きているらしい。思いっきり揺すってやると、うっすらだが目を開けた。
「……す……朱雀……?」
「起きろ阿呆」
ウチが頭を扇子で叩くと、一瞬顔を顰めた後に飛び起きた。そして直ぐに、自分の浴衣の懐から畳んだ資料を出して来た。今更遅いっちゅうの。
「これこれ!宵山になると能力者が行方不明になるって噂!これだよ朱雀!」
「分かったから落ち着け」
恐らく気絶する前に必死で赤ペンを握ったのだろう。少し寄れた丸が一つの噂をぐるぐる巻きにしていた。だが、そんな事は後でも分かる。先ず優先させるべきは翼だ。
だが。恐らくだが此奴は、最初に此処に来た時に気絶したのだろう。と言う事は、後から来た翼が何処に行ったのかも分からないかもしれない。なんて使えない奴だ。仕方ないので取り合えず水を飲ませ、翼捜索の手伝いをさせようとした。だが。
「違うんだ朱雀!この先に見た事の無い鉾があって……そいつが元凶なんだ!」
神楽を引っ張り上げようとしていたウチの手が止まる。如何いう事だ?だが詳しく聞こうにも、神楽の顔がフワフワしだした。また妖力に当てられてしまったらしい。面倒だが置いて行く訳にもいかないので、何とか歩けるうちに先に進ませる。
そして本能寺跡地の近くまで来た辺りで…ソイツを見つけた。
「……何……これ……」
それは、大きな招き猫の付いた山鉾だった。提灯には「招猫山」と書かれており、その周りには大量に陶製の招き猫が置かれている。だが、そんな山鉾は存在しない。そしてよく見れば、至る所がまだ完成していないようだ。更に厄介な事に、招猫山からは大量の妖力を感じる。つまり。
「此奴が……アンタの言った元凶?」
ウチが神楽に聞くと、ゆっくりだが神楽の首が肯定を示した。成程。此奴が付喪神となってここにいるから、結界の境目で波長の合ってしまった能力者を招いていたのか。そして、一体どれ程の時間ここに居たのかは分からないが、あまりにも長い時間ここで妖力を垂れ流していた為に、本来あった通常結界を通り越して自然結界が広まってしまったと言う訳だ。分かるかそんなもん。逆に言えば、これを如何にかしてしまえば万事解決である。だが翼が居ない。何処だ……
「朱雀ぅ……」
そんな時。その招猫山の方から翼のか細い声がした。ウチは神楽を放り出し「イテッ」、小さな招き猫達の山まで駆け寄る。
「翼!」
翼は、新聞部の部室にあるダルちゃんと同じ大きさの招き猫を抱えて丸くなっていた。つまり今のは寝言である。心配して損した。だがまぁ、取り合えず二人共見つかって良かったと言うべきか。ウチは溜息を付いて、提灯の明かりに照らされる招猫山を見上げた。
「やれやれ、ね」
「で、どうなったの?」
次の日。寝起きざまに神楽に問い詰められたウチは、順を追って説明した。翼は未だ疲れているのか、ウチの手を掴んだままグッスリである。
「取り合えず、その招猫山は破壊した。来年また同じような事が無いようにね」
それまで一体どれ程の人が迷い込んでしまったのか分からない。だがそれでも、今解決出来る事は全てやって置くのが陰陽師の仕事だ。しかしあの山鉾を完全に破壊するのにペットボトル2本も必要だった事を踏まえると、相当長い時間あそこに居座っていたのだろう。破片は吉野に、正確にはあの宇治拾院に渡してある。これで次からは対策を取る事も出来るだろう。最も、あの山鉾と同じタイプの怪異であれば、だが。
「で、ウチはあの結界が消えてから、アンタら二人をこの離れに持って来たの」
正確には鞍馬だが。この二人を持って帰ってくる為に、ウチの秘蔵のメイドゲーが鞍馬の手に渡ってしまった。そのうち一本は未だ未プレイなのに……じゃなくて。
「そんな事よりも……」
ウチは神楽に言わなきゃいけない事を思い出した。
「これ、如何するの」
そう言ってウチが神楽に投げ付けたものを見て……神楽は満足げに笑みを浮かべた。イラっと来たのでペットボトルも追加だ。
「いてて……でもこれ、ちゃんと商品化されたんだ」
そう言って神楽が広げたのは……濃紺のグラデーションに鮫を描いた浴衣だった。そう、あの時燃やした筈のアレである。何と何故かこれが黑しまの新作浴衣として発表され、あと数日で発売と言う事態になったのだ。まぁ、前評判は好評だったから良いものの……
「混ざらない様に燃やしたのに……」
「残念でした~」
そう言って、神楽は小さな紙の切れ端を見せて来る。成程、これで理解出来た。つまり此奴、クローズアップマジックをやってのけたのだ。先に自分の絵を見せて燃やさせ、次に翼の絵を見せてウチの興味を持っていく。その間にワンモアタイムでそれを復元して……何食わぬ顔で採用するつもりだった3枚の絵の一番下に紛れ込ませたのだ。
そしてウチがひっくり返す。その結果、鞍馬が取った一番上の絵は……他でも無い、この阿呆の描いた絵になっていたのだ。何て奴だ。ウチがそう言うと、神楽は満足げに笑顔を浮かべる。
「でもほら。そろそろ誕生日の人がいるでしょ?その子にあげたら……喜ぶんじゃないかなぁ~ってね?」
この阿呆……だが、ウチの投げた扇子はひょいと躱されてしまった。本当に余計な事をしてくれた。本当に……
「……ありがと」
ウチはそれだけ言って、翼が目を覚ますのを待った。多分これで喜ぶのは此奴だけだろう。ま、それならそれでいい気もするが。
だが神楽は許さない。ウチが向き直ると、神楽は少しビクついた。
「後でしっかり仕置きをさせてもらうからね」
「……はい」
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