六月 捜す人形
しとしとと雨が降る梅雨の夜。少年は包丁を抱えて、風呂場に立っていた。少年の前にあるのは、風呂桶の中に入った小さな熊の人形が一つ。
「次は君の番だよ」
そう言って少年が包丁を人形に突き立てると、なんとも言い難い嫌な手応えがした。中に米が入っているせいなのか、それとも……
頭の中に浮かんだそんな妄想を振り払い、今度はルールに従って塩水を用意した押し入れに向かう。ちゃんとテレビのスイッチを入れるのも忘れてはいない。寝ている家族にバレない様に、軋む廊下をゆっくり歩く。自室に着くとふすまを開け、押し入れの中に入った。六月だというのにひんやりとした空気が身体を包み、午前二時と言う時間も相まって、なんとも不気味な気分にさせる。
と、そこで包丁を持ってくるのを忘れていた事に気付いた。あれが風呂場にあっては、自分がしている事がバレてしまう。急いで取りに戻らないと……
そう思った時だ。廊下から、何やら柔らかいものが動く音がした。それも、彼の元に徐々に近づいてくる。
「……ッ!?」
急いで息を潜める。心臓の音が響く様だ。そして柔らかい音が近づき……通り過ぎて行った。その時、ふと魔が差した。恐怖より、単純な興味の方が上に行ってしまったのだ。襖をなるべく音が出ない様に開け、こっそりと表へ出る。幸い人形の影は無く、うっすらと暗い廊下があるのみ。雨が降っている為か、光が雲に反射して少し明るい。
一度顔を出して確認し、廊下へ出る。再びゆっくりと歩き出し、音を立てる事なく廊下を歩く。向かうは、さっきまで人形が居た筈の風呂場だ。
扉に手を掛けると、少し開いているのに気付いた。おかしい。自分が出た時は、しっかり閉めた筈なのに。だとすれば、やはりあれはさっきの人形だったのか。そして、その人形は自分を探しているのではないか……そう次々と浮かぶそんな恐ろしい妄想を振り払い、目を瞑ってから意を決して扉を開ける。そして完全に開き切ってから、ゆっくりと前を見ると……
さて、六月になると当然雨が多くなる。なので久しぶりの晴れた日は、洗濯物を干したい気分だ。……まぁ、面倒なので動きたくないからやらないが。大体にして洗濯はお手伝いさん達がいるので問題無い。今もそこの庭で服を干してるし。
「ね~ね~、姉貴ぃ~」
ウチは久しぶりの休みだったので、買ったはいいが仕事続きのせいで時間が無くて、クリアどころかプレイすら出来なかったゲームの山を片付けていた。最近は例の報告書の所為で、ほぼ毎日無駄に事件解決をする羽目になっていたのだ。酷い時は一日四件を掛け持ちした事もある。休みを寄越せ。
「姉貴ってば~」
しかしどうやら相当数の陰陽師が参加させられたらしく、警察側が出して来た未解決事件の束は割とアッサリ片付いた。なので今日位はゆっくり休みたい。と言うか休ませてくれ。
「あ~ね~き~!」
「五月蠅い」
取り合えず、さっきからずっと五月蠅かった阿呆を捕らえて締め上げる。左腕を少し伸ばして首に巻き付け、脇に抱えてしまえばあら不思議。ゲームを中断せずに黙らせる事が出来るのだ。これは便利だ。
と、そうやって締め上げていると……中庭の方から二人分の足音がした。こんなタイミングで来る奴らと言えば、あの二人に違いない。だが、ウチは今日こそゲームをする日と決めたのだ。絶対に関わるものか。
「うぐぐ……」
「ちょっ、久々に来たら花梨ちゃんが死にかけてる!」
「朱雀ストップストップ!」
やっぱり翼と神楽だった。早速と言わんばかりにウチの脇から、半分窒息しかかった阿呆を引っ張り出した。一応面倒ではあるが、此奴の紹介もしておこう。名前は黒島花梨。そう、ウチの妹である。ウチの一個下で、今年は運が良ければ中三の筈……だ。
「もー、朱雀!花梨ちゃんは可愛い可愛い妹なんだから、大事にしなきゃダメでしょ?」
「人のゲームを邪魔する様な奴は可愛くない」
ウチはそれだけ言ってゲームに戻る。そろそろでエンディングが見れるかもしれないのだ。やるしかないだろう。と、思っていると……
「そうだ、姉貴!忘れる所だったぜ!」
復活した花梨がそう言った。出来る事なら忘れといて欲しかった。
此奴は何故かは知らないが、無駄にヘンテコで奇妙極まりない事件を貰って来るのだ。しかも、自分で解決できれば問題が無いと言うのに…よりにもよって、手に負えない事件ばかりをウチに押し付ける。
こんなタイミングで、しかもウチがゲーム中なのが分かっていてウチに話しかけてきたのだ。その手の話になるに決まってる。更に、その手の話が大好きな阿呆二人がいるので、ウチの意思に関係無くその依頼を受けるだろう。そうなってしまっては最悪だ。折角のウチの休日が―
「だって朱雀!ボク達で解決しようよ!」
ウチの休日、終了のお知らせ。見れば、翼も神楽も眼を無駄にキラキラと輝かせている。こうなってしまっては止める術が無い。恐らくここに居座っても、最終的に二人に首を掴まれて、無理矢理現場に連れていかれるだろう。しまった。花梨を先に潰すべきだった。だが残念な事に、時すでに遅しと言う奴である。
「てか、せめて内容位教えなさいよ」
「やった!姉貴が協力してくれたら、どんな依頼もへっちゃらだぜ!」
だからって変な依頼を持ってこないで欲しい。と言うか。
「大体、本当はアンタが自分で解決しなきゃダメでしょうが」
陰陽寮から渡された事件ならいざ知らず、自分で拾ってきた案件だ。それくらい自分で解決しろと言いたい。
「だってオレ、姉貴程頭良くないし……姉貴の方が強いし……」
そんな事は無い。と言いたいが、確かに此奴の頭よりはウチの方が良いと言い切れる。まぁ此奴の場合は、ウチに頼りっきりで深く考えないのが全ての問題ともいえるが。
「兎に角。ウチに手伝って欲しいなら、せめて以来の説明位しなさいっての。もしくは依頼した本人に会わせるとか」
「あ、うん」
ウチは別に安楽椅子探偵ではない。せめて依頼人なり何なりの話を聞いておきたい。と言うかなし崩し的に、やっぱり此奴の手伝いをする羽目になってしまった。はぁ……せっかくの休みが……
そんなウチとは裏腹に、花梨は嬉しそうな顔でどこかに電話している。コイツめ……とは思うが、大方依頼人と連絡を取っているのだろう。ああ、面倒だ。因みに他の二人は、勝手に人の部屋の本棚の漫画を読んでいる。最も、ウチの部屋にある本棚の約六割の漫画は、翼と神楽の二人が持ち込んだものだが。
「姉貴。依頼してきた奴……オレの後輩なんだけどさ、そいつが四条大宮の『くろしまやかふぇ』に行くってさ」
「はいはい。アンタも来なさいよ」
取り合えずラスボス手前だが、セーブだけする。後一寸だったのに……四条大宮なら歩いてすぐだ。この位ならウチだって歩ける。そして人の部屋でゴロゴロする気満々だった阿呆二人の首根っこを引っ張り、廊下へ連れ出した。
「え、ボクもかい……?」
「何でアタシも……?」
よく考えたら、どうして此奴らが元凶なのにウチ一人で行かねばならんのだ。少し位は手伝ってもらおうか。
「良いから来い」
少しドスを効かせてそう言うと、阿呆二人は大人しくなった。やれやれ。
京福嵐山本線四条大宮駅の前にある、カラオケボックス等が入っているビルの一階にあるくろしまやかふぇ。ここは呉服黒しま屋―つまりはウチだが―が手掛けるカフェチェーン店の二号店だ。因みに一号店は祇園にある。
かれこれ十年位前にウチの母親である先代当主、
兎に角。昨日の雨が嘘の様な猛暑の中、ウチの家からてくてく歩いて行くと直ぐに着いた。流石にこの位の距離ならウチだって歩ける。とは言え店内はかなり涼しい。寧ろ寒い位だ。と言うか薄手の浴衣で来るんじゃなかった。
店内は八割ぐらい埋まっている。カウンターは空席が目立つが、テーブルはほとんど満席だ。が、それだけの人数でも目的の依頼人を探すのは難しい。と言うか花梨しか依頼人の顔を知らないのだ。
「依頼人はアンタしか知らないんだから、さっさと探しなさいよ」
「了解!」
そう言って花梨は店内をキョロキョロしだす。いや、何かしらの方法で連絡を取っておけばいいだろうに。不審者にも程がある。しかも翼達は勝手に飲み物を注文している。全く、団体行動と言うものが出来ない奴らだ。……最も、かく言うウチも何もする事が無いので、ぼんやり待っているだけだが。
少しして、花梨がようやく依頼人を見付けた。行ってみると、花梨と同じ中学の制服を着た男子中学生が一人座っていた。随分可愛らしい顔をしている。もし私服だったら女の子と間違えていたかもしれない。その中学生は、ウチを見てペコリと頭を下げた。
「あ、どうも……」
随分細っこい声だ。声変わり前だからだろうか。そう思っていると、花梨はその中学生をバンバンと叩いて紹介を始めた。いや折れる折れる。
「姉貴、紹介するぜ!此奴はオレの後輩で、二年の藤村虎太郎ってんだ。ほれコータロー、この目茶苦茶強そうなのがオレの姉貴だぜ」
此奴説明下手か。取り合えず虎太郎君は固まっているので、ウチが先に自己紹介をしておこう。営業スマイルを浮かべて、軽く会釈をする。
「ウチが黒島家現当主、黒島朱雀です。君がこの阿呆に依頼をしたんだよね?」
そうウチが言うと、虎太郎君はピクリと小さく震えて……固まった。その表情には若干の怯えが見える。待て待て。確かにウチは小さい子に怖がられる事が多い。だが、そんなウチでも一応黒島家当主。どんな相手とも会話出来る位には、ちゃんと営業スマイルを練習したと言うのに……
軽くショックを受けながら考えると、ウチの後から阿呆二人が現れた。どうやら飲み物の調達は終わったらしい。そして、翼がウチに抹茶ラテを渡しながらこう言ってきた。
「駄目だよ朱雀~。営業スマイルは大人なら兎も角、子供には怖く映っちゃうって」
「アタシがお手本見せてあげるよ」
そう神楽は言い、軽く腰を下げて虎太郎君と目線を合わせる。成程、こうしてやると相手は怖くないと言う訳か。色々勉強になる。
「今日は~!お姉さんは東雲神楽って言うんだ。んで、其処の眼鏡のお姉さんが冬月翼」
「やっほ~、ボクが翼だよ」
そう言って翼は軽く手を振った。まるで子供番組の司会である。と言うか子供の相手が上手いな、此奴等。最も、中二を子供と言ってしまうのもどうかと思うが。
「んで、さっきの怖いのが黒島朱雀。君の先輩の花梨ちゃんのお姉さんだよ」
「怖いは余計でしょ」
まぁ、怯えさせたのは事実だが。そうして此方が自己紹介を終えると、虎太郎君はやっと自分のやるべき事を思い出した様だ。
「えっと……僕は藤村虎太郎……です。あの……その……」
取り合えず緊張は解けた様だが、上手く言葉に出来ない様だ。何とかフォローしてやれと花梨の方を見る。が、そんなタイミングで着信音が。「蒼い果実」だから……花梨か。案の定、虎太郎君の横に座っていた花梨がスマホをチェックしている。いつの間にスマホに変えてたのか、此奴。
「あ、ゴメン姉貴。オレ別の案件出来ちゃった」
「は?」
「じゃ、コータローは姉貴達に任せるぜ!」
電話を終えて戻って来た花梨が、衝撃の一言を放った。マジか此奴。自分の持ってきた事件を人に押し付けるつもりか。だがウチが制止する迄も無く、花梨は自分の分のシェイク分だけ置いて颯爽と居なくなった。その早業たるや、押し付けのプロと言った所か。と言うか本当に押し付けてったなアイツ。
そうして花梨が居なくなったテーブルに、少し奇妙な沈黙が下りた。端から見たら、一人の男子中学生と三人の女子高生が向かい合うと言う、珍妙極まりない絵面になっている。しかも当の虎太郎君はずっと何か思いつめたような表情で、ずっと黙ったまま。せめて依頼内容だけでも言ってくれればいいのだが……
そう思った時、やっと虎太郎君の口が開いた。
「えっと……その……言い辛いんですけど…」
ウチはあえて促さない。ここで何か言ってビビらせるより、本人の意思で喋らせるべきだ。
「一昨日の事なんですけど、僕……いけない事しちゃって……」
「え、イケない事!?」
「はい翼ステイ」
虎太郎君の言葉を聞き、前のめりになる翼。また虎太郎君が小さく跳ねる。何に興奮してるんだあの阿呆。思わず神楽が翼の首根っこを引っ張り、ウチも扇子で叩いた。
だが、その虎太郎君の言葉で大体分かった。どうして言い辛そうな態度だったのか。どうして花梨なんて阿呆に頼んでしまったのか。そして、どうしてウチを見てビビってしまったのか。それらは、とある一言で片が付く。
「もしかして……降霊術でもやった?」
ウチの言葉を聞き、虎太郎君は小さく頷いた。ビンゴ、と言った所か。翼も成程という表情を浮かべる。だが、理解していない阿呆が一人いた。
「降霊術って?」
神楽の言葉に、虎太郎君が驚いた表情を見せた。それはそうか。恐らく彼の眼には、ウチ等は全員陰陽寮関係者に見えただろうから。
「降霊術は簡単な儀式で霊体とかと交信したり、或いは疑似的に神降しを行う行為全般を指す」
「分かりやすく実例を挙げると、こっくりさんとかキューピットさんとかだね」
ウチの説明に、翼の補足が入る。それを聞くと、流石の神楽も理解出来た様だ。現在降霊術は、都道府県や市町の条例レベルで禁止になっている。ここ、京都だって例外ではない。理由は簡単だ。その昔こっくりさんで精神を病んだり、自殺してしまったものが多く出たからだ。
しかし、別にそれらは霊体や
つまり。虎太郎君は降霊術を行い、何かアクシデントが起きた。だが、先程書いた通り降霊術は京都府の条例で禁止されている。なので簡単には他人に相談できず、知り合いで何とかしてくれそうな花梨に相談したと言う訳だ。しかし相談の為にここに来てみれば、現れたのは陰陽寮所属のウチだった……と。それはビビる筈だ。陰陽寮は降霊術を禁止した大本。もし今回の件が上に行けば、どの道こっ酷く叱られるのは目に見えている。だが、行ってしまった事は他でも無い事実。あまり乗り気では無いが、陰陽寮には黙っておこう。
「本当は、君が降霊術を行った事は報告しなきゃいけないけど……今回は大目に見てあげる」
そう言うと、虎太郎君はホッとした表情を浮かべた。分かりやすい。だがまぁ、これで依頼内容が分かるだろう。それに、どうせ降霊術自体は失敗だろうし。そう思っていると、彼はぽつりぽつりと呟くように喋り出した。
「……ひとりかくれんぼ……ってご存知ですか?」
ひとりかくれんぼ……聞いた事がある。だが、確かアレは……
「ネット上の釣り書き込みだった……筈だけど」
「うん、陰陽寮からの情報はそうなってたよ」
ウチの呟きに、翼が答える。陰陽寮では定期的に、ネット上の怪奇現象サイト等のチェックを行っている。その上で、無害な噂と有害な噂を分けて所属陰陽師に報告してくれるのだ。
そしてそんなひとりかくれんぼは、少し前に無害判定を受けていた。一番の決め手は、ネット上で最初に書き込んだ投稿者が釣りだと自白した……からだったと思う。正直其処まで覚えていない。
「でも……僕がやった時、使った人形が確かに消えて……」
となれば、信じがたい事ではあるが……どうやら成功してしまったらしい。そういう事なら話は別だ。詳しく話を聞かせてもらわねば。当然、現場検証もしなければならないので、虎太郎君の家に向かう事になった。面倒が増えてしまった瞬間である。
虎太郎君の家は三条油小路にある。彼は自転車で来たらしいので、四条大宮までの結構な距離を頑張って来た事になる。つくづく、花梨なんて訳の分からない奴に依頼してしまったことが彼の不幸だろう。そして、そんな訳の分からない奴が妹と言うウチも不幸だ。
詳しい場所は分からないので、虎太郎君には道案内も兼ねて自転車で。ウチ等は後追いで車で向かう。依頼人である筈の彼だけ自転車と言うのもあれだが、残念ながらウチは前代未聞の体力不足で名が通っている。それに自転車をここに置きっぱなしにする訳にも行かないので、苦肉の決断だ。神楽はウチが自転車に乗れないだけ……とか言いやがったが、生憎とそんな事は無い。無いったら無い。
そんな虎太郎君の家は、それなりに古い一軒家だった。話を聞けば、なんでも彼が生まれて直ぐにここに越して来たらしい。家族構成は三人で、両親は土曜日である筈の今日も仕事だとか。一般家庭は大変だ。
「えっと、どうぞ……」
「お邪魔します」
中に入ると、早速だが妖力を感じた。それはほんの微量であり、普段なら流してしまうレベルだが…何分事情が事情だ。それを頼りに探すより他は無い。
「翼。サーチ」
「おっけ」
そう言って、翼の「BATTLEFIELD」が発動する。この家なら、そんなに時間を掛けずとも全ての部屋の反応を調べられるだろう。その間ウチは神楽に、ネット上のひとりかくれんぼに関する書き込みを調べさせる。ウチはウチで、陰陽寮にひとりかくれんぼの確認の電話だ。何故虎太郎君が成功してしまったのか。それの手掛かりになる情報が欲しいからだ。
因みに家の中の安全確保が出来るまで、虎太郎君には家の外で待機してもらっている。人形自体は一昨日から居なくなっており、今日まで襲われるどころか遭遇すらしていないらしいので、一応安全だとは思うが……
「朱雀……も駄目だったみたいだね」
暫くして、神楽が何も無かったと首を振って表れた。ウチも同じような感じである。大体陰陽寮には、虎太郎君の事をぼんやり誤魔化して聞いているのだ。そう上手くは聞き出せないし、そもそも
と、家の奥まで調べに行っていた翼が戻って来た。なんだか浮かない顔をしている。
「んとね、一番奥の部屋に居たって言うか…合ったていうか……ほら、これ」
そう言って、腹部に穴の開いた熊の人形を見せて来た。それはごく普通の人形ではあるが、開いた穴から生米が零れている。確かひとりかくれんぼでは、人形に生米と爪を入れるらしい。と言う事は、虎太郎君は正しい(?)手段でひとりかくれんぼを行ったようだ。
「え、でもなんか嬉しそうじゃ無いね。翼」
「いや、それがさ……」
受け取った人形を見ているうちに、翼の表情が曇っていた原因が何となく分かった。そういう事か。
「これ、抜け殻だ」
ウチの言葉に、翼が頷く。ウチは微弱にしか感じないが、妖力を感知出来る翼ならもっと分かるだろう。
「ボクが最初に見つけた時から、なんか中身が抜けちゃってたみたいで……」
「そっちの追尾は?」
翼が首を横に振った。まぁ、無理だろう。抜けて直ぐならいざ知らず、最悪二日ほど経ってしまった可能性もある。そうなっては、妖力の残滓なんかは簡単に掻き消えてしまうだろうし。
取り合えず虎太郎君にチェックしてもらおう。十中八九間違い無いとは思うが……念の為だ。そう思った時、玄関の外から虎太郎君の驚く声がした。
「うわわわっ!」
急いで玄関を開ける。と、今度はピンク色をした兎の縫い包みが虎太郎君ににじり寄っていた。その手には、大きな鋏がくっ付いている。いや、この場合は「持っている」と言うべきか。
「しゃがんで!」
ウチの声を聴き、虎太郎君は咄嗟に頭を下げた。ナイス判断だ。そしてウチは、神楽が持っていたさっきの抹茶ラテをナイフに変えて、兎の首元目掛けて投げつける。勿体無いが、仕方ない。
兎の人形目掛けて飛んで行った抹茶ラテナイフは、その首を跳ね上げてアスファルトで砕けた。瞬間、人形が崩れ落ちる。嗚呼、ウチの抹茶ラテ……じゃなくて。
「翼!今の妖力追って!」
「うん!」
そう言って、翼は家の中に戻っていった。やはり霊体は中に戻ったか。そんな気はしていた。恐らく次の依り代を探しに行ったのだろう。取り合えずウチは虎太郎君を起こして、砕けた抹茶ラテの破片に手を合わせる。御免ね、全部飲めなくて……
「いや朱雀。アタシが居るんだから大丈夫だって」
そんな事をしていると、神楽がそう呆れた声で言って来た。そう言えばそうだった。ウチが破片から離れると、神楽は抹茶ラテの入っていたカップを破片に向ける。
「ワンモアタイム」
その言葉と共に、抹茶ラテの破片達がカップに戻って行った。神楽の能力「ワンモアタイム」は、物をもう一回だけやりなおせる能力だ。随分便利と思うかもしれないが、一回きりなのでまた溢してしまうと元には戻らない。万能の回復能力では無いのだ。
ウチは無事元に戻った抹茶ラテを呑む。うん、甘くておいしい。流石はくろしまやかふぇだ。しかもひんやり冷たい。そこまで巻き戻せるのか。最高だ。
「本当に朱雀、甘い物の事になるとキャラ変わるよね……」
だって好きなんだもの。しかし翼をほったらかしにしておく訳にも行かない。ので、今度はちゃんとペットボトルの蓋を開けておいた。これなら、咄嗟の事があっても直ぐに戦える。
「そう言えば朱雀、どうして人形を替えたりしたのかな」
いきなりだが、神楽がそう聞いて来た。此奴、意外と良い所を突いてきている。
「恐らくだけど、入っていた人形が壊れたからだと思う」
人の霊魂は、人型の物に入り込みやすい。これは陰陽師なら必ず知っていると言ってもいい事だ。だから呪いの藁人形は人型をしているし、形代も人型に切り抜いている場合が多い。今回の霊魂も、律義にその法則を守っている様だ。
つまり逆に言えば、人形の腹部や頸部と言った「人型を保つ為に必要な部位」が壊れてしまったので、依り代の中に入っていられなくなった…という所だろう。逆に言えば、次に入るのも人型をしたものだと予測出来る。
「虎太郎君。この家って人形はどれくらいある?」
「えっと、数えた事は無いですけど……大体、奥の物置にあると思います。さっき、熊の人形を翼さんが見つけた所です」
成程。そんな所にあるのか。そう思って廊下を進むと、突き当りが壁になっている。そして左がお風呂場になっており、右が……
「つ!か!ま!え!たーっ!」
そんな喧しい声と共に、翼が扉を全力で開けて出て来た。騒がしいので扇子で叩く。と、その手に何かが握られているのが分かった。本当に捕まえたらしい。うごうごと蠢くそれは、緑色をした大きな恐竜の人形だった。必死に逃げ出そうとしているが、残念ながら翼がしっかり握っているので無理だろう。
「ほれ、ちゃんと捕まえたよ。でも、意思の疎通が出来るかな……」
「え、なんで会話が必要なの?」
翼の言葉に、神楽が突っ込む。此奴、今日は随分頭の調子がいいらしい。だから晴れたのか。
「会話なり筆談なりが出来れば、なんで虎太郎君が降霊術に成功したのかが分かるでしょ」
ウチがそう教えると、神楽は成程といった表情で手を打った。
実際、降霊術への対処の基本は「相手を知る」事だ。降りたのがそこらの雑神かもしれないし、召喚した奴と関わり合いの深い奴かもしれない。相手が分かれば、対処の方法も考えられると言うものだ。
取り合えずそっちは翼に任せ、ウチと神楽は他に何も無いか物置を探す。一応虎太郎君に許可を取っておこう。翼が二回も荒らしているので、もう手遅れ感あるが。
「と言う訳で、少し荒らすけど……と言うか荒らした後だけど、良い?」
「あ、はい。多分何も無いと思いますが……」
本当に何も無いかは此方が決める。と言うか意外なものが解決の糸口に繋がるかもしれないから、取り合えず確認がこういった事案捜査の鉄則である。翼が開けた扉から、物置の中を覗くと……
「熊の人形が二十体に狐が十五、後兎とか虎とかも…」
「日本人形に雛人形に五月人形、しかも海外製のドールも一杯……」
月曜日の放課後。静かな新聞部の部室で、ウチと神楽はメモした人形を仕分けていた。先輩は探偵助手の仕事で、洛中を離れているとか何とか。そのまま戻って来なくても大歓迎だが、多分その内帰ってきて何か口を挟んで来るだろう。それまでに終わらせたい。しかし数が多い。そう。あの物置は人形部屋と言っても過言じゃないレベルで、多種多様な人形が所狭しと仕舞われていたのだ。
「あ、最後におっきな熊の人形が二つ!これ他の人形と違って、ペアみたいだったんだよね」
神楽が言った。そう言えば、大きさが少し違う熊の人形が二つあった。片方はちゃんと置かれていたが、もう片方は人形の山の中に埋まっていたのを覚えてる。
「これで全部……?」
「かな……」
書き終えたメモを見、二人で溜息を付いた。やっと終わった……虎太郎君に聞いた所、母親である綾野さんは人形集めが趣味らしい。その結果、物置がこんな有様に代わって行ったとか…にしても、である。
「……一般家庭であの人形の量は……」
「十分異常と言ってもいいと思う」
あそこまで人形があると、どれに霊魂が憑依したのかが分かりにくい。良く翼は捕まえられてものだ。と言うか。
「神楽、翼は?」
珍しく、今日一日翼の顔を見ていない。静かで良いと思ったが、やはり何だか違和感がある。とは言え、別に寂しいとかそう言う訳では無いが。だが、神楽がニヤニヤしながら此方を見ている。あまりにイラっと来たので、扇子で叩こう……としたが、あっさり避けられてしまった。
「翼なら、そろそろ来るんじゃないかな」
そんな風に神楽は時計を見て呟いた。何度聞いても、さっきからこの調子である。と、廊下を走って来る足音がした。
「ゴメンゴメン、やっと出来たよ筆談!」
ドアをガラっと開けて、翼が入って来た。その肩には、あの恐竜の人形が可愛らしく鎮座している。
物置のチェックで何も見つからなかった後。ウチは虎太郎君に頼んで、翼に恐竜人形を預けたのだ。理由は、翼が「なんだかいける気がする」と自信満々に言ったからである。そしてさっきの言葉を聞く限り、どうやら上手く行った様だ。
「まだ文字は完璧じゃないんだけど……」
そう言って翼は、鞄からクレヨンと画用紙を取り出した。何故クレヨンかと言うと、普通のペンと違って塗れる面積が広い分、この方が人形が書きやすいからだそうだ。そう降霊術系のハウツー本に書いてあった。
翼が肩から人形を下すと、人形は可愛らしくてとてと歩いて緑のクレヨンを抱えた。そして、まっさらな画用紙に何やら大きなものを書き出していく。
「ほら、絵なら描けるみたい。だから多分、水子ちゃんじゃないかなぁ」
成程、一理ある。水子とは、生まれる前に亡くなった子供の霊魂の事。一般的な人間よりも浮遊霊になりやすく、また簡単に暴れだすので注意が必要である。最も、この人形に取り付いた子は大丈夫そうだが……
そう言っている間にも、人形はどんどん絵を完成させていく。緑の次は青、その次は黒といった風に色を変え、画用紙をカラフルに染めて行く。そして出来上がったのは、どこかの山道の様な絵だった。恐らくだが、道の傍を川が流れている。
「昨日から、ずっとこの絵ばっかり描いてるんだ。何かあるのは分かるんだけど……」
確かに、この絵だけでは何を伝えたいのかが分からない。しかし子供とはそんな存在だろう。つまり、これ以上の絵を求める方が難しいと言う事だ。因みに書き終えた本人(?)はクレヨン片手に、誇らしげに此方を見ている。まるで「どうだ!」と言っている様だ。人形だからかもしれないが、えらく可愛らしい。
取り合えず人形ちゃん(仮名)には退いてもらい、どこかの山道と思しき絵を回収する。子供っぽい絵ではあるが……山の形や川の形から、何とか場所の特定をしてもらおう。そう思っていると、なんと人形ちゃん(仮名)は二枚目を描き始めた。どうやら翼もそんな事は初めてだったらしく、結構驚いた表情をしている。
「もう一枚描くの?」
そう神楽が聞くと、人形ちゃん(仮名)は頷いた。本当に中身は子供みたいだ。しかしそうなると、水子じゃない可能性も出てくる。そうなると少々……いや、かなり厄介な事になる。やっぱり花梨の奴、厄介な事案を押し付けてきやがった。もう一回締め上げてやる。
と、そんな事をしていると……誰かの足音がしてきた。この歩幅なら……大山先生か。ウチは人形ちゃん(仮名)を隠す様に翼達に指示し、パソコンを立ち上げて真面目に新聞を描いているフリをする。これでも一応新聞部なので、それなりに仕事をしているように見せなければいけないのだ。
「やっふー!どう?進んでる?」
そんな風に言いながら、我らが新聞部顧問の大山詩織先生が現れた。いつ見ても小さくてふはふはした先生だ。服装によっては、見学に来た中学生に見えなくもない。因みに専門は現代文で、一応翼達1-Cの担任でもある。
「順調ですよ、先生。この調子なら、ちゃんと納期に間に合います」
大嘘だ。正確に言えば、どうせ新聞の内容含めて先輩が勝手に作ってるので、ウチ等は全く知らないと言う訳だ。最も、誰も読まない壁新聞に情熱を傾ける気なんて更々無いが。
しかしそれを聞いて、先生は満足げに頷いた。この人は恐らく、どんな形であっても新聞が完成さえすれば良いのだろう。なんとまあ、適当な人だ。そう思った時、先生の目がウチの手元で止まった。しまった。あの絵を仕舞い忘れた。不味い、如何言い訳しよう。
「……これ、小さい子が描いた絵?随分上手ね~」
だがどうやら、上手い事誤魔化せそうだ。この先生が阿呆で助かった。そう思った時、神楽が口を開いた。
「そうだ!先生なら分かるかも!」
そう言って、ウチの手から絵を奪う。そしてそれを先生の手に渡した。余計な事を言わなきゃ良いが……
「これ、アタシの知り合いの子が描いたんですけど……場所が分からなくって」
「場所が知りたいの?」
「はい。その子、前に此処に行ったのが思い出に残ってるらしくて……連れてってあげたいんですけど、先生分かります?」
ナイス神楽。流石当番回だ。今回は良い働きをしてくれる。しかし、この先生の担当はさっき書いた通り現代文。しかも相手は子供(推定)の描いた落書きの様な絵。そうそう簡単に場所が分かるとは…
「……保津峡の辺りかなぁ……」
マジか。言葉も出ないとはこの事だ。そうウチ等が唖然としていると、先生は慌てた様にわたわたして説明してくれた。
「いやほら、決定じゃないよ?でも……ほらここ、これ多分鉄橋だよね」
そう言って先生が指差したのは、川と山の間に掛かっている……なんだか黒い棒の様な物だった。確かに、言われてみれば鉄橋に見えなくもない。
これが仮に嵯峨野線の保津峡駅周辺だとすれば…これは府道5号線からの景色となる。となれば…嗚呼、厄介が増してしまった。
取り合えずさっさと先生にはお帰り願い、人形ちゃん(仮名)にはさっきの絵の続きを描いてもらう。と、思ったのだが…どうやらその必要はない様だ。
「朱雀……これ……」
「やっぱり、嵯峨野線で間違い無い」
どうやら人形ちゃん(仮名)は机の下で、こっそり絵を完成させていた。それは、赤とオレンジに塗られたディーゼル車で……嵯峨野線の気動車で間違いない事を表していた。
「と言う訳で鞍馬。護衛班で手の空いているメンバーを、保津峡駅の近くでの捜索に回して」
「畏まりました。その様に」
そう言って、鞍馬はゆっくりと車を出す。気動車の絵を確認後、ウチ等は速攻で解散と言う事になった。何故なら、関わっている事が予想より大きな案件である事が発覚したからだ。全く、ここまで大事になるとは思わなかった。本当に花梨め…後で締め上げてやる。何故これがそれ程の大事になるのか。それは、あの憑依している霊体が水子では無いと分かってしまったからだ。
水子であれば、生まれる前の記憶しか持っていない。つまりあれ程正確な絵を掛ける訳が無いのだ。あそこまで正確に描く事が出来ると言う事は、あの景色を見た事があると言う事。あの絵は殺人……と言うか遺棄事件の証拠である。
取り合えずウチは、近場の護衛班に派遣した。恐らくだが、そこにはあの人形ちゃん―面倒なので(仮名)はもう付けない―に取り付いている霊魂の遺体があるだろう。あの絵はつまり、自分を探して欲しいと言う事だろうから。
しかしそうなると、新たな疑問が沸き上がる。何故虎太郎君が、その霊魂を召喚できてしまったのかと言う事だ。偶然召喚出来てしまった。そう解釈する事も出来る。だが、物事は何事も最悪のパターンを想像すべきである。つまり……虎太郎君の家族が、或いは虎太郎君本人がその事件に関わっている可能性もあると言う事だ。
そう考えていると、突然電話が鳴った。最初は翼かと思ったが、ディスプレイには電話番号のみ。一体誰だ……
「……もしもし」
「やっほ~!朱雀ちゃんの電話で」
切った。一番聞きたくない声だ。だが諦めが悪いのか、もう一度着信音が鳴り響く。無視だ無視。
「お嬢様、騒がしいので出ていただけますでしょうか」
もう10コールは鳴っただろうか。そう鞍馬が言ってきた。無視を続けたいが、恐らく先輩は絶対に諦めない。一体何処でウチの番号を知ったのやら。
「……何ですか」
「いや~、今事件の真っただ中でしょ?この先輩が解決のヒントをあげようと思ってね?」
やはりバレていた。まぁ、公安零課の監視を回避出来る奴なんてそうそう居る訳無いのだが。と言う事は、この先輩は。
「……別に今更、事件の解決も何もありません。もう降霊術より殺人の方がメインで―」
「その二つの事件。繋がってるって言ったら?」
ウチは唖然とした。いや、確かにさっきまでウチも考えていた事である。が、それはあの絵があったから。つまり既にあの絵に関する情報が流れていると言う事だ。何処だ、何処から流れた……
しかし先輩はウチの事は気にせず、話をつづけた。
「いや~、一応こっちも情報は掴んでるんだけど…やっぱり朱雀ちゃん達が知っている事、全部把握しておきたいからね。でも、さっきの可能性は朱雀ちゃんも考えてるでしょ?」
……成程。そういう事か。先輩がわざわざウチに電話する程の事だ。何かあるとは思っていたが……
しかも二つが繋がると言う事は、さっきの最悪のパターンが本当の事になってしまうと言う事だ。別に虎太郎君に思い入れがある訳では無いが、それでも殺人事件に関わっていると言う事は信じたくない。が、繋がる以上は何かがある筈だ。
「取り合えず朱雀ちゃん、その家にあった人形の数を描いたメモがあったでしょ。その詳細を教えて欲しいな」
「何故それを?」
そうウチが言うと、先輩はしまったと言う様な感じで黙った。やっぱり怪しいと思ったが…何かあるなあの部室。今度から別の部屋で相談しよう。だが先輩は慌てる事無く話を続ける。
「それはほら、壁に耳あり障子にメアリーって」
「誰ですかメアリーって。分かりました。一回だけしか言わないので、ちゃんとメモって下さいね」
仕方ない。どうせはぐらかしたって、ウチ以外の何方かから聞き出すだろう。それに、今は多角的な意見を聞いておきたい。そうすれば、先輩より先に答えを導き出せるかもしれないからだ。
ウチは纏めたメモを読み上げた。しかし改めて見ても、量が多いと言うだけで何の違和感も無い。もしかしたら神楽の家も、この位の人形があるかもしれない。そう考えながら読み上げていると、先輩はとある人形の所でストップと言った。
「……ねえ、朱雀ちゃん。その人形、どういう風に置いてあった?」
「どうって……普通に、小さなケースに入ってました。ウチのより小さかったですけど」
あれは恐らく、一般家庭用のサイズ……より小さなものだ。コレクション用に出来たものかもしれない。と、先輩はそれを聞いて溜息をついた。
「そっか……朱雀ちゃんの家、女の子二人だからね。違和感無い訳か」
いったい何の事だろう。そう思っていると、先輩は更に言葉を続ける。
「後さ、大きな熊の人形で……デザインが似てる奴とか無かった?」
「ありました」
あのペアの人形か。そう答えると、先輩は何かに納得したような声を出した。
「ほぅ……やっぱりねぇ」
「何か分かったんですか?」
そう聞くと、先輩は溜息と共にこう答えた。
「……朱雀ちゃん。これは多分君の分量じゃないよ」
やはり、か。先輩は先に結論にたどり着いたらしい。そして、更に先輩は続けた。普段とは違い、少し慎重な声である。
「兎に角。君にヒントだけあげよう。だけど……これはそう簡単に暴いて良いものではない」
そして。先輩のヒントで全ては解けた。ウチが予測していたピースを、先輩は形にしてしまった。ウチはどうすべきだろう。
どんな流れとは言え受けてしまった依頼は解決してしまわねばならない。たとえそれが、最悪の形になってしまっても。だがやはり、今回は依頼人の意思を確認しよう。ウチは頑張って、電話帳機能を使って花梨を呼び出した。
「あ、姉貴……入るぜ……?」
そう言って、花梨がゆっくり襖を開けて入って来た。ビクビクしているのは、この間の折檻がかなり効いてるらしい。取り合えず座らせて、ウチは口を開く。
「……花梨。一つだけ聞く。虎太郎君は最初から、ウチに解決して欲しかったんでしょ?」
花梨は、ゆっくりと首を縦に振った。これで全ては出そろった。やはり彼は、最初から全てを知っていたのだ。
考えてみれば、最初からおかしかったのだ。八割程が埋まっていたくろしまやかふぇ。だが虎太郎君は最初から大人数で来るのが分かっていたのかの様に、空いて居たカウンターでは無くテーブルを取っていた。しかも、花梨は虎太郎君の顔を知っている。つまり探すのにあれ程時間が掛かるのは可怪しいのだ。
しかも、今回の依頼は表面上「陰陽寮にバレない様に、降霊術の跡片付けをして欲しい」という様なものだ。これなら、特別ウチに頼まなくても解決出来る。だが彼は、ウチが必要だった。そう。有名な陰陽師であり、警察に顔の効くウチの様な存在が。花梨はたまたま近くに居たから、ウチを呼ぶ為に利用されただけだ。
「ウチからは以上。明日、もう一回虎太郎君にあの店に来てもらって」
「え、姉貴解決出来たのか!?」
花梨はそう驚いた声を出した。解決出来たと言うより、解決してしまったと言うべきだが。花梨が部屋を出る直前、ウチは声を掛けた。
「今回に関しては、アンタの判断が間違ってなかった。これは、アンタが解決出来るものじゃない」
もっと言えば、誰が解決しても良いものではない。だが、虎太郎君はそれを望んだ。ならば、汚れ役はウチだけで良い。そう言うと、花梨はキョトンとした顔で出て行った。そう。それでいい。
次の日の放課後。ウチは直接くろしまやかふぇに向かった。翼と神楽は車で待機させ、ウチは一人で会いに行く。夕暮れが差す中、彼はカウンターにいた。
「……虎太郎君。二つ確認させて」
そう言うと、虎太郎君は此方をじっと見た。
「まず、君にお姉さんか妹さんは居ないね?」
彼は頷く。これでウチの答えは、正解に変わった。
「そしてもう一つ……君は、この事件を解決する事で、君自身が不幸になるかもしれないけど……それで良い?」
「構いません」
それは、とても中学男子の言葉とは思えない程ハッキリとした……決意だった。その眼はしっかりと此方を見据えている。分かった。全てを明かそう。
ウチは車に戻り、翼に特妖と刑事課の人を呼んでもらう。今回は証拠が証拠なだけに、何方に来てもらうのが正解なのか分からないからだ。序でに、市役所経由でとある情報を調べて貰った。結果はウチの予想通り。これでカードが揃ってしまった。
移動中、車内は何時もより静かだった。ウチが今回の事件の内容を二人に教えたからだ。その間も、人形ちゃんは無邪気に絵を描いている。この前から、花梨に預けっぱなしだったのだ。何とか平仮名は覚えたらしいが、今描いているのは……
虎太郎君の家に着くと、駐車場に車が止まっていた。どうやら今日は、ちゃんとご両親がいるらしい。好都合……と言うより、もう彼はその決心が付いていたと言う事に他ならない。
少し待機して、警察組の到着を待った。事情は既に話してある。今回の件は本来彼らの仕事だ。だが、ウチの様な緩衝材が無いと揉めるだろう。だから特別だと、特妖の玄田課長には言われてしまった。
「お疲れ様です」
そう言って到着したパトカーには、この前資料を渡してくれた木島とか言う普通刑事課の刑事と、我らが特妖の黒田課長だった。普通刑事課はどうか知らないが、黒田警部が来たと言う事は……揉める事を前提にしているのか。
虎太郎君の家に入ると、待っていたかのように彼と彼の両親が玄関にいた。しかしウチの事は聞いていても、後から続く刑事二人には目を丸くしている。
「自己紹介……と行きたい所ですが、今回は既に解決済みの事件ですので単刀直入に言います」
ウチはそれだけ言って、神楽から人形ちゃんを受け取った。さっきまで元気に絵を描いていた人形ちゃんだが、今は大人しい。そして、その方がありがたい。
「ウチはそこの彼……虎太郎君に依頼されて、降霊術を行ったの隠蔽を行おうとしました。しかし。その結果として、とある事件が浮上しました」
「事件……ですか」
虎太郎君の父親が口を開いた。動揺からか、汗で髪が額に張り付いてしまっている。ウチは頷いて話をつづけた。
「虎太郎君の行った降霊術ですが……現在、陰陽寮には無害認定を受けています。つまり、降霊術が成功する訳ありません。ですが実際、この人形はこんな絵を描いています」
そう言って、翼に人形ちゃんが描いた絵を持たせた。虎太郎君の両親は、その内の一枚、あの気動車の絵で更に動揺している。やはりか……
「少しお聞きします。虎太郎君には兄弟は居ません。なのに……どうして雛人形があるのですか?」
「そ……それは……」
ウチが最後まで気付かなかったもの。それは雛人形だった。ウチは有るのは当たり前だと思っていたが……
「雛人形は本来、桃の節句……つまり女の子の為の物です。幾ら人形集めが趣味と言ったって、流石に違和感ありますよね?」
その言葉に、母親が何か言おうとして……やめた。恐らく反論の言葉が見つからなかったのだろう。ウチは続ける。
「それに、どうして兄弟がいないのにあのテディベアが二つもあるのでしょう」
テディベア。ルーズベルト大統領の名前をもじったこの人形は、生まれた子供と同じ大きさの物を作って初めてのプレゼントにすると言う。先輩から教えてもらった事の一つだ。
虎太郎君に聞いた所、彼に姉妹は居ない。だが神楽によれば、テディベアの足には「KOTARO」と「AMANE」と書かれていたらしい。しかし母親の名前は綾野さん。となれば……
「誠に勝手ながら、戸籍を調べさせて貰いました。その結果……虎太郎君には病死した妹さんがいました。ですが、何故それを彼は知らないのでしょう」
「……やめてくれ……」
突然、絞り出すかの様に父親が口を開いた。しかし、ここでやめる訳には行かない。と言うか、ここでやめても何も変わらない。憑き物落とし、という言い方はあまり好きでは無いが……これが現在の「正解」なのだ。
「それは……虎太郎君がその妹を殺してしまったからです」
「それ以上はやめろ!」
ウチの言葉を、父親は大声を出して掻き消そうとした。綾野さんの方は蒼白で、虎太郎君の耳を塞ごうとしている。だが、彼は全てを聞く覚悟を決めている。
「いいえ!それは虎太郎君の覚悟に、意思に反しています」
「虎太郎の……?」
その言葉を聞き、両親は揃って虎太郎君の方を見る。丁度良い。さっさと謎解きを終わらせてしまおう。
考えてみれば、最初からその予兆はあった。例えば動き出した人形が両親を襲う事無く、彼のみに襲い掛かっていた事。そして、彼が
「虎太郎君は、何らかの方法で自分に妹が居た事、その妹を自分が殺してしまった事を知った。恐らくその事件のあった当時、彼はまだ小さかった。だから記憶の奥底にあったものがフラッシュバックした……と言う事はあり得なさそうです」
両親は既に何も喋らない。黙っていてくれる分には有難いが……
調べた結果、藤村天音ちゃん……つまりは人形ちゃんの中に入っている霊魂は、彼の二つ下。しかも生後直ぐに死んでしまっている。と言う事は……大体2~3歳位か。ギリ記憶があるかないかという所だ。
「兎に角。彼はその事の事実を確かめようとした。当然、テディベアを始めとした証拠の数々に気付く……しかし、貴方方に問い詰めても上手い事交される。そこで彼は一計を案じました」
それが、ウチを巻き込む事だった。ウチを巻き込み、事件を暴かせる。そして警察に自分を捌いてもらう。その計画は上手く行った。しかし。
「残念ながら、これは事件になりません」
「え」
虎太郎君は驚いた声を上げる。何故なら、その事件が本当にあったとして……彼は当時まだ子供だったのだ。犯人として立件出来る訳がない。
しかも、だ。その事に関する証拠が一切無い。つまり事件は、端から存在しないのだ。
それを聞き、ホッとした表情を浮かべる両親。驚きが絶望に代わって行く虎太郎君とは対照的だ。そう、彼は気付いている。何故警察が居るのかを。
「もう一つの事件なら、立件出来るんですが」
ウチはそう言って、翼に合図を出した。翼はあの、保津峡の辺りの絵を見せる。その瞬間、ホッとしていた両親の表情が一気に引きつった。そう。これが事件だ。
「これは、この人形ちゃん……いえ、天音ちゃんが描いた絵です。これは府道5号線の、嵯峨野観光鉄道保津峡駅近くと判別しました。そして……」
今度は神楽が、スマホからとある画像を出した。それは、保津峡を探索した護衛班の探し出した……乳児の頭蓋骨だ。
「これが発見されました。DNA鑑定をすれば結果は出ますが……まぁ、必要無いみたいですね」
両親の表情は、どこか諦めたものとなっていた。そう。その事件当時、虎太郎君は未だ子供。つまりそんな所まで死体を運ぶ事は出来ない。なら結果は一つ。
「ここからは、後ろ二人の領域ですね」
そう言ってバトンタッチする。ウチの代わりに前に出た二人は、ほぼ同時に警察手帳を出した。
「死体遺棄の疑いで、緊急逮捕いたします。よろしいですね」
黒田警部の言葉に、両親はただ頷くだけだった。
「……こんなはずじゃ……無かった……」
パトカーが離れた後。虎太郎君はぼそりと言った。彼の計画は完全に頓挫したのだから、当たりと言えば当たり前か。
だが、未だ終わりじゃない。最後の憑き物落としが未だだからだ。
「……神楽。やって」
「あんま乗り気じゃないんだけど……仕方ないか」
そう言って神楽は一番最初の、腹部に穴の開いた熊の人形を直した。そして、床に置いて剪定鋏を添える。ウチはずっと持っていた恐竜の人形に、天音ちゃんに優しく声を掛ける。
「ゴメン。ちょっとビックリするかもしれないけど……」
天音ちゃんは頷いた。それを見てから……ウチは恐竜の人形の首を斬った。
当然、天音ちゃんの霊魂は五体満足な熊の人形に入る。そして剪定鋏を手にし……呆然とする虎太郎君に突き刺した。
「がッ……!」
服の上からでもしっかり刺さったらしく、赤い血が腹部を濡らす。最初に崩れ落ちたのは、天音ちゃんの入っていた人形だった。次いで、刺さっていた剪定鋏が抜け落ちる。最後に倒れたのは、大量の血を流した虎太郎君だ。
「翼。ちゃんと成仏した?」
さっきから天音ちゃんを、バトルフィールドで見ていた翼に聞いた。
「うん。もうそれも抜け殻だし……この家の何処にも居ない。完全に成仏したね」
それならよかった。天音ちゃんを成仏させる方法。それは、天音ちゃんに復讐させる事だった。これで成功しなかった時は如何すべきか悩んだが……その心配は杞憂に終わった。
「……あれ?今刺されて……」
「大丈夫。それはアタシが直したよ。最も、全部は直せなったけどね」
そう神楽は、虎太郎君に笑顔を向けた。起き上がった虎太郎君は、既にワンモアタイムで回復済み。だが立ち上がろうとして、虎太郎君は顔をしかめる。少し痛みを残して貰ったのだ。
「良い?虎太郎君」
ウチは虎太郎君をしっかり見据え、口を開いた。これが正しい裁き方なのかは分からない。だが少なくとも、「痛み」を教える事は出来た。
「君はどうあれ、人を殺した。そのお腹の痛みはその罰。だけど……もし償うつもりがあるなら、天音ちゃんの分まで全力で生きなさい。分かった?」
そう言うと、虎太郎君は黙って俯いた。納得したかは分からない。だけどウチはそれだけ確認して、彼の家を出た。これで良かったのだ。これで。
後日談、と言う事になるだろうか。
虎太郎君の両親は、結局時効と言う事で不問になった。虎太郎君の事も含め、今回は色々有耶無耶になった事の方が多い。だが、全てを掘り起こす必要は無いだろう。何故ならこれは、もう終わった事件だからだ。
それからもう一つ。天音ちゃんが最後に描いていた絵だ。結局あの後何処に行ってしまったのか分からなかったが、意外な所から見つかった。あの熊の人形の中だ。
全てが終わった後、ウチはあの人形を御焚き上げするつもりだった。その時、人形に違和感を感じて……開けてみたら、中に入っていたのだ。
「ほら、アタシが文字を教えたのは無駄じゃなかったでしょ?」
そう神楽が、笑顔で言ってきたのを覚えている。
描かれていたのは、ウチ等三人。そして、たどたどしい文字で……
あ り が と う
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