五月 嗤う匣
そんな産寧坂に降り出した少し強めの雨が、木々の綺麗な青葉を濡らす。その年最初の春の嵐の中、奇妙な着流しの男が一人、傘も差さずにふらりと現れた。その男は何故か狐の面を被っており、道行く人々の視線を集めている。
その男の向く先には、一件の土産物屋があった。
「あ、あの…… どうされました?」
土産屋の店主はそう心配そうに声を掛ける。しかし男からは返事は無い。
「な、だ、大丈夫ですか⁉」
店主がそう声をかけると、追いかける様に男の身体から鮮やかな赫色の鮮血があふれ出す。その血は水溜りの水と混ざり、艶やかな文様を浮かべた。同時に、男の着流しもみるみる赤く染まる。店主が見ても、既に男が助からない程の血を流している事が見て取れた。
「きゅ、救急車を!急いで!」
「え、あ、はいっ!」
店主は品出し中だったアルバイトにそう声をかけ、再び男に目を向ける。すると、とある奇妙な事に気が付いた。
男の付けていた狐の面。何処にでも売って居そうな良くある作りの物である。そんな狐の面が、男の血が全く付く事無く純白に輝いていたのだ。
この世界には陰陽寮と言われる組織がある。ウチが所属している組織で、全国に支部が大量に存在する。とは言え、平安時代に存在した本物では無い。まあ実際、その系譜を継いでいるので似たようなものではあるが。現代風に言うのであれば、対妖怪用の能力者ギルドと言った所だろうか。最も、陰陽寮と名乗って於きながら、実際に陰陽道を信奉しているものは果たしてどの位いるだろうか。ウチだって陰陽道とは殆ど関係無いし、少なくとも知り合いに本当の陰陽師はいない。因みに本部は奈良の吉野に有り、一時期日曜の朝のヒーローが其処でロケをした事も在る。
さて、そんな
とは言え出ない訳には行かない。因みに電話の内容と関係ありそうな封筒は既に机の上にあるが、見なかった事にしてゲームをしていた。後ちょっとでクリアだったのに……
が、嫌々出た電話の内容は意外といえば意外なものだった。面倒だけど。
「えっと……つまり過去の事件を解決しろと?」
「ま、そんな所かな」
ウチの疑問に、
「ほら、先月朱雀君が出してくれた……えっと、カゲヌシだっけ?そのレポートを読んだ警察のお偉方が、
何と分かりやすい説明。そして
が、卜部班長はウチの考え位は予想通りだったらしい。うんうんと頷かれた。
「あ~、うんうん。分かるよ~その気持ち……でも断れないからね?」
「……分かってます」
そう。実はこの警察からの依頼、陰陽寮は立場的に断れないのだ。陰陽寮は一応政教分離の関係で、国の公的機関として認可されていない。つまり建前上はNGOの様なものだ。しかし、実際は自衛隊から払い下げの武器やら車両やらを大量に保持し、その上働いている人間は大体武装済みと言う状態。分かりやすく言えば、凶器準備集合罪で全員お縄と言うレベルでもある。もしかしたら国家騒乱罪かも。つまり警察等には、それなりに便宜を図ってもらっている訳だ。
そんな訳で、陰陽寮は警察には逆らえない事が多い。今回もその類だろう。まあ実際にはその警察も妖怪退治でも言え武器を使う事は禁じられ、挙句善良な妖怪との条約やらなんやらで隠れ里や居留地での活動すら制限されている。だから、そこらへんは持ちつ持たれつと言った所ではあるが。
「んじゃ、資料は送ってあるからよろぴく~」
そうストレートにイラっとさせる言葉と共に通話が切れた。どうしてこんな奴が班長になれたのか気になる。もっと言えば、ウチの知る他のリーダー職も変人揃いだった。真面なのは冬月課長位か。
しかし文句を言っても資料が無くなる事は無い。仕方無いので、何時もの陰陽寮の印の付いた白封筒を開ける。入っていた資料の書かれた日付は三年前、2007年の物だ。そこまで前の物じゃない。
取り合えず資料に目を通す。有難い事に当時の新聞も入っており、警察資料に不足がちな「客観的」状況も分る。事件の内容としては、一人の怪奇小説家が産寧坂で突然死をした……と言うもの。それなりに有名な作家だったらしく、新聞では一大事件としてセンセーショナルに扱っている。
この事件、資料を見る限り唯の病死に見えるが…気になる所が一点。小説家が死んだ場所の土産物屋の店主が、「狐の面を見た」と証言している事だ。しかし資料や新聞を見る限りそんな物は無く、当然遺留物にも無い。だが、店主だけでは無くアルバイトも同じ様に証言している。と言う事は、店主一人の見間違いではない。
ここがヒントだと思う……のだが、3年前の事件故に証拠が残っているだろうか分からない。しかし調査はしなければならない。卜部課長め、厄介な仕事を回しやがって。そんな事を考えていると、鞍馬が襖を開けて入って来た。
「……鞍馬、ノックは出来なくても一声掛ける位は出来るんじゃ無い?」
「別に今更お嬢様の半裸……いえ、仮に全裸であられもない姿であったとしても、そんなまな板風情で私は欲情なんて致しませんよ。いえ、もし仮にメイド服であったとしてもですが。ええ」
「何、死にたいの?」
勝手に入って来た割には図々しい上に生かす価値の無い糞野郎だ。しかも後半早口だし。この前約束通り渡した某メイドゲーで、自室に三日位籠りっぱなしだった阿呆は何処の誰だったか。因みに感想は「最高でございました特に(ry」とかで三時間。唯のメイド狂じゃないか。
「で、何の用?」
とは言えわざわざ離れまで鞍馬が来たのだ。それなりに緊急事態か、重要な案件だと言う事か。そう思っていると鞍馬の後にもう一人、細身で背の低い男がゆらりと現れた。黒島家護衛班の筆頭、浮雲だ。
黒島家護衛班は、黒島家専属の私兵である。とは言え戦争をする訳では無く、完全に護衛専用の部隊だ。基本は能力者か妖怪で構成されており、黒島家当主の命令で護衛・警備・偵察・捜索等を行う。因みに鞍馬は護衛班では無く、純粋な運転手である。
そんな浮雲が来たと言う事は、もう一つの問題の方か。それは、一週間前の新聞部での顔合わせに遡る……
「で、ボクが冬月翼と言います。お願いします」
翼はそう言って、何故か部室に置いてある高そうなソファーに掛ける、この部活唯一の先輩に頭を下げた。三年生は一人もおらず、今までこの先輩一人で回していたらしい。通りであまり有名な部活じゃないと思った。
「ん。じゃ、私の番か」
そう言って、その先輩は立ち上がる。それから何かを取り出して、ウチ等の前に一枚づつ置いた。これは……名刺か?
「私の名前は
探偵助手……何故か胡散臭さが跳ね上がる。しかもよく名刺を見ると、名前と共に書いてある探偵の名前に何だか見覚えが……見なかった事にしよう。
そんなこんなで取り合えず部活の紹介をされ、他愛無い話をして解散となった。いや、正確には解散する筈だったと言うべきか。
「朱雀ちゃん……だっけ?
帰り際、玄関近くで先輩にそう呼び止められた。少し早いが、引継ぎか何かだろうか。まあ確かに、この先輩は部活にそんなに居ないと言っていたから、大方そんな所だろうか。
「分かりました。翼と神楽は先帰ってて」
「あ、うん」
「んじゃ、先帰ってるね」
そう言って、二人は先に帰って行った。ウチはそのまま元来た道を戻り、先輩と共に部室に戻る。
「まあ、座ってて。紅茶しか無いけど……いいかい?」
「ええ、まぁ」
何故かあるミニキッチンに引っ込んだ先輩を余所目に、ウチは部室をグルっと見回す。さっきの説明の時はあまり見てなかったが、随分雑多な部屋だ。畳一畳程の大きさの旗があったり、逆に小さな中身の無い金魚鉢や一抱えもある大きな達磨もある。取り合えずやる事も無いので、折角だから達磨を抱えてみた。おお、意外と抱え甲斐のあるサイズの達磨だ。思わず撫でてしまう。
「おや、朱雀ちゃんもやっぱりダルちゃんを撫でたくなったんだねぇ」
「ダルちゃん……?」
成程、達磨だからか。安直だが悪くない。と、ミニキッチンから戻ってきた先輩は、その手に紅茶の入っているであろうポットとカップ、そして何故かチェス盤を持っていた。
「さて……折角だし、チェスでもしようか」
突然始まったチェスだったが、先輩はそんなに強くなかった。いや、もっと言えば弱いと言っても過言では無い。だが何も考えていない訳では無く、寧ろかなり長考している。ウチは確かにこの手のゲームは得意だが、ここまで圧勝するのは珍しい。もしや接待か?
しかし先輩の表情は真剣そのものである。と言う事は、神楽以来の下手ゲーマーかもしれない。となれば、少しくらい手加減してあげるか… …そう思っていたのだが。
「……朱雀ちゃん。今手加減しようって思ったよね」
突然先輩はこっちを見、ルークを置きながらそう言った。因みにその位置に置いても、全く役に立たないのだが。
「……まぁ、思いました。このままではゲームにならないので」
「むぅ……悔しいねぇ……」
そんな事を言われても、実際勝負にならないのだから仕方ない。と言うか。
「一体何の用でウチを呼んだんです?」
まさかチェスの為だけに残したとは思えない。そうウチが聞くと、先輩は何か思い出した様に、ポーンを持った手を打った。ポーンと……いや、忘れて欲しい。
「そうそう。さっき言うの忘れてたんだけどね?」
そう言って、そのポーンを適当な所に置いた。本当に何の戦略的価値の無い所に置いている。やっぱりただ下手なだけの様だ。ウチはナイトを持って……
「朱雀ちゃん、人を殺した事あるよね」
思わず取り落とした。慌てて拾うが、先輩は続ける。
「いや、別にそれを咎める訳じゃないよ?正直気になったから聞いただけだしさ」
「……何処でそれを?」
先輩の方を見ず、そっとナイトを置く。しかしミスった。そこに置いても何の価値も……いや、と言うかそれ所では無い。
「否定しなかったって事は、事実で良いんだね?」
その通り、紛れも無く事実である。だがそれは―
「正当防衛だから仕方なかった。翼ちゃんと神楽ちゃんを守るのが優先だった……って所だね」
「人の考えを読まないで下さい」
何故だ。何故読める。この先輩からは、全くの妖力を感じないのに。
能力者であれば、多少なりとも妖力を感じる事が出来る。能力の使用中であれば
一瞬覚か何かの血を受けているのかとも考えたが、それならどうして妖力を感じないのかの説明が付かない。兎にも角にも、得体の知れない何かがこの先輩にはある。そう思っていると、先輩は動かさなくてもいいのにクイーンを前に出した。
「不思議がってるねぇ、朱雀ちゃん。うんうん、分かる分かる。私がなんでそんな事が分かるのか、知りたいだろうねぇ」
随分大仰な態度で頷くなこの先輩。どんな方法か知らないが、ウチの過去を知ってそんな態度でいると言う事は……よっぽどの大物か、或いはどうしようもない阿呆かのどちらかだ。
「……では、この勝負に勝ったら教えてください」
ルークで先輩のナイトを倒しながら言うと、先輩はニッコリと笑った。この先輩、もしかしてここから勝てる算段でもあるのだろうか。とすれば油断ならない。だが何としても勝って、先輩の秘密を聞かなくては。ウチの平穏の為に……
「よーし、乗った!負けないぞー」
「って、先輩言いましたよね?」
結果。先程のやり取りから数分で先輩は壊滅した。ウチの完勝である。
「うむむ……勝てると思ったんだけどなぁ……」
先輩はそう呟くが、あの盤面では如何足掻いても負けていた。寧ろ結構粘ったと思う。
しかしこれで分かった事がある。先輩は決して、ウチの心が読めている訳では無いと言う事だ。もし読めていたなら、ここまで簡単にボロボロにならなかっただろう。
「では、約束通りに先輩の秘密とやらを教えて頂きましょうか」
「やだ」
絶句。いやまあ、確かに能力者が自分の能力を明かすのは自殺行為に近いので、中々渋りたくなるのは分かる。分かるが……
「……さっき負けたら教えるって……」
「言って無いもん」
頬を膨らませ、納得に行かない顔でそう言う先輩。まるで子供である。しかしここで水掛け論をしてもしょうがない。それに、流石にさっきの事を他人にあっさり言うとも思えない。さっさと諦めて帰る事にした。
と、先輩が何かをぼそりと呟く。それは小さく、しかししっかりと聞こえて来た。
「……ヒントならあげる」
ウチは思わず足を止める。
「……壁に耳あり障子に目あり。情報はね、どこからでも手に入るよ。それこそ、朱雀ちゃんが過去にどんな方法でもみ消しても、ね」
成程、そう言う事か。例の件……ウチが人を殺した事があるのは、他でも無くあの二人が巻き込まれた時の話だ。詳細は省くが、状況からして正当防衛に当たる。結果としては、警察と陰陽寮が上手い事誤魔化したのだ。
逆に言えば、警察や陰陽寮の案件にアクセスできる組織が情報提供元であると推測できる。つまり、かなり絞られて来た訳だ。それに、能力で過去を見てきたと言う訳では無い事も分った。これだけ情報が揃えば十分である。
「では、ウチはこれで。失礼します」
そう言って出て行く寸前、先輩は此方を向いてにやりと笑った。まるでチシャ猫のそれだ。どうやら此方が、この先輩の本当の表情らしい。
「朱雀ちゃん、また遊ぼっか」
「……先輩がそう望むなら」
それだけ言って、ウチは部室を後にした。
さて、回想はここまでにしておこう。この一件の後、浮雲達護衛班に国枝先輩の調査をしてもらったのだ。
「御報告申し上げます。例の女生徒…国枝薫様についての調査結果ですが、あまり芳しくありません」
予想通りだ。調べたら簡単に
「彼女の経歴について警察や役所等にアクセスいたしましたが、名前と年齢しかヒットしません。他のデータについては、全てブラックボックス扱いになっています」
ふむ、興味深い。ただの女子校生のデータをそこまで保護するとは。どうやら相手は公安零課で間違いが無い様だ。
公安零課。正式名称は内務省公安局であり、公安警察とは一線を画す秘密組織だ。能力者にランクを付け、監視やその他対処を行っているのもこの零課である。通常の公安よりブラックな仕事が多く、一部では死神とも呼ばれている。そして、彼らの行使出来る権利は大きい。それこそ、一個人の情報を完全に誤魔化すなんて朝飯前と言った所だろう。
「分かった。取り合えず調査は終了。各自の判断で解散とだけ伝えといて」
「御意に」
ウチがそう言うと、浮雲は姿を消してそう言った。ぬらりひょんの固有能力である。嫌いな体育の授業をサボったりするのに便利そうだ。
「お嬢様。追加調査はよろしかったので?」
鞍馬は眼鏡を直しながら聞いて来た。だが、相手が零課と分かっただけで十分な成果であると言えよう。
「今零課と事を荒立てるのは得策じゃない。それに、ウチが知りたかった事は分かったし」
それよりも考えねばならないのは、何故先輩と零課が繋がっているのかと言う事だ。そもそも零課はあくまで対能力者・妖怪組織。先輩の様な非能力者が工作員の一人とは考えられない。仮に能力者だったとしても、ウチが妖力を感知できない時点でそんなに強くないと思われる。この点からも、先輩が零課関係者であるとも思われない。
とまぁ、こんな事を考えていても一切埒が明かない。さっさと頭を切り替え、陰陽寮からの宿題を片付けるのが先決だ。先輩の事は追々解決すればいい。そうと決まれば現場だ。ウチは陰陽寮の資料をファイルに仕舞い、勝手に人の本棚からメイドが主人公の漫画を読んでいる鞍馬に言った。
「鞍馬、車出して。産寧坂に行くから」
「承知しました」
現場の土産物屋に向かうには、四条から下がって松原通を東入ル方が近い。それなりに観光客がいるが、雲行きが怪しいからかそんなに多くは無い。三差路の所で車を降りて、特徴的な石階段を下りて行けば、目標の土産物屋に……なんかいる。
「やっほー、朱雀」
「マジで来た……」
土産物屋の店先に、カメラを持った阿呆面が二人。急いで回れ右をしたい所だが、ここで逃げても追いつかれる。悲しい事に、あの二人はウチより足が速くて体力があるのだ。と言うかウチが体力が無いだけだが。
仕方無い。関わりたくないが、見つかってしまったので諦めるしかない。取り合えず店先では邪魔になるので、店の中に入る。中にはそれなりの数の観光客が居た。この感じでは、まだ店主は忙しいだろう。先に此方を片付けるが吉か。
「…なんで居るの」
「何でって…新聞部の仕事だよ。朱雀は忙しいだろうから言わなかったけど」
ウチの質問に、翼が不思議そうな顔で答える。まぁ、カメラを持っていた時点でお察しだったが。それより気になる事がある。神楽の台詞だ。
「所で……さっき神楽、『マジで来た』って言ってたけど何なの?」
まるでウチが来る事が分かっていたかのような口ぶりだ。そう聞くと、神楽は店の奥の方を見やって答えた。
「ああ、それなら―」
「私が、朱雀ちゃんが来るって占ったからだよ」
マジか。一番聞きたくない声が聞こえた。やっぱり帰りたい。
「えへへ。皆の先輩、薫ちゃんだよー!」
土産物屋の奥から現れたのは、他でも無いあの先輩だった。キラリンとかそう言うBGMが聞こえてきそうなポーズで、しかも自信満々な表情である。寄りにもよって、この先輩への調査の切り上げを選択したそのタイミングで……早速だが胃が痛い。
「そう。先輩がここに朱雀が来るって占ってくれたんだよ」
「はっはっは。私は占いが得意なのだよ、朱雀ちゃん」
神楽の説明に、超自信満々に答える先輩。だが恐らくは占いでは無く、単純にこっちの情報をキャッチしただけだろう。まぁいい。どの道この二人に先輩の事を説明した所で何のメリットも無い。現時点では、だが。
「で、何しに来たの」
「あ~あ、これこれ」
そう言って翼が見せてくれたのは、他でも無い狐の面だった。観光客向けのお洒落なものである。一瞬焦ったが、これからは何の妖力も感じない。ただ、前にその狐面関連の事件があった店で扱うものとしてはどうなのだろうか。
「最近狐のお面を買うと、運が良くなるって噂があってね?それの調査だよ。朱雀もいる?」
「要らない。てか大体何?そのソース不明な噂は」
そうウチが聞くと、今度は神楽があの板……スマホだったか……を動かして、この前とは別のサイトを見せて来た。青い鳥のマークが特徴的である。そしてそのサイトを見て行くと、似たようなお面の写真ばかりが集まっている所があった。
「これがソース。このSNSで今話題になってるんだ」
「SNS……?ロシアのマークスマンライフルがどうして」
「それはSKS」
ナイスツッコミ。しかし何だSNSって。そう思っていると、神楽が呆れた顔で説明してくれた。
「SNSは、ソーシャル・ネットワーク・サービスの略。ネットでコメントや写真を共有出来るサービスの総称だよ」
よく分からないが、なんか便利そうなサービスの事か。前回のサイトと言い今回のこれと言い、随分便利な時代になったものだ。
書いてある内容としては、洛中の至る所で買える狐の面を飾る事で運が上がると言う。とは言え劇的に上がる訳では無く、ほんの少し生活に彩を加える程度だそうだ。正直な所、そんな物プラシーボ効果に他ならないと思う。だが例えそうであっても、本人が幸せならそれでいいだろう。他人に迷惑さえかけなければ、だが。
「所で朱雀は?」
ああ、そう言えばそうだ。ウチは仕事で来たのだった。阿呆トリオ襲来ですっかり忘れていた。
「ウチも仕事。陰陽寮からのね」
そう。ゲームクリアの為にも、せっかくのGW満喫の為にも、ウチはさっさとこの仕事を片付けねばならない。此奴等は放っておこう。そう思って店の奥に入ろうとした。が、先輩が邪魔をして入れない。しかもその眼は、此方の仕事について聞きたがっている。
「へ~、朱雀ちゃんって陰陽寮に所属してるの?仕事してる所、見たいな~」
物凄い圧だ。このまま無視をしたい所だが、先輩は店の入り口にどんと居座っている。それに、後ろの二人もかなり期待した目で此方を見ている。はぁ……面倒だ。こうなってしまったら、此奴等に説明なり何なりしなければ退いてくれるとも思えない。全く、仕方が無い……
面倒なので全部では無く、話の一部を掻い摘んで説明する。その間先輩はニコニコと、それでいて眼だけは笑っていなかった。恐らく、依頼の詳細は全く聞かされていなかったのだろう。かなり興味があるようだ。
ウチの話を聞いた三人は、それぞれの反応を示した。当時の事件を調べ始めた神楽に、ポヤッとした表情でウチの事を見ている翼。そして……
「よし、朱雀ちゃん!お店の人に聞いてみよう!」
さも当然の様に店の奥に入ろうとする先輩。いや待て待て待て。
「先輩、何で事件の方に関わろうとしてくるんですか」
ウチはウチで事件を解決したいのに。だがこの先輩は、まるで猫の様に興味がコロコロと移り変わる。どうやら次の目標はこの事件らしい。
「今から新聞部の取材対象を、お仕事中の朱雀ちゃんに切り替える!いいね?」
「え―」
「了解!」
「はいはーい!」
否定する前に勝手に肯定された。しかも、店の入り口までの通路を囲まれているので逃げれない。残されたのはウチの後にある、店の奥に通じる通路だけ。これは所謂詰みと言う奴では。
仕方無い。変な荷物が付いてしまったが、仕事を終わらせるのが先決だ。それにここで此奴等を満足させておけば、残りのGWは一人でゲームが出来る。よし、そうしよう。
「……分かった。邪魔だけはしないで下さい」
無駄かもしれないが、一応釘を刺しておく。そしてウチは、店主が待っているであろう店の奥へ向かった。
「陰陽寮の朱雀様ですね。お待ちしておりました」
どうやら先に陰陽寮から連絡は行っていたらしい。店の奥にある座敷では、既に店主が色々と用意して待っていた。店主の年の頃は五十過ぎ位だろうか。柔和そうな表情を浮かべている。と、ウチの後から付いて来た三人を見て、店主は不思議そうな表情を浮かべた。
「あの……そちらのお三方は……」
「あ、助手みたいなものなのでお気になさらず」
営業スマイルを浮かべつつ、ウチはそう言う。ついでに「余計な事は言うな」と言う視線を三人に向けた。だが、帰って来たのは翼からのウインクと、先輩からのVサイン、そしてキョトンとした神楽の顔だった。本当に分かったのだろうか、此奴等は。
取り合えず用意されていた座布団に座り、店主の話を聞く。内容としては、警察の資料とあまり変わらないものだった。だが三年も前の事件だったからか、所々に齟齬……と言うより欠落が見られる。まぁ、そんな事件を覚えている方がどうかと思うが。しかし、そんな店主の話より気になるものが有る。机の上に並んでいる資料の中でも異彩を放つ、漆塗りの木箱だ。
艶やかな蒔絵が特徴的なその大き目の木箱は、特に珍しいものと言う訳では無い。しかしその表面に、何かで切りつけたような大きな切込みが入っているのが分かる。これも何かの証拠だろうか。後で聞いておこう。
「私の話は以上になります。何かご質問は……」
「あ、その箱って何ですか?」
いきなり神楽がぶっこんで来た。此奴やっぱり分かって無かった。だが、その箱が気になっていたのは事実。丁度良い。神楽の質問を聞いた店主は、やはりと言う表情を浮かべてか口を開いた。
「この箱は、それこそその事件の後から現れました」
現れた。妙な言い回しだが、一つだけ説明の付く考え方がある。この箱が、その
狐面と関係がある場合だ。
「箱を最初に見たのは、例の事件が起こってから…三日程経った頃です。店の倉庫から品出し中だったアルバイトが見つけまして、私に見せてきました。最初は綺麗な箱だと思ったんですが……」
「天面の傷ですね」
翼が箱の傷を撫でながら言った。勝手に証拠に触るんじゃない。
「ええ。それで気になって開けてみたんですが…」
「中身は何が」
言い淀む店主の言葉を促す。と、何かに気付いた先輩が続けた。
「もしかして、狐のお面ですか?」
驚く店主。しかし間違いでは無かった様で、深く頷いて喋り出す。
「その通りです。事件が起こった時、被害者の人が付けていた狐の面はご存知の通り無くなっていましたから、そりゃ驚きました。だってウチで扱っている狐面とは違いましたからね。見て一発で分かりましたよ」
「では、何故警察に提出なさらなかったので?」
普通そんな物なら、警察に証拠の一つとして提出するだろう。だが、資料にあった証拠品リストには名前が無かった。
「ええ。当然連絡はしました。ですが……その度にこの箱がどこかに無くなってしまって、提出出来なくなってしまったんです。一度は私が抱えて警察署に運んだのですが、着いてから無くなっていたりして……」
成程。それは嫌になる。それに警察だって物が無くなる以上、証拠品としての価値は無いに等しい。全く、そこで特妖に連絡していれば……
そんな事より気になる事が。
「所でその箱、もしかして中身が……」
「ええ。入っています」
「ぴぁ!?」
「んな!?」
その言葉を聞いた瞬間、箱を触っていた翼と神楽が目に見えて飛びのいた。遅いっつうの。
「それじゃ、気になる中身をレッツオープン!」
しかも先輩は先輩で、箱の蓋に手を掛けている。いやいやいやいや、早い早い。
「ちょっ―」
しかし残念な事に、ウチの制止より先に蓋が開いてしまった。途端に半端じゃない量の妖力が、箱の中から溢れ出て来た。なんて事だ。折角入れてもらったお茶ではあるが、ウチの武器になってもらおう。手の中にお茶を入れ、大きめのナイフに変える。
ふと翼達を見れば、二人共バックに手を突っ込んでいた。中に何が入っているかは……膨らみ方と火薬の匂いで分かる。何て物を渡してるんだ、鞍馬は。
「先輩、離れて」
状況を察してウチ等の後に避難した店主とは違い、未だに箱から離れない先輩に声を掛ける。幾ら能力が無いとは言え、流石にこの量の妖力は気付くだろう。だが当の先輩は、此方を見てキョトンとした表情である。
「何してるの、朱雀ちゃん」
「何って……」
先輩にそう言われ、ふと気付いた。箱の中から溢れる妖力量が、明らかに少なくなっているのだ。と言うか、もしかして……
「箱の中身、空っぽだったよ」
そう言って先輩が見せて来た中身は、少し凹んだ赤い切地が入っていただけだった。
そこからは大騒ぎだった。なんせ中身は、店主がウチが来る前に確認済みだったのだ。つまり、先輩が開ける前に逃げ出したとしか言いようが無い。こんな大事になってしまった以上、流石に休日だなんだと事件を無下には出来ない。仕方無いので黒島家護衛班を呼び、この店を封鎖して徹底的な捜索を開始した。
が、護衛班総出で数時間探しても出て来ない。しかも翼の能力でも反応は無し。つまり、完全に逃げられてしまったらしい。
「全く……せっかくのGWが……」
取り合えず解散し、帰りの車中。ウチは溜息と共に呟いた。これで簡単な筈の再調査が、普通の妖怪案件に逆戻りである。最悪だ。
「それは此方も同じで御座います、お嬢様」
ウチの呟きを聞いた鞍馬がそう言う。此奴も何か、休みが欲しい理由があるのだろうか。
「私も、このGWの間は『月刊 執事の友』の最新執事ブランド特集で色々な着回しを試してみたかったですし、新作メイドゲーをじっくり堪能してプレビューを書きたかったのですが……」
完全にヤバい奴の理由だった。聞いた事を後悔している。
「いえ、お嬢様のゲーム三昧も大概だと思いますが……」
そんな事は無い。が、まあいい。それより今後の処理を如何するかが重要だ。例の箱は既に陰陽寮が回収済み。詳しい調査は待ってからだが、取り合えずアレが今回の妖怪絡みであると言うのは分かった。しかし肝心な妖怪の正体が分からない。
人に取り付くと言う所を踏まえると、「
結果論になるが、あの箱が残っていたおかげで色々と解決出来ない謎が増えた。なんて余計な事してくれたんだ、あの店主。
それともう一つ。そんな慌ただしい騒乱の中、先輩の姿が消えた。いつの間にか居なくなっていたのだ。最も、こちらは狐面とは関係ないと思う。兎に角、この様にしてせっかくのウチの数少ないGWの一日は失われたのだ。なんて日だ。
と、思っていたのだが。事件と言うものは往々にして、解決までに時間が掛からない事がある。今回の件はまさにそれだった。ウチもよくよく、運が無い……
事件が動いたのは、その日の夜だった。夕食を終え、自室で某有名TPS傭兵ゲームをしていると、充電器に繋いだ携帯が振動を始めた。電話だ。
液晶には、「神楽」との表示。珍しい。深夜だろうが仕事中だろうが関係無しに電話を掛けてくる上に、放って置くと面倒な翼とは違い、神楽はそういう点についてはしっかりとしている。だからこそ、こんな時間にウチに掛けて来たと言う事は、よほど緊急の要件なのだろう。少し苦戦して電話に出ると、神楽の切羽詰まった声が聞こえてきた。
「あ、朱雀⁉こんな時間に悪いけど―」
「いいから。で、何?」
ウチが聞くと、神楽は一生懸命説明を始めてくれた。しかし焦っているのか、肝心の内容が全く伝わってこない。が、とんでもない言葉を確かに聞いた。
「あのお面、多分アタシの家にいる!」
これを聞いて、すぐさま鞍馬を呼び出したのは言うまでもない。ウチは取るものも取らず、急ぎ神楽の家に向かった。
「遅れてゴメン!」
「問題無い。早く入って」
翼が神楽の部屋に入ってくると、式神がすぐに結界を張り直す。時間が無いので簡易結界ではあるが、まぁ無いよりはマシだ。こうしておけば、あの狐面も迂闊には侵入しては来ないだろう。幸いにも神楽のご両親は二人ともおらず、こちらの被害も最小で抑えられそうだ。
ともかく、軽く混乱している神楽からの話を要約する。歯磨きをしていた時、鏡に映った自分の後ろに白い狐のお面が浮いていたそうだ。状況的に見て、件の狐面なのは間違い無い。
ウチはそれを聞いて、直ぐに翼を呼ぶように鞍馬に言った。翼を呼んだのは翼の能力で特異結界を張って、目標を外に出さない様にする為である。せっかく箱の鼠になったのだ。逃すようなヘマはしない。
すると、そのタイミングで着信音が響いた。今度の着信先は翼のスマホだ。だが、画面に映った名前で少し不思議そうな顔を浮かべる。
「あ、もしもし。僕です。ええ。朱雀ですか?居ますけど……」
そんな翼の反応で、電話の相手が大体分かった。国枝先輩だ。恐らくだが、先に連絡先を交換していたのだろう。渡されたスマホに出ると、案の定国枝先輩の声がした。
「やっほ〜、朱雀ちゃん。元気?」
「……何故今掛けて来たんですか」
ウチがそう聞くと、先輩は少し嬉しそうに小さく笑う。
「ふふん。それはね……神楽ちゃんの家の辺りで、何か楽しそうな事が起きてるってお友達が教えてくれたのだよ」
成る程。
「その通りです、先輩。なので切り―」
「ヒント、要らない?」
ウチが切ろうとした瞬間、そんな言葉が耳に入った。聞き間違いで無ければ、あの先輩は「ヒント」と言った筈だ。で、あるならば。
「……何がどう分かったんですか?」
「ぜ〜んぶだよ、朱雀ちゃん。陰陽寮の資料も知ってるし、警察の事件簿もね。だから、全部分かっちゃった」
驚きを飛び越し、最早ある種の恐怖を感じる。全部分かった、と? ウチですら狐面の正体を掴めていないと言うのに。
どんな情報網があればそんな事が出来るのか、今すぐにでも聞いてみたい案件ではあるが……生憎とそんな暇は無い。話を促すと、先輩はウキウキとした調子で続けた。
「まずさ、朱雀ちゃん。陰陽寮の本部に、あの箱が届いて居るか確認してみなよ」
「何故です?」
「良いから良いから!」
何だか怪しいが、取り敢えずウチの携帯で
なんと、本部は例の箱が届いたのを知らず、今の今まで放置していたらしい。そしてウチの電話でチェックすると……既に保護容器を破壊して逃げ出した後だったとか。つまり、あの箱自体が妖怪だったらしい。輸送班の連中め。予想外とは言え、何とも呆れた対応だ。
「やっぱ、逃げてたか……陰陽寮は古過ぎて黴が生えてるんじゃないかな」
ウチが説明すると、先輩は呆れた様に溜息を付く。この件に関しては先輩の言う通りである。
「兎に角、今は非常事態です。先輩の分かった事を全部―」
「んや?ヒントだけ教えてあげる」
先輩はそう、悪戯っ子の様な返答をして来た。そんな状態では無いと言うのに……
「先輩。今は遊びでは無く―」
「ヒントは
阿古屋貝。先輩はそう言い残し、電話を切った。すぐに掛け直そうとしたが……残念ながら、ウチは機械音痴。自分の携帯もまともに扱えないのに、こんな未来的板をどうして使いこなせようか。
阿古屋貝。そんな貝の名前だけで何がヒントだ。何も分からない。阿古屋貝。阿古屋貝……
「阿古屋貝……鶯貝科軟体動物門斧足網の二枚貝。本州中南部、房総半島から九州まで分布。表面は緑褐色か黒褐色で、内面は……あぁ、そうか」
そこまで考えた時、やっとウチの脳裏に答えが出て来た。阿古屋貝の別名は、真珠貝。そう。あの真珠を作り出す貝なのだ。
「うわぁ、また朱雀がブツブツ何か言ってる……」
「何時もの癖だから気にしちゃ駄目だよ」
何か散々に言われているが、今はそれどころでは無い。この仮説が正しければ、箱の方が厄介なのだ。
「翼。能力発動して」
「あ、了解。『BATTLEFIELD』、開放!」
そう言い、翼はこの家を包む位の特殊な結界を作り出した。BATTLEFIELD。それが翼の能力。破壊困難な特殊結界を作り出し、中に居るものの妖力をレーダーに表示する……そう言う、少し特殊な能力だ。
ウチの視界左下に、丸いマップが現れる。それはゲームで良く見る様なエフェクトが掛かっており、ゆっくり円を描いて更新されていく。現在、神楽の部屋にはウチ等三人の反応が映っている。
「じゃ、ウチは探してくるから。翼達はここを開け無いで待ってて」
「うん、了解!」
翼はニッコリと笑って、G-17をウチに見せた。後ろでは、神楽がCZ-100をチェックしていた。やっぱり、鞍馬は碌な事をしない。まぁ、二人共銃の扱いは心得てはいるので事故は起らないとは思うが……
神楽の部屋を後にし、ゆっくりと階段を降りる。レーダーには何の反応も無いが、一応の警戒の為だ。ペットボトルの封を切り、一階の部屋を調べる。
神楽の家は何度か来た事がある。なので部屋は全て把握済みだ。と、その時。レーダーが更新され、廊下の端に妖力反応の線が見えた。移動したのだ。
その線が更新される前に辿ると、そこにはリビングのドアが。よく見れば小さく開いている。ここに入ったか。
「鬼が出るか、蛇が出るか……」
ウチはゆっくりドアを開け、FPSのクリアリング宜しくパイを切る。と、レーダーの更新が入った。小さな妖力反応。それは、ウチのすぐ目の前━
「上!」
ウチはバックステップを取り、回し蹴りを決める。しかし落ちて来たソイツは、ウチの脚を足場にして回避した。
壁にぶつかる寸前。ソイツは小さな脚で壁を蹴り、ドアに向かって飛んだ。まぁ、予想通りであるが。
「ウォーター・ワールド!」
ウチが叫ぶと、先に零しておいたペットボトルの水が、一瞬でドアを氷漬けにした。やっぱり状態変化出来るのは便利だ。
「逃がす訳無いでしょ」
そうウチが言うと、ソイツは恨めしそうに天板の切込みの眼が睨む。そう。ソイツは、昼間見たあの漆塗りの木箱だった。
木箱はウチを睨んだまま、小さな足でグルグルと走り回る。が、逃げ場は無い。ウチは面倒なので、自分の足元にペットボトルの中身を全て開ける。そして、木箱の足が水溜りを踏んだ瞬間。ウチは指を鳴らし、木箱を包み込んだ。
圧潰。それがウチの取った方法だ。恐らくだが、箱の形を残してしまっては復活する恐れがある。ベキベキと木の折れる音が響き、妖力反応が消えたと同時に完全に粉々になった。
「やれやれ……」
ウチは溜息を付き、破片を拾って見る。中の裂地を見れば、真っ白に変わっていた。成歩。これが血を吸っていた訳だ。
これで一段落……いや待て。すっかり忘れているが、ここに来た理由があった。神楽が狐面を見たのだ。それと同時に、二階から発砲音が。
しまった、あっちが本命か。ウチは慌ててドアの氷を溶かし、長ドス型に固める。そして、階段を駆け上がった……のだが。
前に書いた通り、ウチは体力と呼ばれるものが全く無い。これでもたかが二階までとは言え、ウチからすれば結構厳しいのだ。
そして再び発砲音。今度は二人同時だ。不味い。ウチは息も絶え絶えに、神楽のドアを開け放った。
「だ……だ……だい……大丈夫……?」
「朱雀の方が大丈夫……?」
まだ硝煙が上がるG17を片手に、翼がウチに手を差し出して来た。よく見れば、神楽が三つの銃痕が付いた狐面を掴んでいる。妖力反応は無し。それはそうか。見事に眉間辺りに二発入っているからだ。多分銃の扱いに長けた神楽が決めたのだろう。
兎に角、こうして今回の事件は終わった。ウチが死ぬ程疲れて、次の日の学校に遅れかかった事は書かなくても良いだろう。
数日後の部室。ウチは今回の案件のレポートを纏めていた。まだ神楽達のクラスはホームルームが終わっていないらしい。好都合だったので、まだ終わってなかったレポートを書いたのだ。
普段とは違い、静かな部室。焙茶を飲む為に入れた電気ケトルの音だけがする。ウチはダルちゃんを抱きながら、レポートを封筒に入れて溜息をついた。後はこれを本部に郵送するだけ。これで本当に解決である。
ウチはソファに背を投げ、今回の事件を思い出す。今考えれば簡単な話だ。想像ではあるが、今回の事件……と言うか木箱と面の正体はこうである。
先ず、木箱が出来た。恐らくだが、この箱は本来能面か何かを仕舞う為に作られたのだろう。そして、それが長い時間妖力を吸って付喪神に変わろうとする。余談だが、洛中は他県より空気中の妖力濃度が高いので直ぐに付喪神になるらしい。
そして、本当に付喪神になる直前。自我が芽生え始めた辺りで天板に傷が付いた。見た所、恐らくは刀傷だが……多分その当時の陰陽師か何かがやったのだろう。その結果。妖力がそこから漏れ出し、付喪神にはなれなかった。
困ったのは木箱の方だ。付喪神になれないという事は、折角の自我が消えてしまう。分かりやすく言えば死ぬのと同じだ。なので一計を案じた。
それが、中に入れた面を自分の補給器官とする方法だ。箱の中に入れられた面に妖力を浸透させ、無理矢理付喪神モドキへ変える。そして、面を付けた人間は、妖力を吸われながら操られる。その後、次の面を探して木箱へ入れさせられるのだ。
先に死んだ作家は、恐らく自分の体力を削ってでもそれに抵抗したのだろう。怪奇小説家と言うから、それなりに呪術や妖怪についての知識があったに違いない。その結果、死ぬ間際になって操られ……土産物屋に辿り着いてしまった。そんな所だろうと思う。
しかし先輩のヒントがここまで役に立つとは考えもしなかった。さて、焙茶でも飲もうか。ウチがそう考えた時、ドアが開いた音がした。
「おや、朱雀ちゃん。今日は早いねぇ」
「……先輩でしたか」
翼達かと思ったが、残念ながら入って来たのは国枝先輩だった。先輩は直ぐに鞄を放り投げ、勝手にケトルのお湯で紅茶を入れ始める。なんて先輩だ。まぁ、ウチも勝手にケトルを使ったので似たようなものだけと。
そしてまたチェス盤を手に、ウチの前に座った。頼んでもいない紅茶もプラスで。
「じゃ、早指しにしよっか」
先輩はそう言って、勝手にチェスを始めた。仕方無い。どうせ翼達が来るまでは暇なのだ。直ぐに片付けてやる。
暫く互いに無言のまま、駒がチェス盤に置かれる音だけが響く。何故翼達が来ないのか。そう考えていると、先輩は口を開いた。
「翼ちゃん達1-Cは、確かクラス委員が中々決まらなくてね。もう少しかかる筈だよ」
人の心を読むな。ウチはそう思ったが、口にせずに呑み込んだ。そんな事より聞きたい事があるのだ。
「……先輩。先輩は何故あのヒントに辿り着いたんですか」
昨日のあの電話。正直に言おう。アレが無ければ、恐らく箱の正体に気付くのが遅れただろう。あの箱は面さえあれば、いくらでも被害を増やせる。
ウチがそう言ってポーンを動かすと、先輩はニヤリと笑って紅茶を口にした。そして、適当な所にルークを置く。
「前に言ったよね、朱雀ちゃん。壁に耳あり障子に目あり。偶々手に入った情報を、私は結び付けて答えにした……それだけなんだよ」
何を言っているのか分らない。しかし、零課だけが情報源では無い可能性もある。と、ウチの脳裏にとある情景が浮かんだ。
あの日。先輩と翼、神楽は先にあの土産物屋に居たのだ。そして、取材をしていた。先輩が出て来たのは、一体何処からだっただろうか。店主は箱の中身をチェック済みだと言っていたが、何時チェックしたのか。
「私の勝ちだよ、朱雀ちゃん」
気付くと、先輩は楽しそうに笑って居た。盤面を見れば、完全にチェックメイトされている。しまった。別の方に頭を使い過ぎた。
と、廊下の方が少し賑やかになる。どうやら翼達のホームルームが終わった様だ。そう思って前を見ると、先輩は楽しげにチェス盤を片付けている。
そして、笑顔でこう言って来た。
「朱雀ちゃん。また遊ぼうか」
「……先輩が、そう望むなら」
ウチが言い終わると同時に、部室のドアが開く。
産寧坂のとある土産物屋。観光客向けのチープな商品が並ぶ中、その軒下に吊されている本格的な木造りの狐面。その狐面は全くの汚れが無く、純白と言って差し支えない輝きを―
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