京都騒乱日記 春夏秋冬編

日向寺皐月

四月 頚斬る影

「はっ……はっ……はっ……」

 少女は走る。さっき見てしまった恐怖を拭い去るためまとわり付く宵闇よいやみを振り払うように。

 雨上がりのひんやりとした空気が彼女を包む。だが、そんな事は彼女にとって何のメリットも無い。むしろ、只々ますます寒気が増すだけだ。

「なんで……なんでこんな目に……!」

 そんな彼女の問いに答えられるものは居ない。偶々たまたま、普段使っていた道が工事で通れなかったと言うだけだ。たったそれだけの事で、彼女は不幸に見舞われてしまった。

 彼女は円山公園を駆け抜け、近くにあった外灯下に逃げる。明るい光に安堵し、気を抜いて座り込んでしまう。故に、気が付かなかった。否、気付けなかった。

 彼女の後ろに、ゆらりと現れる不可思議な影。その手に持つは、抜き身の太刀。影は太刀を振りかぶり、彼女のくびを―


 入学式。人生で何度あるか分からないイベントであり、新たにクラスメイトとなる人間の性格やその他諸々を確認する、ファーストコンタクトの機会でもある。

 そして、そんな入学式をいきなりサボる様な奴は、当然その手の評価を受ける訳で……

「まさか入学式の直前に呼び出しなんて。ウチも抑々よくよく、運が無い」

 ウチは、ついさっき警察からの呼び出しが掛かって来た携帯を睨む。しかし、それで呼び出しが無くなる訳でもない。

 ウチの名前は、黒島朱雀くろしますざく。何処にでも居る普通の女子高生……と言いたいが、ウチの事を普通とすれば世の中の普通の女子高生は居なくなる。

 理由は三つ。たった三つの理由で、ウチの世間での立ち位置が決まってしまっている。

 一つ。自分の家が約五百年続く呉服屋ごふくやだと言う事。ただでさえ歴史が有る家と言うのは窮屈きゅうくつなのに、ここは洛中。伝統とかプライドとかで名前が邪魔でしかない。二つ目以降は……まあ、その内書く事になる。

 兎に角。ウチが普通では無いのは自覚している。だが、今更普通に成りたいと言う願望ゆめも無い。もう諦めた。

「ご冗談を、お嬢様。その程度の些事、気にする程の事でも無いでしょうに」

 そんな事を言いながら車のハンドルを握るこの男は、三代目鞍馬源右衛門為助さんだいめくらまげんえもんためすけ。通称鞍馬だ。ウチのお目付け役兼運転手で、皮肉と嫌味が大好物である。

 ウチは溜息を付き、鞍馬に文句を言う。

「生憎、ウチは平穏に暮らしたいの。こんな能力や家が無ければ、もう少し静かだったのだけど」

 鞍馬は薄く笑い、大仰に頷いて見せた。

「そうでしょうそうでしょう。それならばこの私も、お嬢様の様な偉そうで生意気なクソガキの運転手に甘んじる事無く、伸び伸びと生きられたもので御座います」

「ほんっとに口悪いよね、アンタ」

「同族嫌悪に御座いますね、お嬢様」

 ……とまぁ、何時もの挨拶程度の応酬をしていると、車は円山公園のすぐ横にある知恩院入口で止まった。既に公園の入口は封鎖され、黄色い規制線が現場であると主張している。

 車を降りたウチは、入口を警備する制服警官に陰陽寮おんみょうりょう所属である証の手帳を見せる……筈だった。が、先に敬礼と共に道を開けられた。ウチの顔を知っている様だ。ならば、特妖課とくようかが既に管理下に置いていると見て間違いない。

 ウチが普通じゃない理由二つ目。その裏稼業が陰陽師と言う事。そんなもん二次元の産物と鼻でわらいたいが、残念ながらそんな事は無かった。お陰様でこの歳で惨殺死体を見馴れたり、妖怪やら何やらに襲われたりする。祖先は何て余計な事をしてくれたと思う。しかもその所為で、こんな風に警察から協力の呼び出しをわれたりする。

 京都府警特別妖怪事件対策課、通称「特妖」。年間ウン百単位の妖怪に関する事件が起きる洛中において、最も活躍するのがこの特妖課だ。そして当然、陰陽寮と最も関わるのも彼らである。

 現場に入ると、青いツナギを着た鑑識達が右往左往していた。恐らく捜査権が普通刑事課から特妖に切り替わった為、全く別の事を調べさせられているのだろう。御愁傷様ごしゅうしょうさまだ。

 更に奥に進むと、ブルーシートで囲まれた東屋が見えてきた。そして、何やら言い合いをしている二人の刑事も。

「だから警部、絶対体良く押し付けられただけだって」

「そうだとしても、任された以上は私達の仕事なのです。しっかりと解決しなければいけませんよ」

 灰色のスーツを着、白髪も混じる髪を撫で付けた方が黒田豊くろだゆたか警部。特妖の纏め役で紅茶派だ。そして、大柄で熊の様な方が大隈譲司おおくまじょうじ巡査部長。通称羆ひぐま。ガサツな珈琲党である。見て分かる通りの凸凹コンビだ。

 しかしこんなコンビでも、京都府警一の検挙率を誇るのだから意外……と言うより、他のチームがサボっているとしか思えない。大体にして、こんなコンビで務まるのだから、特妖は楽な仕事なのかもしれない。進路、こっちにしようかな……

 どうやら二人は、事件の管轄が普通刑事課から無理矢理譲渡押し付けされた事で揉めているらしい。ウチは呆れ半分で近付くが、呆れた事に気付いていないらしい。

「彼等の手に余る事案は、私達の分領でしょうに」

「警部は優し過ぎです。大体、だ俺達の案件だと決まった訳じゃ―」

「わざわざオジサン二人の言い争いを止める為に呼び出されたんですか?ウチは」

 そう言って近付くと、二人はやっと気付いたらしい。警部は此方を向き、ニコリとして頭を下げてきた。

「これはこれは、黒島さん。入学式の日にお呼び立てして申し訳ありません」

「別に構いませんよ。警察に呼び出されて、断れる道理も有りませんし」

 そう返すと、警部はショボンとした表情になる。が、ガサツが過ぎる羆にはウチの皮肉は通じないらしい。

「よぉ、嬢ちゃん。これが被害者ガイシャの写真だ」

 羆が渡してきた写真には、被害者と思われる少女の……首から下だけが写っていた。だが肝心の顔の写真は無い。切断された首から流れた血の量からすると、倒れたのは斬られて頭が無くなってかららしい。

「被害者は五条坂中二年……いえ、今日から三年だった筈の、西村佐奈さん。どうやら、友人の家から帰る所だったそうです。因みにここは何時もの帰り道では無い様ですが、どうやら何時もの帰り道が工事中だった為、ここを使用した……と言う事らしいです」

 つまり、偶々たまたま巻き込まれてしまったと言う事だ。洛中ではよくある死因の一つにして、最も不幸な死因。まだ禁足地きんそくちに足を踏み入れたとか、代々呪われていたとかの方が死因としては未だマシな方である。

「死体の現物は?」

「とっくに森検死官もりけんしかんが持ってっちまったよ。全く、これだから変態は」

 と言うより、頭の無い死体を返されても遺族は混乱するだけだろう。これだから羆は。まぁ、確かに森検死官が死体愛好家の変態である事は認めるが。とは言え。取り合えずブルーシートの掛けられた、恐らく血痕が残っているであろう辺りに手を合わせた。

「所で、この子の首から上は?」

「捜索中だが、全く痕跡あとが無い」

 とすれば、食べられたという事か。或いは、どこぞの宇宙人よろしくコレクションでもしているのだろうか。

「類似事件が、今月に入って既に三件目だ。他の事件も同様に、首から上が無くなっちまってる。んで、当初は普通刑事課が猟奇殺人の線で追っていたんだが……有難い事に手に余って俺たちに回ってきたんだ」

 事情は理解した。大方、猟奇殺人として処理するのが面倒になったのだろう。まぁ、分からないでも無い。ウチだって、暇そうにしている奴がいたら面倒を押し付けたくもなる。と、ウチが入って来た門の辺りがざわざわとしてきた。そして、ついでに脳内アラートが鳴り響く。厄介事が近付いて来た気がする……

 そのアラートを裏打ちするかの様に、一人の制服警官が此方に向かって来た。しかもよく見れば、さっき入り口を警備していた警官である。

「失礼します。黒島さん。お友達だという方がお二人、いらっしゃいましたが……」

「知り合いじゃないし一般人だし無関係なので摘み出して下さい今すぐに」

 最悪だ。こんな状況で一番顔を合わせたくない奴らが来てしまった様だ。途端に頭が痛くなる。どうして入学式の日位大人しく出来ないのやら。

 だが、ここで羆の阿呆が最悪の助け舟を出した。

「ん?ああ、翼ちゃんと神楽ちゃんか。入れても大丈夫だろ」

「ンな訳無いでしょ。一般人なんだから」

 しかしウチの制止も空しく、肝心の制服警官は二人を呼びに戻ってしまった後。手遅れだ。こうなったのも、全て羆の所為である。

 ウチが頭を抱えていると、さっきの警官に連れられて二人の女子高生がやってきた。そしてウチの顔を見、嬉しそうに駆け寄ってくる。ええい来るな来るな、鬱陶しい。

「ほら、ボクの予想通りだったでしょ?」

「やっほー、朱雀~」

 事件現場に似つかわしくない、気の抜ける様な声。呆れる程朗らかなこの声は、どんな手違いからかウチの幼馴染として何度も現れる、まるで疫病神の様な二人のものである。名前は冬月翼ふゆつきつばさ東雲神楽しののめかぐら。翼も阿呆だし、神楽はもっと阿呆だ。

 と言うかそもそもこの二人、今日は始業式の筈。何故こんな所に居るのやら。

「だって朱雀の居ない始業式なんて……寂しいじゃん」

「つまり堂々としたサボりって訳ね。阿呆なの?」

 呆れて溜息を着くが、翼はどこ吹く風。神楽に至っては、そもそも制服すら着ていない。此奴は何の為にここに来たのやら。そう思って聞くと、神楽から意外な事を聞いた。

「え、今日の入学式は無くなったんだけど…知らなかった?」

 何と。ではウチは何の為にわざわざ着替えたのか。と言うか、何故此奴はそれを知っているんだ。と、神楽は不思議なものを見せてきた。

 文字の書いてある板……と言うか電子デバイスなのは分かる。何か未来感が凄いけど、まあそのうち廃れるだろう。PHSみたいに。

「ほら、学校からのメール。近くで事件が起こったから、明日に延期だってさ」

「近くって……ここじゃなくて?」

 もう一件別にあるのか。そう思って羆の方を見ると、少し考えた後に手を打って答えた。覚えているなら最初から言え。

「ああ、そう言えばもう一件あったな…警部、あっちは刑事課の管轄ですよね……って、警部!」

 羆は警部に聞くが、肝心の警部はティーブレイク中。魔法瓶に入れた紅茶を優雅に飲んでいる。警察官が事件現場で何をしているのやら。最も、この警部はいつもこんな感じであるが。

「今日はアッサムにしてみました」

「へー、アッサムですかって違う!何暢気に紅茶を嗜んでるんすか!」

 このコント、いつまで見なければいけないのか。いい加減にしてもらいたい。しかも、こんな時に限ってこの二人の抑え役である鮫島警部補も居ない。仕方が無いので、取り合えずウチが紅茶講義を始めた二人の頭を扇子で叩き、話を元に戻させた。今欲しいのは紅茶の適切な蒸らし方では無く、もう一件の事件に関する情報である。

 黒田警部は魔法瓶を鞄に入れ、代わりに小さなファイルを取り出してペラペラとめくった。どうやら他の管轄の事件は、特妖に流れてこない様だ。何とも不憫である。まぁ、警察も一枚岩ではないと言う事か。

「そっちは……ああ、ありました。詳細は聞かされていませんが、どうやら南門前町で起こった唯の殺人のようです」

 殺人を「唯の」呼ばわりはどうかと思うが、まあ日常的に猟奇殺人を見慣れてしまうとそういう感想にもなる。しかしそんな近くで起こった事件なのに、詳細を知らないとは……

「そっちって見に行けないんですか?」

 不意に翼がそう言った。此奴は阿呆なのか。

「本来、ウチ等が此処にいること自体がおかしいの。見に行ってもいいけど、追い返されるのが落ちだから」

「ええ。流石の朱雀さんも、普通刑事課の事件に関わらせる訳には行かないので」

 ウチの言葉に、警部が援護してくる。実際陰陽寮関係者が関わっていい事件は、基本的に特妖や担当刑事課の要請が前提。それが無い事件相手では、ウチもあくまで一般人でしかない。

「取り合えず、そっちの遺体は首が付いてるって話な訳ね」

「付いてたって無くったって、事件は事件だろうに……」

 羆の呟きが、特妖の歯痒さを伝える。ウチ等が思っている以上に、警察内部では冷遇されているのだろう。

 兎に角、今はこっちの事件に専念しよう。特妖の株を少しでも上げる為にも。その為には、もう少し多角的にこの事件を知る必要がある。

「で、他に何かある?羆」

「俺に聞くんか……ちょっと待ってくれ」

 そう言いながら、ペラペラと手帳を捲る羆。ゴツイ見た目に似合わない、繊細且つ細かい文字がびっしりと書いてある。几帳面な奴だ。羆の癖に。

 因みに翼と神楽は警部に紅茶を貰い、例の紅茶講座を受けている。いや、本当に何しに来たんだこの二人。そうこうしていると、やっと羆が今回の件のページを見つけた様だ。

「あったあった。鑑識の話だが、刀で切られた様に綺麗な切り口らしい。嬢ちゃん、なんか思い当たる妖怪はいないか?」

 そんなこと言われても。と、思いがけない方向から声が掛かった。紅茶を飲んでいた筈の神楽だ。

「あ、カゲヌシの噂!」

「何それ」

「これこれ!」

 そう元気に言いつつ、さっきの未来的板っ切れをチャカチャカと動かして、何やら文字のいっぱい書かれた画面を見せてきた。掲示板と言うやつか。

「えっと……カゲヌシ様の噂……?」

 書いてある内容的には、カゲヌシと呼ばれる武士の幽霊が首を求めて彷徨い、出会ってしまった人の首を奪うと言う、よくある他愛も無い話である。こんな話、探せば幾らでも見つけられるだろう。だがしかし、この噂が本当であるならばとある可能性が浮上する。都市伝説系妖怪による犯行の可能性だ。

 都市伝説型妖怪とは通常の妖怪とは違い、人々の想像と信心のみで構成されている、早い話が幽霊よりあやふやな存在である。どういう妖怪なのか、メジャーな口裂け女を例に説明しよう。

 まず、A地点で口裂け女が目撃される。これ自体は本物であっても無くても関係が無い。次にそれが噂話として広まり、「口裂け女」と言う名前と見た目、そしていつの間にか付いた尾鰭が合わさり、都市伝説「口裂け女」と言う存在が確定する。

 しかし、ここまでならまだただの都市伝説だ。妖怪として進化するのはここから。噂が存在するB地点で口裂け女が目撃され、それが広まった時、口裂け女が妖怪としてB地点で認知される。早い話、本気で信じている人間が一人でもいれば、妖怪として存在し続けると言う事だ。

 とは言え、基本的に噂は噂。実はあまり広がらない。世の多くの都市伝説が妖怪化しないのは、最初の発信源から広がらないからだ。結果、妖怪化に必要な認知者数が足りず、有名化しないため薄れたり、消失したりする。そして有名になったとしても、信じる人間が少なかったり、定着しなければ形骸化けいがいかするのみ。と言うかそもそも定着までに時間がかかり、そのうちに廃れる事もしばしば。

 とは言え。もし仮に今回の事件がそのカゲヌシの仕業だとすれば、噂が大きくなる前に何とか対処する必要がある。もしカゲヌシの噂に尾鰭おひれが付き、どんどん強くなってしまうとそれこそ手に負えないからだ。

 しかし残念ながら、そう言う噂があった所で捜査は全く進展しない。ネットの不確かな噂であると言うのもあるが、それ以上に本当に妖怪が犯人であると言う確証が無いからだ。ただの猟奇殺人だった場合、それこそ目も当てられない。結局、今日はここで解散となった。


 次の日。一日遅れの入学式を終え、レクリエーションを終えた帰りの車内。まるでウチが車に乗るのを待っていたかの様に、携帯が大きく鳴り響いた。さて、どうやったら通話出来るんだったか……

「この受話器が下がってる方が―」

「そっちが電話を切る方に御座います、お嬢様。昨日教えたばかりでございましょう……」

「知ってる。聞いただけ」

 鞍馬が溜息交じりにそう教えてくれた。うむむ。流石に機械音痴も此処ここまで来ると、自分でも心配になる。いい加減覚えよう。

 掛けてきたのは、京都府警の刑事課課長である冬月雅臣ふゆつきまさおみ警視。翼のお父さんだ。昨日翼が現場に入れたのは、それが理由である。

「ああ、黒島さん。学校終わりに申し訳ないです」

「昨日の件ですか?」

 このタイミングでの電話だ、大体想像は付く。鞍馬はウチの声を聴き、車を府警本部に向けている。既に内容を察しているらしい。

 ウチの声を聴き、冬月課長は少し戸惑いながら答えた。

「それなんですが……黒島さんに手伝って頂きたい案件なのですが……」


 ウチは本部に着くと、刑事課のある三階に向かった。制服のウチがこんな所に居るのはかなり場違いだが、それなりに顔馴染みも多いので特に咎められたりはしない。

 エレベーターのドアが開くと、目の前に一人の女性刑事が立っていた。ネイビーブルーのパンツスーツを着こなし、バトルグローブを付けた彼女の名前は、鮫島美咲さめじまみさき。特妖課所属の警部補で、変人揃いの特妖の紅一点だ。

「随分掛かりましたね。お早く」

 そう言うが早いか、ハイヒールを高らかに鳴らして先に特妖のある部屋に向かう鮫島警部補。全く、この人は協調性と言うものが皆無なのか。

 特妖課の部屋に入ると、何時もの特妖課の面々に交じって普通刑事課の刑事が何人かいた。どういう事だ。しかも何やら言い争っている。

「課長。黒島さんが到着しました」

「ん、ああ!来てくれたか朱雀ちゃん!」

 何と、珍しく玄田課長がいる。玄田浩成げんだこうせい警部。この特妖課の課長であり、一番の変人だ。本来なら黒田警部が課長になってもおかしくはないのだが、何故か元気にこの問題児たちの寄せ集め課を何とか纏めている。

 しかもよく見れば、冬月課長もいる。つまり刑事課と特妖課の間に何かが起こったらしい。

「何があったんですか」

「普通刑事課に自首してきた容疑者が、妖怪に襲われた」

 課長が分かりやすく教えてくれた。成程、確かにウチが呼ばれる案件だ。そう考えていると、今度は冬月課長が教えてくれる。

「昨日あった、もう一件の事件。そっちの容疑者だったんです。木島、資料を」

「は。これを」

 木島と呼ばれた刑事が、ウチに資料を渡してきた。書いてあるのは、昨日有ったもう一件…南門前町の大学生殺人事件の事だ。

「容疑者である平原俊樹ひらばらとしきは、昨日黒谷交番に自首してきました。その時点で、かなり精神的に参ってきている状態でした」

 ペラペラと捲ると、唯の衝動殺人であると結論付けられていた。そして、他でも無い目撃者らしき少女がいたらしいことも。

「彼の証言通り、近くの監視カメラを調べた所、そちらの被害者である西村佐奈さんと思われる少女が、丸山公園の方に走っていくのを確認しています」

 つまり、殺人現場を見てしまった彼女は慌てて逃げ、そして妖怪に襲われた。成程、辻褄は合う。

「容疑者が襲われたのは?」

「取調室です。怪我自体は掠り傷程度ではありますが、取り調べ担当の刑事曰く……平原の後に侍の様な影が現れて、平原の影に切りかかったと」

 まさかの神楽の意見がビンゴしてしまった。あり得ないと思いたかったが、実際目撃者が出てしまった以上、信じざるを得ない。

「取り合えず、黒島さんには取り調べに同行してもらって、容疑者の安全確保をして頂きたいんです。正直、我々の手勢では妖怪に対処する事は……」

 冬月課長にそう言われてしまうと、ウチも断りにくい。それに、普通刑事課に妖怪を倒せるような能力者が居ない事も事実。上手く行けばカゲヌシを倒せるのだから、一石二鳥と言った所か。

「了解しました。その依頼、引き受けましょう」


 机の上のライト以外、明かりの無い薄暗い部屋。と言うイメージの強い取調室だが、今はそんな感じでは無い。意外と小奇麗な、オフィスの面接室のようなデザインになっている。ウチはその隣にある、マジックミラーで取調室の方が見える小部屋に居た。

 護送されてきた男……平原は、写真で見たよりも随分とやつれていた。犯罪者の顔はそれなりに見てきたが、ここまで疲弊している容疑者は久しぶりに見た。まぁ、実際に妖怪に襲われたのだ。疲弊もするか。実際、左腕に巻かれた包帯が目に痛い。

 今回取り調べを行うのは、再びの襲撃に備えて羆と警部の二人。二人とも大した能力では無いが、遅滞戦闘位は出来る。最も、そうなった時の為の要因がウチなのだが。

「じゃあ、取り調べを再開するぞ。今回はちゃんと護ってくれる能力者が居るから、安心して喋ってくれればいい」

 羆がそう言って、取り調べは再開した。幸い、平原本人はそこまで動揺している訳では無いらしく、しっかりと事件を起こした理由などを話し出した。

 動機は怨恨。何でも、大学のサークルでのいざこざが原因らしい。しかし殺すつもりは無く、打ち所が悪かった……と言う事だそうだ。全く、そんな事で喧嘩をするんじゃないと言いたい所だが、それでも当事者的にはのっぴきならない事情があったのだろう。

「朱雀さん。動きは有りましたか?」

 硬いハイヒールの音と共に、そう声がした。鮫島警部補だ。この人も戦闘系能力者なので、ウチと同じくバックアップに回っている。

「全く。能力者が集まっているので、警戒しているのかもしれません」

「そう。来ないのが一番だけど」

 実際その通りだ。だが、ふと嫌な予感が頭を過る。確認の為に携帯を取り出した…までは良かったのだが、肝心の電話帳機能の使い方が分からない。しまった。翼か神楽に聞いておけば良かった。

 そんな風に携帯と格闘していると、見兼ねた警部補が電話帳を開いてくれた。成程、本のマークを押せばいいのか。覚えた。

「……はぁ……これ位一般常識の範囲では?」

 何だかボソッと嫌味を言われた気がするが、そんな事より気になる事がある。取り合えず神楽の番号を探し、昨日教わった通りに受話器のボタンを押す。

「やっほー!よく電話掛けれたね朱雀。あ、誰かに教えてもらったとか」

 一発でバレた。やっぱりウチが機械音痴なのはバレてるのか。いや、前にPS3の電源を一人で入れられた時に思いっきり褒められたので、大分前から知っていたのかも。そこは腐っても幼馴染である。

「昨日言ってたカゲヌシって奴、あれ出てきやすい時間とか書いて無かった?」

「え……ちょっと待ってて」

 そう、気になった事とは出現時間である。都市伝説系妖怪は、律義に噂通り動く習性がある。まあ、存在そのものが噂なのだから、強ちおかしな話では無いが。もし出現時間に何かしらの縛りがあれば、今出現しない理由も分かる。逆に此方が把握しえないタイミングで現れると、其れこそ手の打ち様が無い。

 暫くして、神楽が電話に出た。見つかった様だ。

「あったあった。大体、日暮れとか暗くなってからの目撃だから……出るんならそろそろじゃない?」

 時計を見ると、午後五時過ぎ。いい加減暗く成り始める頃だ。神楽の情報を信じるなら、そろそろ戦闘準備と言う所か。

 そんな事を考えていると、不意に視界を何かが横切った。正確に言えば、視界端に当たる取調室の机の影。そこに、何かが居た気がしたのだ。

「鮫島さん」

「ええ、見えました」

 警部補はウチの声を聴くまでも無く、ジャケットからPx-4を取り出していた。警察正式採用の拳銃では無いが、何処で手に入れたのかを聞くのは野暮だろう。と言うか、安全装置を外したまま持ち歩いているのだろうか。

 ほぼ同時に、冷たい水の中に入ったかの様な感覚が身体を包む。都市伝説系妖怪が攻撃を仕掛ける時特有の結界が発生したのだ。間違い無い、カゲヌシが来ている。

 再び影が揺れ動く。だが羆達は気付いていない。不味いか。仕方無い、ガラスを

「ウォーター・ワールド!」

 そう叫んでマジックミラーに触れると、溶けたバターの様にぐにゃりと歪んで落ちた。ウチの能力であるウォーターワールドは、液体であればどんなものでも操れる能力。かなり危険な能力で、下手をすれば世界を破壊しかねないと言うお墨付きだ。そして、マジックミラーの主成分であるガラスは、広義に於いては液体と同じである。だから溶かせたのだ。

 そしてこれが、ウチが普通ではない理由三つ目。裏家業の陰陽師の所為か知らないが、ウチが能力者だと言う事。確かに能力者は珍しいものでは無いが、大概は少し身体強化される程度だ。だが、ウチの能力は選りにも選って「災害級」と言う嬉しく無い称号を得ている。そしてその所為で、公安から監視されたりするのだが……まあ、追々おいおい分る筈だ。

「机から離れて!」

 警部補は一切躊躇いっさいちゅうちょせず、溶けたミラーを飛び越えて取調室に入った。ウチも続いて乗り込み、護身用の扇子を取り出す。

「なんだなんだ」

「羆は役に立たないから下がる!」

 突然の侵入に驚く羆だが、警部補にそう怒鳴られて急いで壁際に下がった。仲間内でも羆と呼ばれてるのか、此奴。まぁ大柄の道民だからそう呼ばれやすいか。そして警部と平原の二人も壁際に寄せさせる。こうすれば影が出来る所が限られるので、此方としても守りやすい。

 光源は頭上の電球のみ。影は足元か、或いは……

「そこ!」

 案の定、壁に人影が現れた。確かに、江戸時代とかの武家みたいな影である。が、肝心の本体が見当たらない。まさか本当に影だけの存在だったのか。

 警部補が発砲。しかし当然本体は影なのでダメージが無い。なんて奴だ。

「鮫島君、撃たない方が良い!」

「姐さん俺に当たるから!タンマタンマ!」

 警部と羆が同時に叫ぶ。しぶしぶと言った風体で警部補は安全装置を下げた。平原は既に頭を下げ、ブルブルと震えている。殺人事件の犯人とは言え、妖怪に殺させる訳には行かない。と、とある方法が頭に浮かんだ。

「羆!机持ち上げて皆をその中に隠して!」

「……!成程な!」

 机の下に潜り、無理やり持ち上げる羆。流石パワーだけは一人前の羆だ。警部と平原、警部補の三人を机の影に入れる。当然、残ったウチに向かってカゲヌシは近づいて来た。

「嬢ちゃん!そっち行ったぞ!」

「分かってるっての!」

 太刀を振りかぶるカゲヌシ。その刃を扇子で防ぐと、確かに真剣の手応えがした。そのまま受け流すが、再び斬り掛って来る。

「このっ!」

 カゲヌシの胴の辺りに蹴りを入れる。だが、全く手応えが無い。しかし向こうの攻撃だけは入る。チートが過ぎる、此奴。どう考えても第一話向きの相手じゃない。せめて強化フォーム回まで待って欲しい。

 その時、取調室のドアが開いた。廊下の光が差し込み、カゲヌシを照らす。

「大丈夫ですか!?」

 廊下に控えていた、木島とか言う刑事だ。何というタイミング。光に照らされたカゲヌシは、まるで何かに吸い込まれる様に消えて行く。光が無ければ出て来れないのに、光が弱点とは…何て矛盾した奴だ。

 結局その後、探せど探せどカゲヌシは出て来なかった。完全に消えた……とは考えにくいが、少なくとも脅威は去った。と言う事で、ウチは府警本部を後にした。

 つ、疲れた……


 次の日の昼休み。流石に平穏を取り戻したと見え、携帯が鳴る事は無かった。特例で認められてるとは言え、流石に授業中に着信音がするのは避けたい。とは言え、大体そんな時間に来る電話は緊急なものが多く、下手をすれば生命の危機があるかも知れないので、着信を無くす訳には行かないのがネックだ。

 兎にも角にも、これで解決したとは思えないのは事実。カゲヌシは脅威であると考えた方が良いだろう。そう思ってページを捲っていると、教室の前のドアが開いた。先生が来るにはまだ少し早いが、まあウチには関係無いだろう。

「すーざく!いる―?」

 ……訂正。関係しかない奴が来た。しかし無視を決め込む。面倒事は御免だ。頭の中に浮かんだ顔を消し飛ばしつつ、ページを捲る。

 だがこっちが無視をしても、面倒事は向こうからやって来た。厚かましい。

「あ、いたいた。無視しないでよ。アタシが遊びに来てあげたんだから」

 絶対に無視だ無視。

「……それ以上無視すると、今度お八つにガラムマサラかけるからね」

「それだけはやめなさい」

 しまった、返事をしてしまった。案の定、目の前の神楽の顔は満面の笑みだ。しょうがない。少しぐらい相手をしてやろう。そう思って本を閉じると、もう一人の阿呆……翼も顔を覗かせる。そうか、此奴等こいつらクラスが同じだったか。

「朱雀、部活決めた?」

 ニコニコと翼が近寄ってくる。言いたい事は大体分かった。

「ウチは本業も副業も忙しいの。だから帰宅部って―」

「そんな朱雀にお勧めな部活がこちら!」

「じゃじゃん!」

 目の前に一枚の紙きれが差し出される。訂正、押し付けられた。阿呆が。そんなに近づけられたら、見えるものも見えなくなるだけでしょうが。

 無理矢理引き剥がして見ると、「新聞部」と書かれていた。そして、名前の所には既にウチの名前が書かれている。しかしこんなものを書いた記憶は一切無い。そして、その筆跡には見覚えがあった。

「……翼ぁ……」

 間違い無く、此奴の字である。正確に言うなら、翼が全力でウチの筆跡を真似た時の字だ。絶妙に似ているが、ほんの少しだけ癖が違う。

「多分朱雀に渡しても名前書かないでしょ?だから書いておいたよ」

 取り合えずその紙を破り、指先から出した狐火で燃やす。誰が入るか。だが翼はニコニコしている。もしや…最初からこうなる事を予想して、コピーの方を持ってきたのか。

「書いといた、じゃないでしょうが。だから忙しいんだっての。知ってるでしょ」

「でも、受理されちゃったし」

 ウチは呆れを通り越して、思わず翼の頭を扇子で叩いた。此奴、まさかそこまでやっていたのか……とは言え、受理されてしまった以上仕方無い。諦めて、幽霊部員にでもなってやる。

 そう思っていたら、翼が顔を近づけてこう言ってきた。

「朱雀、昨日のこと教えて」

 いきなり何の事かと思ったが、要はカゲヌシの事だ。確かに神楽にあんな電話をしたのだから、当然気になるか。そして、それは一応捜査上の秘密に当たるから、こんな所で大きく話せない。此奴もちゃんと考えている。

「……分かった。放課後にウチの車で」

 そう言うと嬉しそうに翼は頷き、そのまま出て行った。しかし阿呆を忘れて行ってしまってる。残された神楽は、困り果てた顔で聞いて来た。

「えっと……アタシは何をすれば……」

「帰れ」


 表玄関を出ると、黒塗りの高級外車独逸車が一台停まっていた。正直言おう。邪魔である。実際多くの生徒が触れるに触れられず、外に出るのに難儀している。仕方が無いので、ウチは後部ドアを蹴った。結構いい音が出る。そして周りの生徒達が息を飲むのが分かった。まぁ、いつもの事だ。

 すると、それに気づいたのか運転席のドアが開き、ダブルのダークスーツを着て銀のフレームレス眼鏡をかけた、明らかに堅気ではないオーラの長身の男が出てきた。つまりは鞍馬である。相変わらずヤクザの若頭みたいな奴だ。

「車が邪魔。置き場所を考えなさい。大体図体がデカいんだから、こんな狭い所に押し込めるんじゃない」

「朱雀お嬢様。まずは車を蹴った事を謝るべきでは?」

 鞍馬は慇懃に頭を下げた。確かに近くに止めろと入ったが、こんな所にこんな車を止めやがったのか。とすれば此奴も相当な阿呆である。

黒島家うちの車なんだから別にいいでしょ。それより、さっさとここからこの邪魔なコレを退かしなさい」

「畏まりました。その様に」

 また慇懃に頭を下げると、なんとウチを置いて車に乗り込み、そのまま発進させた。モーセの十戒の逸話いつわのように、生徒が両脇に分かれて道が出来る。車は川端通にデカ過ぎる頭を突き出し停車した。

 そして運転席が再び開き、鞍馬の澄ました顔が現れる。

「お嬢様。その様に亀の物真似をされていますと、私、置いて行ってしまいますよ。早くお乗りください」

「ふざけんなこの阿呆」

 ウチは乗り込み、呆れ半分でドアを閉めた。周りから様々な感情の籠った視線が突き刺さる。間違いなくこれで有名人になった。まだ三日目なのに。どうしてくれるんだ。

 鞍馬はそんな事を微塵も気にする事無く、車を静かに発進させる。相変わらず運転だけは上手い。と、忘れ物をしていた事を思い出した。そうだ、あの二人だ。玄関の方を見ると、案の定翼と神楽が手を振っている。本当なら無視してしまいたい所だが、今回は別だ。仕方ないので回収する。

「良かった~忘れられたと思ったよ」

「多分朱雀は忘れたかったと思うよ」

 翼神楽は口々にそう言い、ウチの横へ乗り込む。隣に座る許可はしていないが、言っても無駄か。取り合えず事件の概要と昨日在った事、そしてカゲヌシの事について述べた。一応警察の特秘事項には触れないで置いたが、翼の事だ。どうせ父親か警部経由で聞き出すだろう。

 取り合えずそんなこんなで黒島家に着いた。相変わらず荘厳と言う言葉を間違えているような、白木造りの大門を車ごと潜る。そのまま車を降りると、ウチの部屋がある離れに向かった。

「ただいま」

「ただいま~」

「……ただいま」

 何故家族でも無いこの二人が、ウチより先にただいまと言っているのかは気になるが、まあそれはそれだ。どうせ車に載せるとウチが言った時点で、此奴等はウチに泊まる気だったのだろうし。厚かましいにも程がある。

「わ~い!久しぶりの朱雀の部屋だ~」

「アンタはつい一週間前に来たでしょうが」

 テンションが上がっている翼は放っておき、神楽に例のサイトを検索して貰う。唯でさえ情報が少ない相手だ。昨日の一件で倒せたとは思えないので、対策位は立てておきたい。

 しかし、いくら調べても昨日の電話以上の事は出て来なかった。それはそうか。所詮は噂の類でしか語られない妖怪だし、そもそも出来てからあまり時間が経っていないのもある。逆に言えば、今なら何か打つ手がある筈だ。

 そんなこんなで調べていると、とある条件に気付いた。そして悔しい事に、最初に気付いたのは他でも無い翼だった。

「ねぇ、これ……」

 そう言いながら、幾つかのカゲヌシが出て来たと言われる場所の画像を指差す。

「街灯とか無いよね、こことここ」

 その画像には、それぞれ別の会社の自販機のみが映っている。それらの周囲には、確かに翼の言う通りそれ以外の光源が無い。そしてウチは、昨日の記憶を蘇らせる。そう、光に照らされたカゲヌシはどうなったか。

 更に、考えてみれば何故あれ程強くチート気味なカゲヌシが、目撃情報が多いのか……と言う事も理解出来る。ウチの予想が正しければ、カゲヌシは存在そのものが影なので、光源が二つ以上あると存在出来なくなる……かもしれない。そして、二か所以上から光を受けた場合、近場の影に逃げ込む。で、あるならば。

「鞍馬、車出して」

 部屋にある緊急の呼び出しベルを押し、恐らく自室で紅茶の準備でもしているであろう鞍馬に繋げる。すると案の定、不機嫌そうな鞍馬の声がした。如何して紅茶党は皆マイペース極まりないのだろうか。

「……朱雀お嬢様。せっかく私は優雅な紅茶の時間を楽しもうとしているのです。鍵ならお渡し致しますから、ご自分で移動なさって下さいませ」

 なんて奴だ。とは言え、大体予想の範囲内である。

「分かった。もし今すぐ動いてくれるのなら、この前欲しがってた例のメイドを攻略する恋愛ゲームあげるけど」

「朱雀お嬢様。何をぼんやりとして居られるのですか?さっさと向かいましょう」

 此奴……分かってはいたがやはりとんでも無い阿呆だ。とは言え、さっさと動きたいのは此方も同じ。一回脱いでしまったが、急いで制服を着直す。ジャージでも良いが、体育で使っても居ないのに引っ張り出すのも面倒だ。

 ついでに、勝手に人のPS3でゲームを始めようとしている翼に、一つ頼み事をしておく。ウチのゲームで遊ぶのだ。その分位は働け。

「翼、鮫島警部補に後でウチに掛けて欲しいって言っといて」

「いいけど……なんでまた」

 キョトンとした顔で聞いて来る翼。ウチより先にヒントに気付いたのに、未だ分かって無いのか、此奴は。

「カゲヌシを白日の下に晒してやるの」


「お嬢様、絶対に約束をお忘れ無きようお願いしますね」

「うっさい」

 丸山公園に着くと、鞍馬は念を押す様にそう言ってきた。全く、どれだけメイドが好きなんだ、此奴。

 取り合えず車を降りる。が、鞍馬は付いて来ない。運転席の窓を叩くと、鞍馬はしぶしぶと言った表情で窓を開けた。その手には、「月刊 執事の友」が握られている。降りて来ないつもりだ。

「…なんで来ないの」

「鞍馬怖~い」

「ぶっ殺すよ」

 殺気の籠った目で睨むと、妙な裏声で鞍馬は言った。やっぱり殺すべきだろうか。しかし帰りが面倒になる。そう思っていると、鞍馬は溜息と共に雑誌を置いた。

「お嬢様のさっきの作戦通りであれば、私は必要では無い筈。あり得ない事ではありますが、お嬢様が作戦に失敗した時のバックアップに待機しておきます故、お気になさらず」

 成程、見上げた忠誠心だ。

「で、本音は?」

「今月号の執事の友、未だ読んでいないのです」

 成程、見下げ果てた屑だ。取り合えず扇子で殴り、規制線をくぐって丸山公園に入った。公園内は作戦通り既に無人となっており、宵闇の深さも相まって寒々しい印象を受ける。後は、警部補が手順通りに事を進めてくれれば……

 取り合えず瓢箪池の辺りまで向かう。そして、近くにある自販機の前で待った。ここなら自販機の光源以外、影は一か所にしか出来ないからだ。これなら奴は必ず現れるだろう。

 被害者のいた東屋近くの街灯も候補の一つだったが、あそこは上からの光なので足元の影を追う事になる。そうなると若干不利になる事は、昨日の戦闘で分かっていた。だからパスだ。それでなくても現場を荒らす事になる。そうなれば当然、警部達であってもいい顔はしない。

 兎に角、今は奴が現れるのを待つ。調べた結果だが、カゲヌシはこの周囲によく出没している。と言う事は、ここで待ち構えていればその内現れる…筈である。いや、現れて欲しい。寧ろ現れてくれないと困る。

 正直な所、急いで家を飛び出したのでかなり勢い任せだ。何時もならもう少し綿密に作戦を立てるのだが…時間を惜しんでしまったのが悔い悩まれる。しかも少し寒い。四月の夜とは言え随分冷える。今更だがジャージにすれば良かった。

 そんな事を考えていると、ふと空気が変わるのに気付いた。そして、あの感覚が身を包む。居る。確実に来ている。どうやらウチの読みは間違っていなかったらしい。足元に目を下すと、一瞬だけカゲヌシがウチの足元の影の横に現れて消えた。しかし、殺気だけはする。後ろだ。

「……っ!」

 甲高い金属音。カゲヌシの刀と、ウチの扇子が切り結んだ音だ。……今更だが、この扇子は一体何で出来ているのだろう。

 その後も何回か攻撃を避ける。大体にして影しか実態が無いので、当たり判定も何もあったもんじゃない。その癖向こうは当て放題。理不尽過ぎる。なので、こちら側に出てきてもらおう。

「鮫島さん!」

 ウチは作戦通り、待機している筈の警部補を呼んだ…のだが、出て来ない。不味い、もしやこっちのタイミングが早かったか。勢い任せの見切り発車の代償だ。

「クッソ!これだから思い付きの作戦は!」

 こうなった以上、文句を言っても仕方無い。兎に角援軍である警部補たちが到着する迄、遅滞戦闘に徹するしか無い。ウチは扇子を持ち替え、予備で持って来ていたペットボトルの蓋を開ける。

 物理は効かなくても、ある程度邪魔をする位で構わない。そう思い、溢した水を障壁に変える。これがウチの得意な戦い方……なのだが。

「ガード貫通する訳!?」

 結局、カゲヌシは意に帰さず攻撃を続ける。まさか、影が出来なければ効果が無いのか。何て奴だ。本当にチートも良い所である。しかもキック出来ないと来た。さっさと下方修正ナーフを入れるか、凍結バンされてしまえばいい。

 しかしそれにしても遅い。ウチも体力に自信がある方では無い……と言うか自信なんか全く無い。正直もう息も上がっていて、そろそろ限界である。何時もならもう倒してしまっているか、相手が逃げている。だが此奴はかなり執念深いのか、とにかく攻撃をし続けてくる。うむむ、第一話にしてピンチだ。

 そんな時、此方に向かって来る足音が複数。やっと援軍の到着だ。

「遅れました」

「大丈夫か、嬢ちゃん!」

 警部補と羆の声。残念ながらそっちは見る事が出来ないが、足音の数的に結構な人数が揃っている。行けるか。

「はあ、はあ……もう……やっちゃって……」

「総員、さっきの手筈通りに囲め!ただし自販機に影は作るな!」

 警部補の声で、全員がウチを囲む様に展開する。その手には、バケツ位の大きさの物を持っている。

 それを確認してから、ウチは何とか頑張ってカゲヌシを突き放す。それと同時に、警部補の命令が飛んだ。

「照らせ!」

 辺りが閃光で満ちる。ウチは目を閉じたが、それでも眩しい。作戦通りだ。

 作戦は簡単だ。ウチが何とかカゲヌシを引き留め、警部補の能力で作った投光器で四方八方から照らす。こうすれば、少なくともカゲヌシは影に隠れられない。

 ゆっくり目を開けると、さっきまでカゲヌシが居た所に……真っ黒な侍が立っている。太秦に居る役者に墨を掛けた様な感じだ。しかし不思議な事に、その足元には影が無い。どうやらこれが本体の様だ。

「黒島さん!これを!」

 そう言って警部補が投げてきたのは、一振りの長ドスだった。警部補の能力は「ブラックドッグ」。触れたものから武器を作る能力だ。この作戦の要である探照灯を作るついでに、ウチの武器も作ってくれたのか。有難い。ウチはそれを拾い、動かぬカゲヌシの頸に向かって振り下ろす。

「もう……出てくんな!」

 一閃。ポロリと落ちたカゲヌシの頸から、真っ黒な靄が噴出して……光の中に消えた。これが本当の霧散である。


「で、結局どうなったの?」

 家に帰り、あの二人と一緒にお風呂に入る羽目になった後の事。翼はウチの布団の横でそう言った。何故さも当然の様にこの阿呆がウチの横に居るのかはかなりの疑問だが、まあ問い詰めても解決しなさそうなので不問とする。

「どうなったって……退治したから、いつも通り帰って来ただけだっての」

「え~、じゃあ特妖に丸投げなの?」

 翼はそう言って顔を近付て来た。ええい鬱陶しい。

「退治した以上、ウチの役目は終わり。後はあっちの仕事でしょうが。後、レポートは適当に纏めて出すし」

 レポートとは、陰陽寮所属の陰陽師が出す有料の報告書で、大体一枚当たり幾らと金額が決まっている。今回の様に初めて確認された妖怪の場合、結構な金額にはなる……と思うが、ウチはお金目当てでやっている訳では無い為、あんまり興味は無い。

「て事は、カゲヌシはもう出て来ないの?」

 勝手に人の座椅子に座り、我が物顔で人のお八つに手を出している神楽は言った。どうでもいいが、如何してアンタ達はウチの部屋でそこまで寛ぐのだろうか。今度から宿泊料でも取ってやろうか。

「カゲヌシの噂がまた盛り上がらない限り、当分出て来ないでしょ。それに、対処法が分かった訳だし」

 実際、今回のカゲヌシ事件がここまで大事になったのは、他でも無くカゲヌシへの対処方法が分からなかったから。今後は出てきても、ここまで大事にはならない……筈だ。

 取り合えず、今回はこんな所だろうか。正直何とか解決出来たから良い様なものの、体力不足なのは否めない。せっかく高校生になったのだ。もう少し体力を付けようと思う。



 数日後。洛中の中高生の間で、とある噂が広まった。それは、侍の形をした影の話で……

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