第9日目 今を生きなくてはなりませんですな
揺らり揺れる生活をしていると、マイナス思考ばかりが脳内に蔓延てくる。まるで、腐ったみかんが一個忍び込んで、カビを拡げる様に。たまらいなこりゃと、自部の文章を見て思うものだ。
嫌なことなど、三万回以上あるだろう。三万日で換算してもだ。内向的で繊細くそ野郎の僕は、すでに三万回以上傷ついてる気がするよ。それは、妄想の世界も含めてもだ。算数の時点で数とお別れを告げた僕が考えた結果だけど、この数を馬鹿にしちゃいけないのかもしれない。
心を縛ってるのは自分自身だと、気が付くまで時間がかかりすぎたみたいだ。自分で作った足枷が重い。その足枷を外さなくてはならない。勿論比喩的にだ。
希望の言葉を紡ぐには、絶望を知らなくてはいけないと思い込みすぎたのだ。
闇の中からしか光は見ることはできないと信じた。
白さを目立たせるために、キャンパスを黒く塗る作業を繰り返した。
そんな自分自身に飽き飽きした。もううざい。うぜえ。格好わりい。ぶっ飛ばす。
前ばっかり向いてる、阿呆ものにならなくてはならないと、思ったのだ。面白いにも縛られることなく、笑おう。笑うだけいい。
人生なんざ、くそくらえだ。瞬間だけをつかみ取るために、今何してるができるかを、ミドリムシほどもない知恵を振り絞っていく。絞り粕が、誰かの笑顔になるのならば、喜んでしてやろう。それが、近くで見てくれている人ならなおさらだ。
長い間、踏ん切りがつけずに傷つくことを恐れていた。そのために、未来ばかりを見つめては勝手な挫折を繰り返し、その原因を他人に求めていた。もう嫌だ。そいつに、チェストを食らわせる。脛をけってやる。
いい加減なことを言おう。どこまでも。嘘ばっかついてやる。現実が追い付かないくらいに。くさいし、大言壮語かもしれない。良いじゃない。たまにはね。
それに、やっぱり物語を書きたい。阿呆がのびのびをする世界を。勿論、ゴム人間的な意味じゃない。比喩的な意味だ。
正攻法なんてないのはわかっていたのに、才能があるふりをするのはつらい。玉無しのリボルバーを構えるのは、もうおしまい。次からは、手ぶらで顔面をぶったたいてやる。もおちろん、比喩的な意味だ。
満足するのが書けた気がする。とりあえず、今を生きようと思うよ。
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