十字路と雨

Bloodberry

十字路と雨

 それはゲリラ豪雨と呼ぶにふさわしい、局地的な土砂降りだった。雨滴が連なり、薄い煙霧となって灰のアスファルトに立ち籠めて、ちょっと先もよく見えないほどだった。

 なのに、不思議と嫌な気はしなかった。酷く明るい気分だった。

 僕は、口笛を軽く吹きながら雨に濡れる無人の町をあるいた。

 空は灰色で、どことなく空虚なノスタルジィを醸していた。その、どうしようもなく暗い空が好きなのだ。

 カクテルパーティのように雨音で世界は騒がしい。

 僕はちょっとおかしいのかもしれない。

 そう思いながらも僕は、自分が頬を歪め、笑っているのを感じる。

  *      *      *

 私は間断なく降りしきる豪雨の中、水たまりを掻き分け、掻き分け下校の道を歩いている。長靴はもうぐっしょりと濡れ、使い物になっていなかった。一歩一歩がゆっくりと、しかし着実に重くなっていく。

 やがて、私はこの足取りの重さは長靴が吸い込んだ水分だけではないのだ、と気づいた。

 私は家に帰りたくないのだった。

 身体が、家に帰ることに微かに反発していた。

 見慣れた景色で気が付けば、私は立ち止まってしまっている。

 傘を雨滴が叩く。自動車は即席スプリンクラーとなり、水たまりの中身をまき散らして走り去ってゆく。

 この十字路を左折すれば、私の家はすぐだった。

 もちろんそんなことはわかっていて、でも私は何かに背中を突き飛ばされるように、夢遊病者のようにゆらゆらと道を突っ切っている。


 不思議と、豪雨が心地よかった。


 毎日、高校が製品工場のように思えて仕方ない。製品がJIS規格に則って生産されていくように、私たちは教育指導要領のもと、叩かれ、矯正され、都合よい製品として社会に売り出されていく。だから授業が、SHRが、教室が嫌で、そんなひねくれたことを思う自分はもっと嫌だった。

 周囲の友人たちは、みなきちんと「製品化」され、自分の将来の夢を怖いくらい異口同音に「安定した職」だと言って、それぞれがその夢を目指していた。

 私だけだった。私だけが不良品だった。周囲に合わせ、なんとか笑顔を貼り付けながらそれを見破られないよう繕った。

 本当は私はただのからっぽの冷笑家シニシストなのだ。嫌だ、嫌だと思うだけで将来の夢も、何もかも決められずにいるだけの。

 そうやって月火水木金土日を繰り返すうちに、だんだんと心の裂け目が広がってゆき、その隙間に得体の知れない何かが入り込み、ぐるぐると渦を巻いているのだった。


 弾丸のような雨が、執拗にビニールの盾を削っている。そういうことなら、何もかも捨ててしまおうか?


 開いたまま放り投げられた傘は、転がって溝に落ちたようだった。豪雨に撃たれてみたい。そんな自分の感傷が今は、無性に可笑しい。

 声を出さずに私は嗤っている。

  *      *      *

 十字路の向こうに異様な光景があった。

 こんな雨だというのに、彼女は傘を差していない。

 彼の視線の先、唐突に、とても優雅に彼女が振り向く。

 彼は確かにその可憐な表情に自分と同じものを認める。

 どちらからという訳でもなく。びしょ濡れの二人は十字路を挟んで嗤いあったのだった。

 降りやまない雨があっても良い。気が付けばそんな馬鹿げたことを考えている。


 程なくして豪雨は急速に勢いを失い、曇天の隙間から眩しい陽光が一条差し込むと、街はやがて思い出したように日常を取り戻す。

 人が歩く。歩く集団はうねりとなる。

 彼女は少し悲しげに彼に背を向けると、ゆっくりとその姿が小さくなっていく。

 彼は一瞬逡巡した。しかしすぐに勇気を振り絞って声を掛けた――。


 産業廃棄物を一杯に積んだ薄汚れたトラックが十字路をうなり声をあげて横切り、彼の声は虚空に消える。

 その十字路は遠すぎた。

 彼はうつむくともうすっかり賑やかな街に踵を返す。

 顔の無い雑踏に、日常に溶けてゆく。

 


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