同題異話SR -Aug.-

一夜のキリトリセン



 発端は、有江ありえ達希たつきが、「昨日と今日、今日と明日の切り取り線って、どこにあるんだろう」と言ったことだった。彼女の認識では、それらは切り分けられているものらしいのだ。

 昨日も今日も、今日も明日も、つながっているんじゃないのかと問うと、達希はそれを否定した。「違うよ。今日はだけど、昨日はでしょ。やっぱり、どこかで切られてるよ」達希に言わせれば、ということではあるのだが、どこか一理あると、そう思った俺がいたのは本当だった。


 人気があるとは言いがたい地元の遊園地、観覧車のゴンドラの中で夜景を見ながら、達希は今さらなことを口にした。

「いいのかな、どっちも彼氏彼女がいるのに、こんなデートまがいのことしちゃって」

 夏休みのさなか、高校生がふたりきりで観覧車に乗っている、そこだけ切り取れば、あるいはデートなのかもしれない。

 目の前、ジャージのハーフパンツとTシャツという達希の服装を見て、ジーンズと白のポロシャツという自分の服装を思えば、そうはならない。デートだったらお互いもっと着飾っているだろう。達希は浴衣を着たかもしれない。

 俺たちは、一夜の切り取り線を探すツアーに出ていた。観覧車を選んだのは、高みから夜の街を見渡すためでしかない。手頃な展望台があれば、そっちに行っていただろう。

「別に。ここでキスをしようってんじゃなし、俺たちに恋愛感情は全くないわけだし。もっとも、このことは互いに黙ってたほうが利口かもしれないな」

 達希の浴衣姿を見たのは小学生の時が最後で、中学に入ってからは、特別な相手の前でしか着なくなった。残念に思わなかったことはよく覚えている。

章一しょういち、かわいくて女の子らしいコが好きだもんね」

 達希の髪を見る。ベリーショートに切りそろえられている。小学生の時から今まで、達希の髪が肩に達しているのを見たことがない。

「何を今さら。好みはどうしようもないだろ。お前だって、昔から秀才にばかり惚れるくせに」

 自分のことを考える。成績は悪くはないが良くもない――だから達希とは高校が違う。軽音部でドラムを叩いている、遅刻がちで授業もさぼりがちな男、それが俺で、達希の好みには当てはまらない。

「あ、ビルの窓、明かりがひとつ消えた」

 ゴンドラの窓外、俺から見て右手に広がる夜景は、鷺丘さぎおか市が大半を占めるが、隣の柚子崎ゆずさきちょうすみに入る。観覧車は頂点に近く、望める明かりは無数にあって、達希がどこを見て消えたと言ったのかはわからなかった。

「本日の業務はめでたく終了、残業の切り取り線が切られたってわけだ」

「家に仕事を持ち帰るんじゃなければね」

 人がせっかく話を合わせてやっているのに、無粋なことを言う。やはり達希のことは好きになれそうにはない。これで、なぜずっとつるんでいられるのか。互いが互いのことを好きにならないと、恋愛対象ではないとわかっているから、気安くいられるのだろうか。

 ぼんやりと景色を眺めていたら、マンションの一室から明かりが消えた。さて、早くにとこについて今日を終えてしまったのか、それともどこかへ出かけたのか。


「で、なんでファミレスなんだ?」

 チェーン店の一角に座を占めて、俺と達希は向かい合っている。食後になって、俺はやっと問うた。達希は夕飯がまだだったらしく、目の前には空になったまぐろ叩き丼のうつわがある。俺は夕食を済ませていたので、チョコのアイスクリームを頼むのみだった。

「このファミレス、0時閉店だから、今日と明日の切り取り線を探すのに具合がいいと思って」

 現在の時刻は十時半、ふたりに残されたのはドリンクバーのみ、それであと一時間半を過ごそうというのか。俺としては、そういう粘り方は好みじゃない。悪い気がしたので、メニューを見るともなしに見た。続けてのアイスは芸がないだろう。わらび餅でも追加注文するべきか。

「日付だけじゃないよね。切り取り線って」

 出し抜けに達希が言った。俺の返事を待たずに、達希は続けた。

「人間関係とかだって、切ったり切られたり、この世は切り取り線であふれてる。元通りになったりもするけどね」

 やはり一理あると思ったので、俺は反論をせずに話題を逸らした。

「今の彼女と別れる気はないぞ」

「私もだよ。いい彼氏だからね」

 ふと、着信音が聞こえた。達希のスマートフォンからのものであるらしく、達希は脇に置いた鞄から取り出して、画面を見た。おそらくはチャットアプリに届いたメッセージを読んでいるのだろう。達希の顔つきが変わる。軽くにやつくようになる。

「噂をすれば。彼氏から。ちょっと落ち込んでるから慰めてほしいって。行かなきゃ」

「相変わらず、好きな男に対しては面倒見がいいんだな」

 達希は微笑みと共に、今一度、画面を見た。

「ま、これでも女だからね。甲斐性ってやつ?」

 伝票を手に取り、達希は鞄を腕に提げた。いたずらっぽい表情を俺に向ける。

「これ、今夜の切り取り線じゃないかな。ごめんね。彼氏のところに行くよ」

 やはり俺は、残念に思わない。俺とつるんでいるより、好きな男のところへ行くのが優先されて然るべきだろう。


 ファミレスを出て、達希はまたスマートフォンの画面を見る。少し寂しげに、独り言にも似て、達希は言った。

「十時三十三分、今夜の、私と章一の切り取り線、か。ちょっと寂しい気もする。0時まで、まだまだ時間があるのにね」

「好きな男が困ってるんだ。早く行ってやれよ」

 別れを促すと、達希は困ったような笑みを浮かべた。

「私たち、いつまで経っても、お互いの一番になれないね。別に、章一と付き合いたいわけじゃないけど」

 俺も達希も、さして恋愛では困ってこなかった。よくよく考えれば、どちらにも恋人がいない状況は、小学生を卒業してから、ない。

 切ったり、切られたり、元通りになったり、達希が言った言葉が頭にふわと浮く。

「俺たちの間には、切り取り線は山ほどあるけどな、山折りも谷折りもないんだよ。だから重ならない。つながってはいるけどな」

「何それ。辻褄つじつま合ってないよ。なんとなくわかっちゃうけど。それも悪くはないかな」

 達希と同じ思いを抱いた。悪くない。俺と達希の関係は、それでいい。

「だから、早く行ってやれって」

「そうだね。切り取り線、切るよ」

 達希はそう言って、俺たちの、今夜の切り取り線を切り離した。俺の方へ振り返ることなく歩み、駅前の雑踏に紛れる。もう頭の中は、彼氏のことで一杯だろう。

 思わず、俺は自分のスマートフォンを取り出していた。チャットアプリを開き、目当ての人とのチャット画面を出して、通話のアイコンをタップする。数回の呼び出し音の後に、それはつながった。

「もしもし」

しょうちゃん、いきなりどうしたの?』

 衝動的なものだった。理由を深く考えないまま、俺は今、彼女と通話している。つい、本当のことが口をついて出た。

「切り取り線が切られたら、もう後は、折り線に従って重ねるしかないだろ? つまり、明日デートしないか?」




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