同題異話SR -July-

夏思いが咲く



 ――や、ば、い。

 何も書けていない。繰り返そう。

 我が高校の文芸部では奇数月に文芸誌を発行しているが、お決まりの企画がある。『同題異話S』というものだ。もともとは漫研の企画に端を発しているので、区別のために文芸部ではSを付けている。SuperスーパーのSであり、Syousetu小説のSであり、ShiのSであるらしい。そんなことは今はどうでもいい。

 私は頭を抱えている。そりゃあもう抱えている。デスクチェアに座り、デスクトップパソコンの置かれたスチールのデスクを前に、ものの見事に抱えている。ちなみにパソコンの愛称はジェリー、正式名はジェラルドだが、それも今は関係ない。

 さて、『同題異話S』というのはいかなるものか。参加者は皆、決められたタイトルで作品を書く、しかし内容はそれぞれの個性に従い、自由にやっていいというものだ。参加者と言うのは、お決まりではあれど、原則として自由参加で行われてきた企画だからだ。実際に私は、高校三年の七月、今の今まで参加してこなかった。

 今回ばかりは参加しようとなったのは、部活の引退を控えてセンチメンタルに駆られたなんてことではなく、今回のお題となるタイトルを考えたのが片思いの相手だからだ。私は女で、向こうも女、望み薄であることは重々わかっている。自分をアピールしたいという欲もないつもりだ。彼女が懸命に考えたタイトルに、より多くの作品が集まってほしい、そう願うのなら、私は自作をそこに足すべきだろうと思ったのだ。

 加えて、その自作がより良いものであってほしいとの思いから、今回は『同題異話S』のみの参加として、一作に集中することにした。

 しかし、その願いが私を緊張させるのか、彼女を意識するがためか、

 私はちらとパソコンの画面を見やる。ワープロソフトの画面には、たったの六文字しか書かれていない。すなわちそれは〈夏思いが咲く〉であり、すなわちそれは私の片思いの相手、二つ下の後輩、真川しんかわ芽維めいが悩みに悩んだ末に決めたタイトルであり、つまり私は、書くべき小説を一文字すら書けていない。

 〆切までは残り三十時間を切っている。

 今度はスマートフォンを確認する。メッセージが届いている。今朝届いてから一時間、まだ既読は付けていない(恐ろしくて付けられない)が、通知によってだいたいの文面は表示されている。芽維からのものだ。普段なら小躍りしたくなるところだが、今ばかりは違う。やはり私は頭を抱えなくてはならない。メッセージにはこうある。

『お邪魔だとは思うんですが、八重子やえこ先輩の執筆するところ、見てみたいです。もしよければ、先輩の』

 その先は通知の範囲に収まらず、途切れている。おおよそ見当はつく。私のパソコンはデスクトップで、まさか外に持ち出せるわけもなく、私の部屋まで来たいということだろう。何という幸運なのか。好きな子が自分の部屋に来てくれるなんて!

 しかし来ればどうなる? ほぼ真っ白な画面を見られて先輩の面目を失うか、あるいは芽維が、自分の決めたタイトルに問題があったと自責するか、どうあれ良いほうに転びそうにはない。



「回しすぎじゃない?」と私が言うと、芽維は「回せる作りになってるんですから、回さないと損ですよ」と、言う。遊園地のコーヒーカップの話だ。私はカップの内側で背を預けて、さらにハンドルを回す芽維を見ている。景色はくるくると横に巡る。芽維の笑顔があまりにも眩しい。幼い顔つきの芽維であるから、コーヒーカップの内にいればなお光る。

 果たして、芽維からのメッセージは、やはり私の部屋に来たいというものだった。それに対して、虚実を取り混ぜて私が返したのは、こうだ。

『まだ構想だけで何も書けていないの。書くために取材したいところがあって。それに付き合ってもらえると助かる。その後、私の部屋に招くから』

 まず第一に、物語の構想を練る時間を稼ごうということ。家に着く頃には、いいアイデアが浮かんでいるかもしれない。

 そして第二に、正直に言って、人生で一度だけでも! 芽維とデートがしたかったということ!

 私の取材の目的――正確には名目。主人公とヒロインがデートをするシーンを書きたいというもの――に従って、芽維はお洒落しゃれをしてきてくれた。カジュアルながら、よそ行きの格好だとすぐにわかる。特にミニスカートのすそのフリルのあたり。うっかり凝視してしまいそうだ。私は私で、シックでありつつも、見映えのいいように服を選んだ。

 ハンドルを回す手を止めず、芽維は訊ねた。

「この後、どこに行きますか? 定番といえば、ジェットコースターとか、観覧車だとか、ですけど」

「観覧車」

 私は間を置かずに答えていた。即決したのだとは言いがたい。ジェットコースターは怖い。なぜ皆、あんなものに好んで乗るのか。かつて一度だけ乗って懲りた。


「わぁ、本当にデートっぽいですね、これ。」

 芽維は観覧車のゴンドラのうちではしゃいで、楽しげに口にした。

「デートなんてしたことないから、私にとっても勉強になります」

 私の向かいで、半分ほど椅子から離れ、遠ざかっていく地上を見やる芽維は本当にかわいい。そしてありがとう。貴重な情報をありがとう。望み薄だとしても、ともかく、今現在、芽維に恋人はいない。芽維はすっかり景色に夢中で、フリル付きのミニスカートの中身が見えそうなんだけれど、これは凝視してもばれないだろうか。

 さておき、だ。

 ――や、ば、い。

 芽維とのデート――と、私は見なしている――が嬉しすぎて、作品の構想を練る余裕なんてどこにもない。一秒、作品のことを考えたら、一秒、芽維とのデート気分が減るのだ。そんなもったいないことはできないでいる。

 いや、やばいと表して済む問題でもないのだろう。

 同時に、やはり不誠実なのだ。私は芽維に嘘をいて、勝手にデート気分を味わっている。芽維と過ごしているこの時間は、結果として私の創作のためになるならまだしも、このままでは何も生みはしない。

 自分で言ったことだ。きちんと創作のことを考えない限り、この時間は続けられない。

「あっ、あれ、遠くに見えるの、籐南ふじみなみ高校じゃないですか? そういえばソフト部が試合するって言ってたような。さすがにここからじゃ見えないですね」

 だとして、作品の構想に集中してみたとして、それで書ける気もしない。

 

 緊張からか。芽維を意識するためか。

 違う。

 今ここで、芽維を見ている今ならわかる。

 何を書いてもになるからだ。

 単純に芽維がかわいいからと惚れたのではない。人柄にこそ惚れたのだ。だったら、だったら! それを信じて話す以外に、やりようがないじゃないか。

「芽維、聞いて」

 芽維はすぐに向き直り、椅子に座り直し、私と向き合った。私はただ事実を、思うところ、感ずるところを、そのまま話すのみだった。

「作品の構想なんて、ちっともないんだ。どこにも。芽維の考えたタイトル、〈夏思いが咲く〉で、私、どうやっても書けそうにない。今こうして粘ろうとしたけど、デート気分でいるばっかりで、書けない。書きたいけど、すごく、書きたいけれど」

 芽維は何も差し挟まずに、私をじっと見つめていた。

「私のは、パソコンの中にはないから。今、目の前にだけ、から」

 私を見つめる芽維の瞳には力が宿るようで、それでいて優しさも滲むようで、私は最後まで言い切ることができた。

「私、芽維が好き。私の夏思いって、芽維のことだけ。だから、小説にはできない」

 言い切ることはできたものの、すぐに恐怖心が湧いて、私は思わず目を瞑った。芽維に対して誠実であろうとした結果、すっかり告白をしてしまっている。

「嫌です。それ、絶対に嫌です」

 芽維の口ぶりは強い。体に力が入る。ふられても仕方ないとは思っていたけど、ここまで手厳しく返されるとは思っていなかった。いっそ、そのほうが諦めもつくか、そんなふうに思い直すと、体から力が抜けて、私は自然に目を開けていた。

 芽維の顔が目の前にあった。

 のみか、芽維はさらに顔を近づける。違う、顔じゃない、そう思った時には、もう私たちの唇は触れていた。芽維にキスをされている。何かの間違いじゃない、しっかりと、疑いようもなく。

 数秒は超えていたか、接していた唇が離れると、芽維は私のすぐ隣に座り直した。少し頬を赤らめて、芽維は言う。

「これで、書けますか? 先輩の夏思い」

 私は状況が理解できず、問いに問いで返すことになった。芽維を直視していられず、顔を正面に据えた。

「なんで、どうして。私、ふられたんじゃ」

「先輩が嫌だなんて、言ってないですよ」

 念押しのように、芽維は私の頬に軽くキスをした。ふられていて、こうはならない。私の心臓は激しくたかぶる。何がどうともわからず、何も言えなかった。

 芽維は、わざとなのか、私の耳のすぐそばでささやく。

「男とか女とか、そういうことじゃなくて、先輩のことは人として大好きなので、好きだって言われたら、私も好きですって返します。付き合ってほしいと言われたら、YESって返事をします」

 何も言わないでいるままの私、そんな私の耳たぶを、芽維は指でつねった。優しい声音から一転、すねるような口調になる。

「先輩が参加するって聞いて、私、先輩のことばかり考えて、めいっぱい悩んで、〈夏思いが咲く〉ってタイトルに決めたんですよ。どんなふうに書いてもらえるのか楽しみで、書くところを見たいって言ったんですよ」

 私は頷きを繰り返すだけで、やはり何も言葉にはならず。芽維は、つねる指にひとつ力を加えてから話を続けた。

「それなのに、肝心の先輩が夏思いを書いてくれないなんて、絶対に嫌ですから」

 言い終わるか終わらないかのうちに、芽維は両手で私の顔を掴み、ぐいっと向きを変えさせた。また芽維の顔が正面にくる、近づく、また今一度、唇が触れる。夢じゃない。私の唇には確かな感触がある。

 唇を離して、教え諭すふうに、芽維は言うのだ。

「先輩の夏思いが私だっていうのなら、私のことを書いてください。いいですね?」

 いろいろな思いが私の胸中でうねるものの、そのほとんどは言葉にならなかった。

「はい」

 たったそれだけの他に、私に何が言えただろう。

「それで、もう書くのに十分ですか? まだ足りませんか?」

 芽維の手は離れたが、私はもう、芽維から視線をそらせなかった。私に問うてから、芽維は、はにかみ混じりの微笑みを向けてくれた。

 それを見てしまえば、芽維に惚れ直すこと以外、私に感じられることはなくって、だから思わず言っていた。

「足りないから、私の部屋に来て」

 つい欲張ってしまうことの他、私にできることなんてあっただろうか。まさか。




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