第2話 その四 4

 *



 翌日。

 猛は昼飯を食うと、出かける準備を始めた。


「どこ行くの? もしかして、依頼人から依頼料、受けとるんじゃないよね?」


 もしそうなら、ついてかないと。

 猛に任せると、金が肉に変わるかもしれない。

 それも、猛の腹のなかに消える可能性がある。


 猛はじいちゃんのお古のブルゾンにそでを通しながら、

「依頼人には日曜に会うよ。今日は仕事だろ」

「あっ、そうか」


 じゃあ、誰と会う気だ?

 依頼人にはってことは、誰かと会うつもりではあるわけだ。僕にだって、このくらいの推理はできる。


 すると、猛はニカッと白い歯を見せた。

「JCとデートしてくるな」


 な、なんですとぉー! それは、ゆるさん!


「兄ちゃん! 警察に捕まるからね! 犯罪反対!」

「なら、かーくんも来いよ」


 僕はだまされたんだと思う。

 僕のほうが女子中学生と話しやすいとふんだのだろう。

 まんまとつれだされてしまった。


 蘭さんは昨日から部屋にこもって、パソコンに向かってるから、執筆活動にいそしんでいるらしい。


 なので、僕は猛と二人で、またまた北区にやってきた。妙にこぎれいな喫茶店に入ると、まわりの客は女の子だらけだ。そのなかに、その子はいた。どっかで見たような?


「こんにちは。羽鳥さん」と、猛は言った。


 そうか。昨日はよく見てるヒマもなかったけど、これが、メグちゃんか。猛のやつ、ちゃっかりアポをとっていたんだな。


「なんでもたのんでいいよ。まあ、君のお父さんに経費で落とさせてもらうけど」


 猛が言うと、メグちゃんはちょっと笑った。どこから見ても、ふつうの女の子だ。少し人見知りもするタチのようだ。


 猛は手をあげて、ウェイトレスを呼びとめる。


「コーヒー。グァテマラは? ないの? ブルマンだけ? じゃあ、それでいいよ」


 どこ行ってもコーヒーしか飲まない男。

 この店はどう見ても、若い女の子がターゲットのスイーツ専門店だ。コーヒーなんて何種類も置いてあるわけない。


「じゃあ、僕はチョコパ! メグちゃんは? ここのスイーツ、可愛いねぇ」


 メグちゃんは微笑して、「わたしも、チョコパフェで」と、かぼそく言った。


 パフェを食べるうちに、心がほぐれてきたようだ。

 そこをねらって、猛は口をひらいた。


「昨日は工藤さん、なんで急にとびおりようとしたの?」


 メグちゃんの手が止まる。その手がふるえだす。


「アスカが呼んでるって、工藤さんは言ってたね。それって、本多明日歌さんのことだろ?」


 メグちゃんは答えなかった。いや、答えられなかったのだ。

 チョコパフェに入ってるバナナが、じつはヤングコーンだと気づいたかのように、ガン見していたメグちゃんの両眼から、いきなり大粒の涙がこぼれだしたからだ。


「……詩愛が言いだしたの。あの子、汚いねって」


 ん? 汚い?

 気になるフレーズだ。


「わたしたち、ほんとは最初、みんな仲よしだった。うちが近所で、保育所からいっしょで。小学ではみんなでバスケ部に入って……でも、アスカのお父さんが再婚して、そのあと、アスカはあんまり学校に来なくなった」


 猛がたずねる。

「本多さんは、なんで学校に来なくなったの?」

「新しいお母さんがイジワルな人だって聞いた。アスカをイジメてたんだって」

「それは虐待ってこと?」


 メグちゃんはうなずく。


「じっさいには、どんなことをしてたの?」

「食べ物を食べさせなかったり、お風呂に入れてもらえなかったり、服も買ってもらえなくて、ずっと同じの着てた」


 うーん。陰湿な虐待だ。そういうのはゆるせない。


「それでだんだん、わたしたちと遊ばなくなったんだけど……」

「だけど、何かが起こったわけだ」


 メグちゃんはまた、うなずく。


「何があったの?」という猛の問いに、メグちゃんはささやき声で答える。

「詩愛には好きな人がいて。小学のときから、ずっと好きで、わたしたちにも、そのことを話してて。みんなに応援してね、とらないでねって……」


 ははーん。わかってきたぞ。

 小中学生の女の子にありがちなやつですね。

 さきに好きになったのは、わたしなんだからね!——ってやつだ。


「シアちゃんの好きな人のことを、アスカちゃんも好きになって、とりあいになったとか?」


 僕が口をはさむと、メグちゃんは首をふった。


「黒崎先輩のほうが、アスカのこと好きだったみたい。二人ともナイショでつきあってたんじゃないかな? なんか、施設でいっしょだったみたいだし」


「施設?」と、猛。


擁護ようご施設。アスカの新しいお母さんは育児しないから、近所の人に通報されて、たまに施設に保護されてた」

「ネグレクトだね。なるほど。それで、児童養護施設に保護されてたのか。黒崎先輩っていうのは、なんで?」

「黒崎先輩は赤ちゃんのときに親にすてられたんやって、みんな話してる」


「その黒崎先輩って、フルネームは? 今、どこで何してるの?」

「先輩は二つ上だから、高校生だよ。名前は、黒崎カケル。翔って書いて、カケル」

「黒崎翔か」


 先輩は関係ないんじゃないのか?

 それより、僕はずっと気になってることがあるんだけど。


「ねえ、猛。それよりさ、ユノちゃんが昨日、とびおりようとしたわけが知りたいんだけど」


 猛はコーヒーカップを置いて、メグちゃんに向きなおる。


「みんなのグループの中心的な存在だったのは、芦部詩愛さんだったみたいだね。芦部さんが、本多さんと黒崎くんの仲をやっかんで、本多さんのことをイジメだしたってこと?」


 メグちゃんは泣きながら、うなずいた。


「わたしはイヤやったんよ? アスカがお母さんにイジメられて、かわいそうだってわかってたから。だけど、詩愛に逆らうと、わたしも……だから、しかたなく……」


 ぽつぽつとメグちゃんが語ることによると、「あの子、汚い。くさい」と言って、グループでアスカちゃんをイジメたのだという。


「本多さんは亡くなったそうだね。君たちが死なせたの?」


 問いかける猛の声は淡々としていた。

 メグちゃんの泣き声が激しくなる。


「死ぬなんて思わんかったんやもん。学校帰りに、みんなでユノのうちに遊びに行って。そしたら、公園にアスカがおったんよ。雨が降ってて、すごく寒い日やった。それで、いつもみたいに、シアがアスカをつきとばしたりして。アスカは泥まみれになって……でも、わたしらはそのまま、うちに帰った」


「君たちが帰ったときには、本多さんは体のぐあい、どうだった? すごく、ふるえてたり、顔色が悪くなってたりしなかった?」

「わかんない! わかんないよ。そんなん。でも、死ぬなんて思ってへんかった」


 雨のなかで泥まみれ。そうとう体は冷えてただろう。

 でも、それで人間って死ぬもんだろうか?

 言っても一時間かそこらのことだろう。

 すぐに家に帰って、お風呂にでも入れば……。


 そこで、僕はハッとした。

 アスカちゃんは義理のお母さんにイジメられてたんだ。お風呂にも入らせてもらえてなかった。


 ふるえる声で、メグちゃんが言った。


「アスカのお母さんが、家に入れてくれへんかったんやって。『そんな汚いかっこで家に入らんといて』って、一晩中、外にほうりだしといたんやって。それで、冷たくなって……」


 わあわあと、メグちゃんは泣く。


「ごめんね。アスカ。ごめん。知っとったら、こっそり、うちに泊まらせたのに!」


 ずぶぬれのまま、一晩中、外に……ヒドイ。ひどすぎる。


 僕は両手をぐっと、にぎりしめた。あやうく涙がこぼれそうになる。

 いくら血がつながってないからって、なんでそんなことができるんだろう?


 メグちゃんはうつむいたまま、おえつする。

 しばらく、喫茶店のなかは物悲しげなクラシックの音楽と、泣き声がからみあう。


 やがて、静かな声で、猛が言った。


「君は後悔している。なら、これからの人生で、他人の役に立てばいいよ。過去は変えられないから、未来で償えばいい」


 そう言って、コーヒーを怖々すする(やっぱり猫舌!)猛はやけにカッコイイ。


 メグちゃんの涙はまだおさまらなかったが、しだいに、やわらいでいく。


 猛の言葉が心にしみたのか? そうならいいな。


 コーヒーを飲みおえて、猛はあらためて口をひらいた。


「それで、工藤さんは良心の痛みから、ひきこもるようになったの? 昨日の自殺未遂はなぜ?」


 メグちゃんの表情がくもる。

 それは、あきらかに恐怖の色だ。

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