第1話 その八 2

 *



 朝だ……。

 チュンチュンと小鳥の声がする。

 僕は布団のなかで目をさました。

 陣内家の離れだ。


 となりには……猛もいる!

 すでに起きて着替えていた。

 よかった! 今度こそ、ほんとに夢からさめた。

 長かった……むちゃくちゃ長い夢だった……。


「おお。かーくん。おはよう。目がさめたか。このまま、おまえも眠り病になるかと思ったぞ。あんまり、よく寝てるからさ」

「…………」


 わが兄の、なんと、のんきなことよ。

 こっちは一晩中、悪夢にうなされてたってのに!


 そうだ! でも、お孝さんは成仏したんだ。ついさっき、光になって消えた。

 てことは、陣内家にかかってた呪いは解けたんじゃないのか?


 と、そのとき、少し離れた場所から声が聞こえた。男の声だ。


「友貴人さんだ!」


 僕は廊下へとびだした。

 猛も追ってくる。

 勢いよく障子をあけてとびこむと、友貴人さんが起きあがってる。


「友貴人さん! 目がさめたんですね?」


 友貴人さんは、そこにセンター試験の答えが書いてあると思いつめた受験生みたいに、自分の手を見つめている。


「解けた……呪いが、解けた!」


 そこへ、となりの部屋のふすまが、向こうがわからひらいた。ハルカさんの顔がのぞく。

 ハルカさんは目のふちに涙をためて、嬉しげに微笑んだ。


「よかった。友貴人さん」

「ハルカ!」


 二人はたがいの名前を呼びあって抱きあう。

 いったい、いつのまにそんな仲になったんだ?

 どうして? なんで? 教えて、ハルカさん?


 ため息をつく僕の肩を、ぽんと猛がたたく。

「ま、いつものことだよ。かーくん」


 はよけいですよぉだ。


 そんなことより、蘭さんだ(立ち直り速い)。

 僕は抱きあう二人を残して、ふたたび客室に帰ると、スマホを手にとる。三村くんに確認の電話をかけるためだ。


 これで蘭さんの目がさめてれば、事件は解決だ。

 が——


「あ、三村くん? 蘭さん、目さめたと思うんだけど、どう?」

「はあ? さめへんで。ずっと寝とるわ。そろそろ、オムツはかせたほうがええんかなぁ? どないしょう? 買っといたほうがええかな?」

「……任せる!」


 ダメだ。美しい蘭さんにオムツなんか、はかせられない。その前になんとかしないと。


「猛! 蘭さんだけ目がさめないって。どうしてだと思う?」

「そもそも、なんで、友貴人は目がさめたんだ? 昨日の夜、何があった?」


 僕はそれから三十分かけて、昨夜の夢を語った。

 ことこまかに、すべてだ。


「寝つけないと思ってたんだけど、いつのまにか寝てたみたいだね。なんか三日ぶんくらい夢見てた気がするよ」


 たぶん、ピリピリ音がし始めたあたりで、すでに眠りの世界に誘いこまれてたんだな。

 そう。あれは僕が自発的に寝たというより、お孝さんの術にハマって、夢のなかに呼びこまれたんだ。


「蘭さんとも会ったんだよ。夢のなかで。あのとき、蘭さんと、はぐれなければ……」


「蘭だけ、祠のなかに残ったんだな?」

「祠じゃないよ。大きなお屋敷だった」

「その屋敷に入るとき、出るとき、世界が隔絶したような感覚をおぼえたんだろ? そこだけ、夢のなかでも神域だったからだろうな。つまり、お屋敷に見えたのは、祠のなかだ」


 そうか。祠に首つっこんだだけで通過できたのか。

 夢の世界だからってことだろうけど。


「姫をもどしてくれれば、蘭を返す——と、そいつが言ったんだな?」


「そう。蘭さんが、っていうか、蘭さんに取り憑いてた何かが。そうか。あれって、蘭さんを返すって意味だったのか。でも、姫さまって誰のことなんだろう? うーん。桜の根元をほったら、何かが出てきて……おたまさんがお告げを聞いたらしいんだよね」


 猛はにぎりこぶしを口元にあてて、超真剣に考えこんでる。カッコイイ!


「祠のなかがカラだったよな。誰かがご神体を持ちさったんだ。だから、陣内家は祟られたんだ」

「えっ? お孝さんのせいじゃなかったの?」


「それは表面的な部分だな。夢の世界に捕まってる連中は、蘭にしろ、友貴人にしろ、その世界の“何か”にあやつられてる。ということは、お孝さんもあやつられてたんだろう。ただ、お孝さんの場合は、個人的な怨みが深すぎて暴走してしまってた」


 なるほど! あやつられてたね。お蘭と申します、なんて言ってたもんな。蘭さん。


「じゃあ、ご神体を持ちさったのが、陣内家の人で、それで祟られたってこと?」

「いや、陣内家の男が原因を作ったんだ。だって、考えてもみろよ。じっさいに生霊姫を祀ってたのは、桜塚家の巫女だ」


「あっ、姫さまって、生霊姫のことか」

「そうだよ。ご神体のことだ。そのご神体を祀って、毎日、拝んで、大切にしてたのは桜塚家の人間だろ? 故郷を追いだされて逃げるってときに、大切なご神体を置いてくか? それも、あの祠に入るほど小さな神さまなんだぞ」


「それは……持ってくよね」

「だろ?」


 ていうことは、今、神さまを所有してるのは、桜塚家の末裔まつえいの……。


 猛は立ちあがった。

 ふすまをあけはなち(だから、廊下を使おうよ)、友貴人さんの部屋に、ふたたび、かけつける。


 友貴人さんとハルカさんは、まだ抱きあってた。

 猛は遠慮会釈なく、ハルカさんにつめよる。


「お守りを出してくれ」

「えっ?」

「いいから出してくれ。呪いはまだ解けてないんだ!」

「えっ?」


 ごめんね。ハルカさん。エキセントリックな兄で。

 でも、ハルカさんは疑問に思いながらも、言われるがままに、パジャマの下からお守りをひっぱりだした。


 猛はお守りをうばいとり、そのまま廊下を走っていく。


「ちょ……ちょっと待ってよ! 猛。僕、まだパジャマなんだよ?」


 猛は聞いてない。一心不乱に走っていく。

 このお守り泥棒め!


 しょうがなく、僕はパジャマの上からコートをはおって追っていった。

 友貴人さんやハルカさんも追ってくる。


 猛はコート着てないけど、いいのか? 風邪ひくぞ。


 なんてこと考えながら追うものの、速い、速い。

 なんで、その足で盗塁王になって億をかせいでくれなかったんだよ。猛。


 僕はふうふう言いながら、猛のあとを追う。

 猛は神社に向かっていた。

 それはもう道すじからわかる。


 目の前に石段が見えてきた。

 あれをかけあがらないといけないのか……。


 思わず、立ちどまるが、すでに猛は樹木のトンネルのなかに入って姿が見えない。

 ここで見逃すと一生、後悔する気がした。どうにか根性でついていく。


「たける……ちょっと、待ってよ。猛……」


 上のほうから声がふってくる。

「急げ! 蘭にオムツ、はかせてもいいのか? どんな報復が来るかわからないぞ!」


 ああ、それは、わかんないね。

 蘭さんはプライド高いから。

 屈辱に打ちふるえて、何をしだすか、想像しただけで恐ろしい。


 ようやく、僕らはやってきた。

 ここが始まりの場所であり、終わりの場所。

 山の上の小さな祠。


 昔、ここに一本の桜の木があった。

 村人に愛された桜の古木。

 でも、枯れて、今はない……。



 おたまの夢に白蛇が出てきて、告げました。

「桜の根元をほりなさい」と。


 その根元をおたまがほると、そこから現れたのは——



 僕の脳裏に、夢のなかで聞いた幼い声が、ふっとよみがえる。

 桜の根元からあふれだした、あの金色の光が眼前にひろがるような気がした。


 息をきる僕やハルカさんたちの前で、猛はお守り袋の紐をほどいた。袋のなかから出てきたのは、金色の——


「えっ? 蚊取り線香……?」

 たぶん、僕の目は点になっている。


「うずまき……ですよね?」と、ハルカさんは少し遠慮がち。


 猛は笑った。

「蛇だよ。とぐろ巻いた蛇」


 なるほど。それは、黄金細工の可愛らしい蛇だった。


 猛は説明する。


「たぶん、逃げだすときに、お孝さんがこれを持っていった。この蛇はここの桜が大好きだった。ずっと、この地を守る神でありたかった。これがどういう由来のものかまでは、わからないが」


 言いながら、猛はうずまき状のアルカイックな金色の蛇を、祠のなかに安置する。


 きっと、すごく古いものなんだろうな。

 百年や二百年じゃない。

 もっと古い時代から、この地にあり続けてきたものなんだろう。


「それじゃ、白蛇は?」

「白い蛇は神さまのお使いだって言うじゃないか」


 うーん。じゃあ、きっと、お小姓姿の蘭さんに取り憑いてたのは、白蛇だな。妙にクネクネして、やたら色っぽかったもんな。


 僕はスマホを出して、電話をかけた。

 今度こそ、蘭さんは目をさましていた。

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