その八

第1話 その八 1



「蘭さん——!」


 一瞬、地面に打ちつけられるような衝撃があった。

 ハッと意識が覚醒する。


 夢? 夢だったのか?

 僕はいつのまに眠ってたんだ?


 あたりを見まわすが、蘭さんの姿はない。


(やっぱり……夢だったのか)


 なんだか、すごく示唆的な夢だった。


 しかし、そう思うのも、つかのま。

 なんか変な匂いがする。

 いや、ていうか、ここ、どこだ?

 和室で布団のなかにいたから、てっきり陣内家の離れかと思ったのに、どうも違う。もっと、質素な家のなかだ。調度品や造りが、陣内家にくらべたら見おとりする。

 となりに猛もいないしさ。


 僕は起きあがって、暗闇のなかを見まわした。

 やっぱり、きなくさい。

 なんか、こげくさいぞ。


 窓の板戸をあけてみる。

 夜明け前の暗闇のなか、赤々と火が燃えている。

 まだ小さいが、刻一刻と、その火は強くなっていく。


 すぐ近くだ。

 いや、この建物の一部が燃えてる。


「火事だ!」

 僕は叫んだ。


「火事だ! 火事だぁー!」


 思いっきり大声を出すと、家のなかから数人の起きだしてくる物音がした。わあわあとさわぎだす。


 僕もあたふたしながら廊下へ出た。そこで誰かと、はちあわせする。


 ハルカさんだ。着物の寝巻きを着たハルカさん。

 僕はハルカさんの手をひっぱった。


「早く、逃げよう!」

「でも、おばあちゃんが奥に。足が悪いんです」

「わかった。急ごう」


 僕らは並んで走った。

 奥の座敷で念仏をとなえてる老婆を見つけ、二人で運びだす。雨戸をあけて、そこから外へとびだした。他の家族も、次々、逃げだしてくる。


「お孝! お孝か。ばあちゃんも無事やな」

「お父ちゃん。お母ちゃん。お徳は?」

「まだ、なかや」

「助けに行かんと」


 そんな会話がかわされる。

 お徳さんが、家のなかで逃げおくれてるのか!


「お徳さんの部屋はどのへんですか?」


 僕がたずねても、おじさんたちはガン無視だ。

 お孝さんが言った。


「あなたの姿は、わたしにしか見えへんのですよ。お徳は少し力があるから、見えるかもしれまへん」


 えっ? どういうことだ?

 しかし、考えてるヒマはない。


「お徳の部屋はこっちです」


 お孝さんと二人で走りだす。

 玄関前まで来たとき、道ばたから、こっちを見てる男と出会った。男はあわてて逃げだしていく。


 あれ? 今の、友貴人さんじゃなかったか?


 僕のとなりで、お孝さんが立ちすくんだ。


「やっぱり、あの人が……」


 暗がりのなかでもわかった。

 つうっと、お孝さんの頬を、涙がすべりおちる。


「あの人が、わたしをジャマになって……」


 そうか。火をつけたのは、友貴人……いや、朔蔵さんなのか。浮気がお孝さんにバレたから?


 子どもの泣き声が聞こえた。

 近くの部屋だ。

 早く助けないと、もうすぐ火がまわってくる。


 僕は雨戸をやぶり、泣き声のする部屋に入りこんだ。家のなかは、もう煙がたちこめていた。


 女の子が一人、布団の上で泣いている。お孝さんの家族構成がわからないんだが、まだ七つか八つの子どもだ。


「こっちだよ。おいで。急ぐんだ!」


 僕を見ると、女の子はビックリしたような顔で泣きやむ。

 やけに、じろじろ見てくるなぁ。


「ほら、しっかり。僕につかまって!」


 女の子が煙にまかれないように、姿勢を低くかがませて、どうにかこうにか外へ出る。


 まもなく、梁にまで火が燃えうつった。

 古い様式の民家は炎のなかにくずれおちた。


 危なかった。もう少し遅ければ、お徳ちゃんは助からなかったところだ。


(よかった。まにあって……)


 安心したとたんに、体が軽くなった。ふわふわ、ただよって、夜空をかけぬける。


 そこで、ハッと目がさめた。

 今度こそ、陣内さんちの布団のなかだ。見おぼえがある。


 ほら、猛もいるし——って、となりを見た僕は、ギョッとした。

 猛じゃない! 女の人が僕のとなりにすわっている。お孝さんだ。正座して、僕の顔をじっと見おろしている。


「あの人が浮気しとると知って、わたしは実家へ帰ったんです。その夜でした。実家が火事で全焼しました。あの人が、わたしを焼き殺そうとしたんです。ここにおったら殺される——そう思って、遠くへ逃げだしました。わたしには、そうするしか他に方法がなかった。

 そしたら、あの人、どないしたと思います? 実家に火をつけたんは、わたしやと言いふらしたんですよ。わたしの気が変になって、一家心中しようとしたんやって。ひどいと思いまへんか? 怨んでも、あたりまえですやろ?」


 あいかわらず見ためは怖いが、今なら話ができそうなふんいきだ。僕も布団の上に正座した。


「たしかに、ひどいですね。怨むのも当然だと思います。でも、朔蔵さんはとっくに死んだし、おタケさんも、二人のあいだの子どもも死にましたよ。もういいんじゃないですか?」


 お孝さんは、じっと、うなだれている。


「……でも、そのせいで、姫さまは愛する故郷から引き離されてしもうたんです。この家の男が全員、死ぬまで、ゆるしまへん」


 ううっ……怨みは深い。

 まあ、それもしかたないか。

 死人こそ出なかったが、家を焼かれた一家は、そのあと、日々の暮らしも大変だったろう。

 お年寄りもいたし、いったい、どうしたんだろうなぁ?


 そもそも、夢のお告げの力を利用して繁栄しておいて、その恩人を焼き殺そうとするなんて、とんでもないだ。


「でも、このまま迷ってるのは、あなたにとっても悪いことのような気がします。本来のあなたは、こうじゃなかったはずだ。人間だったころを思いだしてくださいよ。いいこともあったはずですよ? あなたの娘さんが大きくなって、結婚して、可愛い孫だってできたんでしょ?」


 お孝さんの体が、ちょっと伸びた。

 なんで……伸びるんだ?


「わたしを追いだしておいて、自分はおタケと再婚して、子どもにも贅沢させて……わたしは娘に晴れ着一枚、買うてやれへんかったのに」


 ああっ、悲しいことを思いださせてしまった!


 にゅにゅっとお孝さんの胴体が伸びる。

 もうダメかッ? やっぱり説得なんて不可能だったのか?


 すると、そのときだ。

 カラッと、ふすまがあいた。

 となりの部屋から、ハルカさんが入ってくる。

 今まで走ってたみたいに息をきらして、しかも友貴人さんと手をつないでる。


「ひいおばあちゃん! わたし、ひ孫のハルカです。わたし、おばあちゃんから、いつも聞いてました。おばあちゃんは、苦労して自分を育ててくれた、ひいおばあちゃんに、とても感謝していたと。ひいおばあちゃんの娘でよかったと、ずっと、ずっと言っていました。

 ひいおばあちゃんがこんなことになってると知ったら、おばあちゃんは悲しむと思います。だから、もう復讐なんて、やめて!」


 友貴人さんもしゃがみこんで土下座する。

 この人、土下座が得意技か……?


「このとおりです。曽祖父のしたことは許されないことです。謝ります。このさき一生、ハルカさんの面倒を見て、苦労させませんから!」


 えっ? それって、プロポー……。


 僕が、まごまごしてると、今度はハルカさんが、


「ひいおばあちゃん。わたし、いつも夢のなかで、この屋敷を見ると、とてもなつかしい気持ちになった。それって、ひいおばあちゃんが、ここに帰りたかったからじゃないの? そうなんでしょ? わたし、友貴人さんと結婚します!」


 やっぱり!


「桜塚家の血をひくわたしが、陣内家の友貴人さんと結婚します。もう一度、二つの家を一つに結びます。だから、友貴人さんをゆるしてあげて!」


 お孝さんの姿から、陰が消えていった。表情が穏やかになり、全身がパァッと白く光った。



 ——幸せにおなり。



 と、聞こえたのは、気のせいだったろうか?


 お孝さんは光のなかに消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る