第1話 その七 2
息が切れて、立ちどまった。かたわらの塀に手をかけ、しばらく呼吸をととのえる。
よかった。逃げきれた。
蛇女は追ってこないみたいだ。
これから、どうしようと考えていると、どこからか音か聞こえた。ザクッ、ザクッと土をほる音。
(あれ? ここ、おっちゃんの家じゃないか)
どおりで見おぼえがあるはずだ。僕が手をかけてるのは、越田さんの家の塀だ。
音がするのは、向かいの空き地のようだ。
そういえば、この空き地、以前は桜塚さんの自宅だったらしい。つまり、お孝さんの実家だ。火事で一家離散したのだと聞いた。
いやな予感がする。
ていうか、いやな予感しかしないんだけど、しょうがない。もうこうなったら、行くしかない!
僕は意を決して、音のするほうへ行ってみた。
月がかげったのか、空き地のなかは、いやに暗い。
焼け残った家の土台。
その裏手から音はする。
恐る恐る歩いていくと、人影が見えた。
また、蛇女か?
用心して、離れたところから、じっと見つめる。
違う。男だ。着物を着てる。一心不乱に庭木の根元をクワでほってる。
そのとき、雲が切れた。
青白い月光が、その人のよこ顔を照らしだす。
あれ? 友貴人さんじゃないか。
僕は安心して、ちょっとだけ近づいた。
むっ? この動作、我ながら警戒した小動物的だなぁ……。
いや、そんなことはいい。
ながめていると、男が何やらブツブツ、つぶやいているのが聞こえてきた。
「ない。アレがない。なんでない。くそッ。どこに隠した? お孝。お孝め。くそッ。くそッ。アレが……」
こ、怖い。病んでる。
友貴人さんは、その木がダメだと知ると、次はとなりの木の根元をほりだした。何かに取り憑かれたように、ほり続ける。
あれって、桜の木じゃないか?
桜の木の下には死体が埋まってる。だから、桜はあんなにキレイなんだ。なんて、言った文豪がいたよね。
正史の次は安吾か?
僕はこっそりと、その場から離れようとした。
すると、くるっと友貴人さんがこっちを見た。
び、ビックリした。
あんまり勢いいいんで、エクソシストみたいに、首だけ180度まわったのかと思った。
友貴人さんは僕の顔を一点凝視する。
目がいっちゃってるなぁ……。
「桜塚の話を知ってるか?」
「いえ……知りません」
「昔、山の上に、それは見事な桜の木があったんだよ。江戸時代のことだから、山桜だろうな。春になれば、村人が集まって花見をしたもんだ」
あれ? 知らないと言ったものの、なんか知ってるぞ。
誰から聞いたんだっけなぁ。
「村人みんなが大事にしてたんだが、あるとき、大嵐で倒れて、枯れてしまったんだ」
「枯れたんですか……」
それは知らなかった。
「村人はなげいた。なんとか桜をよみがえらせようとしたんだが、どうにもならなかった」
桜は難しいらしいもんね。
「村に、おたまって女の子がいてな」
ここで、おたまさん? ハルカさんとこのご先祖だよね。すごく霊力が強かったっていう。
「その子が夢のお告げをしたんだ」
「どんなお告げなんですか?」
友貴人さんは黙りこんで、僕の顔を見る。その目がだんだん、陰険になってくる。
やだなぁ、もう。
僕はそろそろと、あとずさった。
この感じはよくないことが起こる前ぶれだ。
思ったとおりだ。
口のなかでブツブツ言いだした友貴人さんは、とつぜん、クワをふりあげた。
「おれは悪くないんだ! おタケにそそのかされただけなんだー!」
「だから、なんで僕にィー!」
叫びながら逃げだす。
焼けあとをグルグルまわって、適度なところで、おっちゃんの家の塀のかげに隠れた。
友貴人さんは(友貴人さんじゃないのかな?)、あっちこっち見まわして、急に無気力になった。カランとクワをなげだす。そして、ふらふらと神社のほうへ歩いていった。
もう、どうなってるんだ。
ほっとこうかな。
だけど、友貴人さんは助けないといけない人の一人だ。
しょうがない。クワを手放したから、今度は襲われても危険じゃない……はず。
僕は離れたところから、友貴人さんを追っていく。
友貴人さんは何かにあやつられるように、ふらふらと石段をのぼっていく。
きっとまた呼ばれてるんだな。
そう思って、ふと気づいた。
もしかして、このまま、友貴人さんについていったら、蘭さんに会えるんじゃないか?
友貴人さんは“向こう”に捕まってる人だ。つまり、同じく捕まってる蘭さんと、同じ場所に拘束されているはず。
友貴人さんが石段をのぼりきる。
あわてて、僕は石段をかけあがった。
友貴人さんは祠の前に立っている。それから格子戸をあけて、ふつうに体をかがめて、そのなかに入っていった。
いやいやいや……ムリでしょ? なんで入れるの?
僕は無人になった境内で、
このなかに入れと?
僕に軟体ショーの達人になれと?
そうだ。なるんだ。薫!
ここまで来たら、やるしかない!
ひらいたままの格子戸のなかへ、僕は首をつっこんだ——
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