第1話 その七 3

 *



 もやぁっとした感触。

 何かの膜をやぶったような。

 一瞬、あたりが暗くなって意識が飛んだ。


 気がつくと、僕はバカみたいに祠に首をつっこんで立ちつくしていた。


 やっぱり……なれなかったか。軟体ショーの達人。


 しょうがなく、頭をだすと、僕を驚愕させるものが待ちかまえていた。

 思わず、僕は「わッ」と声をあげて、とびすさった。

 だって、目の前に、見たこともないような立派なお屋敷があるんだから。ただし、純和風。


 おかしいなぁ。

 さっきまで、ここにはリカちゃんのドールハウスくらい可愛い祠がひとつ建ってるだけだったんだけどなぁ。


 いぶかしんでいると、お屋敷の雨戸がカラリとあいた。

 雨戸にかかる白く長い指。

 その指から続く光沢のある白いぬめの振袖。

 絖からのぞく首すじも、白絹と同じ光沢を持つ、まばゆいような白い肌だ。


 そして、黒髪にふちどられた、完璧なその美貌。

 見つめていると吸いこまれそうな、アーモンド型の双眸は、魔術的な魅力を妖しくたたえている。


 うーん。ウロコ模様の振袖に、緋色のはかまをつけて、どこから見ても、娘道成寺の清姫だ。

 その顔が、蘭さんでなければ。


「いらっしゃいませ。お客人。姫がお待ちかねですよ」と、妖蛇の化けたお小姓みたいな蘭さんは言う。


「蘭さんだよね?」

「はい。わたくし、お蘭と申します。さ、こちらへおいでくださいまし」

「いやいやいや……」


 つっこみどころがありすぎて、どこから、つっこんでいいのかわからない。


 とりあえず、僕は靴下をぬいで縁側にあがった。

 クツ、はかずに走りまわってたから、靴下が汚れて……よごれ——汚れてないし!


 むにゃむにゃ言いながら、僕は靴下をはきなおす。


 色小姓の蘭さんは、いたずらっぽくクスクス笑った。

 似合うなぁ。


 将軍に仕える家来にだって、こんなにビューティフルなお小姓さんはいなかったであろう。

 属性が神さまっぽいんだよな。

 だから、さらわれたのか。


「ささ、どうぞ」


 いつのまにか、蘭さんは提灯ちょうちんを手にしている。提灯というか、大奥のお女中が持ってる箱型の燭台しょくだいだ。


 飴色の廊下を、燭台を手にした蘭さんが、すすすっと、すべるように歩きだす。

 あわてて、僕もあとを追う。


「待ってよ。蘭さん。姫さまって、誰?」

「姫さまは姫さまです。ついてくればわかりますよ」


 いや、もう、わかるような気がするんだけど……。

 どうせ、あの蛇女でしょ?


「そんなことより、蘭さん。そのカッコ、何? ムリヤリさせられてるの? 早く、ここから逃げようよ」


「なぜ、逃げるのです?」

「逃げださないと、本体の蘭さんの目がさめないから!!」


 蘭さんは手の甲で口元を隠して、あはは、と笑った。

「おもしろいお客人ですね」


 ダメだ。完全にあやつられてる。

 神さま、恐るべし!


 こうなると、どうしたらいいのか。

 うんうん、うなりながら考えるものの、いいアイディアが浮かばない。

 とにかく、遅れないようについていく。


 それにしても、やたら長くて複雑な廊下だ。

 どこまで続いてるんだ?

 すでに二、三百メートルは歩いた気がするけど。

 正直、もう、もとの縁側がどこだったのか、わからない。


「さ、どうぞ。こちらです」


 ひときわ豪華な金のふすま。金泥を背景に、みごとな桜の絵が描かれている。

 以前、ここにあったという桜の花だろうか?


 蘭さんは、そのふすまの前で、お行儀よく正座した。

「姫さま。お客人をつれてまいりました」


 うむ、苦しゅうない——とでも言われたんだろうか?

 僕には聞こえなかったが、蘭さんはうなずいて、桜絵のふすまをあけた。

 すうっと、ひらかれた内部には、二条城の部屋みたいな、きらびやかな和室が。


 その部屋ぜんたいが、なんか、やたらとまぶしく金色に輝いて、よく見えない。


 姫さまってどこだ?

 僕は目をこらすものの、人らしいものは、やっぱり見えないんですけど?


「えーと……姫さま?」


 僕に見えないだけなのかな?

 相手が神さまだからか?


 戸惑ってると、蘭さんが急に、よよよと泣きくずれた。昔の読み物の表現で、“よよと泣く”ってあるよね。あんな感じ。つまり、芝居がかって見えた。


「姫さまはさらわれてしまったのです」

「そうなの?」


「お願いです。姫さまをつれもどしてくださいませ。姫さまは『もどりたい。もどりたい』と、毎晩、泣いておられます」

「そうなんだ」


「つれもどしてくださいますか?」

「えっ? 僕が?」


「つれもどしてくださるなら、お返しいたしますよ」

「何を?」


 蘭さんは、みだらなほど麗しく、ニンマリと微笑む。

 うーん。蘭さん。いくら僕でも、それ以上、迫らないで。堕ちるよ。


「お願いしましたよ?」と、蘭さんは念を押す。

「う、うん」


 僕はうろたえてたんで、うっかり「うん」と言ってしまった。


 すると、そのとき、どっかから、幼女の声が聞こえた。



 ——おたまの夢に白い蛇が現れて告げました。『枯れた桜の根元をほりなさい』と。



 ふわっと金色の光が僕を包んだ。

 光のなかに何か見える。

 枯れ木の根元をほる少女。

 ほり続けると、そこには……。


 しかし、肝心なところで、ふうっと光は薄れて消えた。

 幼女の気配が消えた。


 同時に、ぐらりと蘭さんが倒れる。


「蘭さん! しっかり!」


 かけよると、蘭さんは目をあけた。

「……あれっ? かーくん?」


 ああっ! 憑き物、とれたー!


「よかった。蘭さん。意識がもどったね。じゃあ、逃げよう」

「逃げる? ここ、どこですか? わッ! 何このカッコ」

「いいから行くよぉー」


 僕は蘭さんの手をひいて、走りだした。

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