第1話 その四 2

 *



「昨日、お会いしましたね」

 僕の顔を見るなり、ハルカさんは言った。


 恥ずかしそうに、うっすら頬を染める彼女は、とても昨日のバケモノまがいとは思えない。


「……って言うと、やっぱり、昨日の夢は、なんかそういう特殊なものですか?」


 ハルカさんの病室には、彼女のお母さんらしき人がすわっていた。ハルカさんはその人に向かって小声で言った。


「お母さん、リンゴ、買ってきて」


 つまり、席を外してくれって意味だ。

 看病疲れか、ちょっと、やつれた四十代なかばの女の人が、そっと病室を出ていった。


 僕らが口をひらくよりさきに、ハルカさんは語りだす。


「わたし、子どものころから、よく不思議な夢を見ました。空を飛ぶ夢って、見たことありますか?」


 僕はうなずく。

 猛は無反応。

 おっちゃんは首をかしげた。


 ハルカさんは僕を見て、にっこりと笑う。

 はうっ。八重歯、カワイイっ。

 ど、どうしよう。好きになってもいいのかな?


「そんな気がしました。あなたは、わたしと似たところがある。カラフルで鮮明な夢を見るでしょう? 予知夢なんかも見ませんか?」


「うん。たまに見るよ。ただ、僕のは、まったく役に立たないんだよねぇ。百パーセント当たるんだけど、夢で見たことが三日後に起こることもあれば、何年も経ってからってこともあるし。日常会話とか、授業の内容とか、ほんとに、しょうもないことしか見ないんだ」


 じつはこれ、ほんと。

 特技と言えるのかもしれないけど、役に立たないんじゃ意味がない。もっと猛みたいに有意義な特技ならよかったのに。


 あと、おみくじは、かならず大吉が引ける。さわった瞬間に、ピピッと来たら、大吉!


 ……ろくな特技ないなぁ。僕。


「夢を見ながら、これは夢だってわかってますよね?」と、ハルカさん。


「うん。まあ、だいたいは。今まで、夢だと理解せずに見たのは一、二回くらいしかないと思う」

「やっぱり……」


 なにが、やっぱりなんだ?


 すると、ハルカさんは僕の顔を見ながら告げた。

「あなたは夢のお告げを見ることができる人です。だから、昨日、あなたと夢で会ったんだと思います」

「夢のお告げ?」

「そうです。ひいおばあちゃんが、そういう人だったんだと聞きました」

「誰から?」

「おばあちゃんからです。お母さんにはこの力がなかったので、何も教えなかったと聞いてます」


 夢のお告げねぇ?

 でも、僕が見たのは、亡霊のハルカさんだったんだけど……。


 すると、ハルカさんは窓の外を見ながら話しだした。


「わたしが空を飛ぶ夢を最初に見たのは、小学校にあがる少し前くらいだったと思います。それ以前は見ていても、意識してなかったんでしょう。意識するようになったのが、そのころからで。

 自宅から出て、家のまわりを飛ぶんですけどね。初めは五十センチほど浮くのが、精いっぱいでした。体が何かにつながれてるみたいに重いんですよね。

 それから、わたしは飛ぶ練習をしました。毎日、夢のなかで。

 一メートルくらい。近所の家の一階の屋根まで。二階の屋根を飛びこえることができたのが小学を卒業するくらいでした。

 高く、高く、もっと高く。

 そして、高く飛べるようになるにつれ、距離も遠くまで行けるようになりました。

 高校にあがるころには、鳥のように空を飛ぶことができました。どこまでも遠く、野山をこえて。

 あるとき、わたしは山のなかで、お屋敷を見かけたんです。なんだか、とても、なつかしい気持ちになりました。どうしても、そのお屋敷に行かなければいけない気がしたんです」


 ドキン! 山のなかのお屋敷だって?

 それって、もしかして……。


「古くて立派なお屋敷でした。母屋があって、離れがあって、二つの建物をつなぐ回廊がありました。ああ、もどってきたんだなぁと、わたしは思いました。なぜかはわかりません。そんな気がしたんです。

 それからは毎日、そのお屋敷に行きました。お屋敷のなかを、一晩中、歩きまわっていました。

 とくに、わたしが好きなのは、回廊です。お百度詣りみたいに、回廊をぐるぐる、ぐるぐる、何度もまわるんです。

 そうするとね。障子の向こうで、緊張している人の気配がするんです。家のなかの人が、わたしの存在に気づいて、神経をはりつめているんですね。

 わたしはそれが嬉しくて。なぜかわからないけど、この家の人たちの苦しみは、わたしの喜びなんです。

 この家の人たちは、わたしを見ると、すごく怖がるんですね。というより、この家の人以外の人たちは、夢のなかのわたしの姿は見えないようでした。でも、この家の人には見えてるみたいなので、それも嬉しかったですね。

 おじいさんや、中年の男の人や、小さい男の子がいました。みんな、わたしを見ると、オバケでも見たような顔して逃げまわるんです。それが楽しくて、追いまわしましたよ。

 わたしなりにルールがあって、わたしがその人たちを捕まえてもいいのは、回廊に出ているあいだだけなんです。部屋のなかにまでは入りません。

 最初に捕まえたのは、おじいさんでした。お年寄りだから、足が遅いんですよね。

 初めて、わたしと会ったときに、足をもつれさせて転倒して、おじいさん、腰をぬかしたんですよ。歩けなくなったみたいで、部屋のなかに這って逃げようとしたので、足をつかみました。

 一回、捕まえたら、わたしのものですからね。そのあとは部屋のなかにも入ります。いつでも、どこでも、ひっついて見ています。ずっと追っかけまわしていたんですが、おじいさんは、そのうち、いなくなってしまいました」


 おじいさんが死んだからだ——と、僕は思った。


「そのあと、中年の男の人を捕まえて……でも、わたしが一番、会うのを楽しみにしていたのは、男の子でした。小学生くらいのね。大人と違って、すばしこいので、なかなか捕まえられません。いつも、いいところで逃げられて。でも、それが楽しくて、その子と遊びたくて、毎晩、通いました」


「ハルカさん。でも、それは……」


 僕が口をはさむと、ハルカさんは、うつろな目をして、こっちを見た。


「……わたしは夢だと思っていたんです。ただの夢だと。夢のなかの人たちも、わたしが夢のなかで思いえがいた空想の産物だと思っていました」


 これは、罪になるんだろうか?

 いや、犯罪として法律で裁くことは不可能だろう。

 夢のなかで“鬼ごっこ”を楽しんだから、相手か死んでしまった——なんて言っても、警察は信じてくれないだろうし。


 でも、事実、友貴人さんのおじいさんと、お父さんは死んでしまった……。


 重い沈黙をやぶり、猛が言う。


「つまり、あなたが夢だと思っていたのは、現実に人に関与することができる特殊な能力だった。そういうことですね?」


 ハルカさんは、力なくうなずく。


「たぶん、そうなんだと思います。わたしは夢のなかで、じっさいに別の場所へ飛んでいっていたんでしょう。霊魂となって。

 だから、わたしを見ることのできる人と、できない人がいた。見える人たちは、みんな、わたしを見て恐怖にふるえた。オバケみたいなものではなく、オバケそのものだったんですね。その人たちにとっては」


「いつ、それに気づきましたか?」という猛の問いに、ハルカさんはこう答えた。


「夏ごろに、おっちゃんの実家に遊びに行ったときです。見たことのあるような景色だなって思ってたら、ほんとに、あのお屋敷があって……なかから、男の人が出てきました。

 それが“あの子”だって、ひとめでわかりましたよ。わたしが知ってるのは子どもの姿だけど。向こうも、“わたし”だってことに気づいたみたいでした。

 数分、見つめあっていたと思います。あの人が口をひらいて、何か言いかけました。でも、わたしは怖くなって逃げだしました。

 だって、ほんとに、夢だと思ってたから。わたしが現実に誰かをおどして、苦しめていたなんて、信じられなかった。信じたくなかった……」


 ふいに、ハルカさんの瞳から涙があふれだしてきた。

 彼女は声を殺して泣き続けた。

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