幕間 東堂兄弟のおかえり録 その二

幕間 東堂兄弟のおかえり録 その二



「ただいまぁ」


 今夜もバイトから帰った僕は、ガラガラと玄関をあけて、兄と蘭さんに声をかける。


 すると、ただちに居間のふすまがひらいて、二人が顔をだした。


「あっ、チワワ、帰ったか。おかえり」

「おかえり。チワワ」


「…………」


 ええと、帰る家、まちがえたか?

 だけど、どう見ても、僕を見てニコニコ笑ってるのは、わが兄の猛と蘭さんだ。


「……ただいま」


 試しに、もう一度、言ってみる。


「おかえり。チワワ」と、猛。

「おかえりなさい。チワワ」と、蘭さん。


 ノー! 僕がいないあいだに、このうちで何があったんだー!


 もちろん、僕はチワワではない。人間だ。

 だが、兄と同居人はそんな僕を見て“チワワ”と呼ぶ。


「おーい、チワワ。どうしたんだよ? 兄ちゃん、腹へったよ。早く飯作ってくれぇ」

「僕もです。今日は和食の気分。ねえ、ドーベルマン?」


 ど、ドーベルマン?


「おれはガッツリ食えるほうがいいなぁ。中華とか」

「ええっ? 今日は和食! お魚!」

「おまえは食が細すぎるよ。アメリカンコッカースパニエル」

「ええ。だってぇ……」


 もうダメだ! わけがわかりませーん!


「二人とも、どうかしちゃったの? なんなの? ドーベルマンとか、アメリカンコケコッコーとか! ちゃんと日本語でしゃべってよー!」


 二人は声をそろえて笑った。大笑いだ。

 ああ、無情……。


「コケコッコーじゃありませんよ。ニワトリじゃあるまいし。アメリカンコッカースパニエル。犬ですよ、犬」


 蘭さん。そんなことも知らないんですか?——って口調だけど、アメリカンコーヒースパイシーみたいな犬種は知らなくても恥ずかしくないと思うよ?


「なるほど。チワワもドーベルマンも犬だね。なんなの? とつぜん」

「いや、蘭のやつがさ。急に『猛さんって犬にたとえると、ドーベルマンですよね』とか言いだすからさ」


 うん。ぽいね。


 アメリカンなんとかは、名前から言っても血統書つきのお高いやつなんだろう。

 まあ、蘭さんはそんな感じだ。


 ん? ということは?


 僕は叫んだ。


「僕、チワワ? チワワなの? うわーっ! 人がいっしょうけんめい働いてるスキに、勝手に何、決めちゃってくれてんの? チワワー!」


 猛と蘭さんはたがいの顔を見て、うなずきあっている。


「だって、かーくんは小型犬だよな?」

「チワワ、可愛いじゃないですか。あっ! もちろん、ロングコートチワワですよ?」


 いや、どこが“もちろん”なのか、まったく意味不明だし。


「どうせ、どうせ、僕は見ため可愛いだけの小型犬ですよーだ」

「あっ、自分で可愛いことは認めるんだ」

「かーくんは可愛いよ」


 いや、もう認めるとかじゃなくて、あきらめただけ。


「じゃあ、チワワ。晩飯、よろしくな。なるはやで!」

 猛は言うだけ言って、居間にひっこむ。


 蘭さんも、

「お魚ですよ。お魚。お願いね。チワワ」と言って去っていく。


「わかりましたよぉ。アメリカン……アメ……」


 どうも、おぼえきれない。

 すると、居間から、猛の声がした。


「おーい、アメコー。ドラマ始まるぞ。おまえが観たがってたやつだろ?」


 ナイス、猛。

 いいね。アメコー。

 のちに調べたところ、通常は、アメコカって略すらしいんだけど、そんなこと、僕らは知るよしもない。


「わかったよ。じゃあ、着替えたら、すぐ作るから。アメコーはお魚ね。冷蔵庫になんかあったかなぁ?」

「おーい、アメコー。このドラマ、録っとくんだっけ?」


「お魚って、サバでもいい? アメコー」

「なあ、アメコー。レコーダーのリモコン、見つかんないぞ?」


「あっ、ねえ、アメコー。冷凍室にマグロの切り身あったよぉー。お刺身にしよっか?」

「アメコー。おれ、さきに風呂入るな」


「ねえ、アメコー」

「アメコー」


 とつぜん、蘭さんがキレた。

 バン!——と、コタツ板をたたいて立ちあがる。


「もう! アメコー、アメコー言わないでください! 僕はアメリカ野郎じゃない! こんなの、やめです。ヤメ!」


 ああ……自分から言いだしたくせに。

 まあ、しょうがない。これが、蘭さんだ。


 猛がため息をつく。

「そもそも、蘭は犬っぽくないんだよ」


「だよね。完全に猫科」

 着替えてきた僕も口を出す。


 蘭さん、みずから首をかしげて考えている。

「猫科ですか。なら、ジャガーとか?」

「もっと細いイメージかなぁ」


「チーター?」

「チーターって、意外とタレ目だよね」


「うーん、ライオン?」

「あんなに、ごっつくない!」


 猛が言った。

「耳がとがって、足が長くて、すごいジャンプ力のカッコイイ猫科の動物いたよな」


 思いだした。


「カラカルだぁー!」

「だな。カラカル」


 蘭さんは麗しく微笑む。

「じゃあ、カラカルで」


 よかった。蘭さんのご機嫌がなおった。


「うーん。犬でなくていいなら、僕もチワワやめたいな」


 せめて、家猫でもいい。愛猫と同じだ。ミャーコなら、チワワよりは攻撃力ありそう。


 そんな心積もりで僕は言ったのだが、その夢はあえなく打ちくだかれた。


「じゃあ、かーくん、ハムスターな」


 猛のひとことで、僕はあっさり、ハムハムに……。

 チワワより小さいんですけど。


「なんだよー。猛なんか、犬じゃないなら——」


 言いかけて、僕はハッとした。

 ダメだ。猛は犬じゃないなら、虎だ。猛虎だ。

 さらに強くてカッコよくなってしまう。


 負けた。

 ハムハムは猛虎には勝てない。


「ハムハム。お腹すいた」

「ハムハム。カラカルがそう言ってるぞ」


 くそぉー。チワワに甘んじとけばよかった。

 しかし、今さら抗議してもムダだろう。


 僕は諦観を持って、すべてを受け入れた。


 キッチンに入ろうとして、ふと思う。

「そう言えば、三村くんだったら、なんだろうねぇ。動物にたとえたら」


 猛と蘭さんは一瞬、考えこむ。

 そして、二人の声はそろった。


「シャケ」

「シャケだな」


 ざっぱーん!


 見える。

 大海から帰ってきた秋鮭が、清流を生き生きと、とびはねるさまが。


「わかったぁー。晩飯はシャケね」




 東堂兄弟のおかえり録~その二~ 了

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