第1話 蛇女のキス

その一

第1話 その一 1



 電話がかかってきたとき、すでに、その人の声は元気がなかった。心情的なものというより、ときどき、かすれるし、空咳をついたりして、健康状態が思わしくないのかなと、僕は思った。


「探してもらいたい人がいるんです。貴社の探偵さんは人探しが得意だというウワサを聞きました。くわしくは、こちらへ来てからお話しします」


 若い男は陣内友貴人じんないゆきとと名乗った。

 それから、住所を告げた。

 奈良の山のなかだ。


「奈良県ですか。ちょっと距離もありますし、ご依頼を受けるかどうかを別にしても、そちらへ向かうだけで出張費用がかかりますが、それでもよろしいですか?」


「かまいません。できるだけ早く来てください。お願いします」と、切羽つまった声で言う。


 なんか、変な感じだなぁ。

 いつもの依頼人と、ちょっと違う。


 それでも、めずらしく入った依頼だ。

 いつまでも、蘭さんのヒモではいられない!

 とりあえず、行くだけ行ってみることにした。


「猛! 依頼だよ。奈良の山奥に行こう!」


 蘭さんは顔をしかめた。

「ちょっと待って。奈良の山奥って……日帰りはできるんでしょうね?」


「ごめん。ムリっぽいかも。今から行って、向こうについたら夕方だよね? 話を聞いて、それから帰るとなると、真夜中になるだろうし」


「僕、締め切りだから、行けない……」

 蘭さんの悲痛な声。


 あっさり、猛は告げる。

「蘭、留守番な」


 蘭さんは美しい瞳に涙を浮かべた。

 はううっ。ダイアモンドみたいにキラキラして、やたら胸に刺さるんですけど。流星拳の奥義ですか?


 ダイアモンドダストォー!


「ご、ごめんね。蘭さん」

「僕、一人? ひとりぼっちで留守番なの?」


 蘭さんは、とてもクールで知的。かつ、妖艶な見目とは裏腹に、じつは意外と攻撃的なんだが、心をゆるした相手にだけは、強烈な甘えん坊になる。


 このごろ、三人、離れたことなかったからなぁ。

 一人はさびしかったか。


「そ、そうだよね。炊事とかも自分でしなきゃいけないし。そもそも、蘭さん一人じゃ外出できない!」


 蘭さんはあまりの美貌のため、出会う人をことごとくストーカーにしてきた黒歴史を持っている。


 今だって、僕ら(おもに猛)がいるからこそ、正常で平穏な日常生活が送れてるんだ。

 一人になんてさせたら、危険じゃないか。


「出張費用、二人ぶん、ふんだくろうと思ったけど、しょうがないね。猛一人で行ってきなよ」


 猛はなぜか、しぶった。

「出張費用は欲しいだろ? 奈良の山んなかにプチ旅行、行くだけで、金くれるんだぞ?」


「そうだねえ。一人頭、一日一万として、今日と明日で、しめて二万。二人なら四万に……」


 おおっ。ごうせいな焼肉、食える!


 猛はすばやく電話をかけた。


 めずらしい……猛がケータイ使ったよ。

 猛はある事情があって、きょくどのクラッシャーなんで、ふだんはめったに電化製品にはさわらない。


 しばらく話したあと、キランと白い歯を見せて笑う。


「蘭。鮭児けいじ、来てくれるってよ。一人じゃないからな」


 三村鮭児みむらけいじ

 前に事件で知りあった、僕らの大阪の友達だ。

 ちなみに、猛、蘭さん、三村くんは同い年。僕より四さい年上だ。


 蘭さんはしょうがなさそうに、ふうっと麗しのため息をついた。蘭さんのため息は、薔薇ばらの香りがする……ような気がする。


「わかりましたよ。あさっての締め切りは絶対に落とせないし……まあ、下僕(三村くん)が来てくれるならいいか——ねえ、ミャーコ」


 コタツのなかから首だけ出した白猫が、ミャーンと鳴いた。紹介が遅れたが、うちの愛猫だ。


 三村くん。蘭さんに裏で“下僕”と呼ばれてると知ったら、ショックだろうなぁ……。


 三十分後。

 僕と猛は着替えをつめたカバンを手に、地下鉄烏丸線経由で近鉄に乗りこんだ。

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