事務所スタッフの場合(2)
「君はこの仕事、初めてなの?」
「はい。ウグイスは初めてです」
まあ、そうだろう。無所属で新人、知名度ゼロ、個人演説会に応援弁士も呼べないようなド素人の新人候補だ、プロのウグイスに頼むような金はない。大方、小劇場で演劇やってるような自称『役者の卵』みたいなやつをバイトで雇ったんだろう。
俺だってバイトで選挙事務所をいくつか手伝ったことがある程度だ。その時のノウハウを買われてここにいるが、実際年季の入った現職の連中の事務所には手も足も出ない。
「選挙カーを手伝ったことは?」
「以前、姉がウグイスのバイトをしていた時に、投票日の二日前に事務所の人達が一斉にインフルエンザに罹ってしまったことがあるんです。運よく車で回っていた運転手さんとウグイスの姉だけが罹患しなかったので、選挙戦最終日は運転手さんと姉と、そこに僕が手伝いで駆り出されました。ほとんど使いっ走りでしたが、その時に選挙カーの中の仕事は少しだけ覚えました」
えっ? 伝説の『現職四期目、
俺がその当時の小波美奈子事務所のスタッフだったって事、彼は知らないんだろうな。俺もインフル組だったし、彼と入れ替わりで顔を合せなかったから仕方ないけど、ウグイスさんの弟君を連れて来たって、俺は後から聞いたんだよな。
でもねぇ、ほんの一日使いっ走りやった程度でウグイスができると思ってんのかねぇ。これだから坊やは甘いんだよな、選挙ってのはそんな簡単なもんじゃないんだけど。
まあいいや、男のウグイスってだけでも十分目立つ、せいぜい頑張ってもらう事にしよう。
そこに出陣式を始めるという合図が来て、ウグイス君と野瀬さんは車の方へ移動した。俺も自分の仕事がある。まずはやることをやらないと。
俺は自分に気合を入れ直して、会場に向かった。
***
さあ、いよいよ出陣式も終わり、本人が選挙カーに乗って出発する。
野瀬さんは運転席で、例のウグイス君は野瀬さんのすぐ後ろの席でマイクを持ってスタンバイしている。
本来ここで出発の挨拶があるんだろうが、ウグイス君も初めてだし、丹下さんもどうだろうな、わかってないんじゃないかな。
ま、新人候補だから許してくれるだろう。丹下さんも少しずつ覚えて行くしかない。
「それじゃ、行って来ます!」
丹下さんが事務所の方に大きな声で言うと、近所に集まった支援者(と言っても非常に少ないが)から声援が飛ぶ。
丹下さんが助手席に乗り込んだ。シートベルトをする間もなく、いきなりそれは始まった。
「本日はお忙しい中、丹下源太出陣式にこんなにも多くの皆様に足をお運びいただきまして誠にありがとうございます。今回が丹下源太にとりましては初陣ではございますが、皆様方のご期待に添えますよう、精一杯頑張ります。新人ではございますが、新人だからこその新しい感覚を以て『お年寄りと子供に優しい街づくり』を全力で推し進めて参る所存でございます。何分、初めての選挙でございます、大変お世話になりますが、このフレッシュな力を皆様のお力でお育てくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。それでは皆様の心のこもったご声援を胸に、只今より、丹下源太、元気いっぱい遊説活動に出発いたします!」
は?
は?
は?
いや、これ……プロだろ、フツーに。
なんなんだ、この滑らかなアナウンスは。
なんなんだ、この淀みなく流れる文言の数々は。
なんなんだ、もうかれこれこの仕事一筋十数年みたいなキレの良さは。
お前、初めてって言ったじゃん、それ、ぜってー嘘だろ。
事務所の連中と数少ない支援者が、去っていく選挙カーに向かって手を振りつつ声援を送るのを見ながら、俺だけが取り残されたように呆然と立ち尽くしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます