候補者の場合
候補者の場合(1)
へぇ、彼がウグイスか。話には聞いていたけど、男のウグイスってのも新鮮でいいもんだな。フレッシュを売りにする、っていうかフレッシュしか売りが無い俺にはぴったりかもしれない。
しかし、あまりにも忙しくて、彼とろくに喋らないどころか挨拶すらしないまま遊説が始まってしまった。
手慣れているというかなんというか、俺が車に乗り込むと同時にマイクスタートだったもんなぁ。一秒たりとも無駄にしないその行動にはプロの心意気を見たけど。
これから投票日まで一緒に戦って貰うのに、挨拶もなしで仕事を始めちゃうのは、なんだか気分が良くないよなぁ。でもなぁ、タイミング逃しちゃったしなぁ……。
「地元
まだ学生みたいだけど、バイトの割に結構ちゃんとしたウグイスっぽいな、これは当たりかな。女性よりもインパクトがありそうだし、これはこれでいい感じだ。
と、そこで運転手の野瀬さんが「右手に学校」とボソリと言った。それと同時に後ろのウグイス君がピタリと黙った。マイクの不調だろうか。
「どうしたの?」
後ろの席を半分振り返りながら聞くと、野瀬さんが「ほら、そこ学校なんだよ」と笑う。
ああそうか、すっかり忘れてた。
学校などの教育機関と、病院などの療養施設の近くでは、選挙カーはマイクを使ってはいけないことになっていたんだ。
ってことは、俺はただ手を振っているだけじゃなくて、ナビもしないといけないんだな。
「丹下さん」
突然、ウグイス君がマイクを切った状態で前の席の方に身を乗り出してきた。
「こんなところで失礼ですが、本日より僕がウグイスを担当させていただくことになっています。先ほどお忙しそうでご挨拶できなかったものですから。これから最後までよろしくお願いします」
「あ、こちらこそよろし――」
まで言ったところで学校の一角を通り過ぎ、ウグイス君が即マイクをオンにした。
「地元大豆川の皆様、只今出陣式を終えまして、丹下源太候補本人がいち早く立候補のご挨拶に上がっております。無所属新人にとって厳しい選挙戦でございます、皆様の励ましを心の支えに頑張ってまいります。丹下源太、丹下源太に、皆様のご支援をよろしくお願いいたします」
と言ったところで再び野瀬さんが「左手に病院」と割り込む。ウグイス君もすぐにマイクを切る。
この二人、何年も一緒に組んでいるかのような見事なチームワークだ。
「丹下さん」
おっと、またウグイス君だ。
「ん? なに?」
「手を振る時は指を揃えて、手を閉じた方がいいと思います」
「え? 開いた方が目立つよね。白手袋だし」
「手が開いていると、そこから票が漏れてしまいます。キチンと指を揃えて、票が漏れないようにしませんか?」
……まで言ったところで問答無用でマイクオン。病院の一角を通過したのだ。
そうか。指を開くと票が漏れる。なかなか粋な事を言ってくれるじゃないか、青年!
「本日より選挙戦がスタートしました。新人候補の丹下源太が立候補のご挨拶に――お手を振ってのご声援、ありがとうございます!」
え? どこ? どこどこ?
「右側、公園ブランコの親子」
野瀬さんに言われて慌てて右に手を振る……頃には公園は遥か後方に過ぎてしまっている。
「お高いところからお手を振ってのご声援ありがとうございます。見えております、ありがとうございます」
高いところだと? あ、マンションの上の方で手を振ってる! あんなところまで見ているのか、ウグイスは!
「選挙期間中、何かとお騒がせ致しますが、ご理解とご支援を――ありがとうございます、可愛らしいご声援、誠にありがとうございます、丹下源太、二児の父です、子供が伸び伸びと成長できる街づくりを――」
可愛らしいってどこだ? だれ? どこよ!
あ、いた! 保育所のお散歩集団がみんなで手を振っている!
俺は思わず窓から声を張り上げた。
「ありがとうございますっ! 丹下源太をよろしくお願いしますっ!」
「ふん……丹下ちゃん、やっと候補者らしくなってきたな」
野瀬さんに声を掛けられて気付いた。俺、なんか今、すげー嬉しくて、素で手を振ってた。形だけじゃない、本気の感謝だった。
振り返ると、ウグイス君が少し嬉しそうに俺を見た。
多分、俺は彼の百万倍くらい嬉しそうな顔してたと思う。
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