事務所スタッフの場合

事務所スタッフの場合(1)

 事務所入り口の引き戸が開いた。そこにいた全員がそちらを振り返った。

 背の高い、ひょろりとした青年――いや、少年か――がそこにいた。


「おはようございます。本日よりウグイスとしてお世話になります。よろしくお願いします」

 

 パリッとアイロンの当ててある白いシャツに地味なネイビーのネクタイ、よく磨かれた革靴。清潔感のある髪型、きりりと引き締まった口元と僅かに上がった口角、力強い目線、しゃんと伸びた背筋。

 視覚点数はとりあえず満点だ。


 そして、声のトーンは高すぎず低すぎず、うるさすぎず小さすぎず、活舌も発声もパーフェクト、テンポもこの時間帯にちょうどいい『やや速め』。場の状況に合った喋りができている。

 聴覚点数も一応満点だ。


 ここから行動点でどれだけマイナスがついて行くのかは未知数だが、まぁ第一印象としては満点と言っていいだろう。


 俺が彼の元へと歩み寄ると、彼の方から会釈してきた。ので、先輩らしく笑顔を作ってやった。


「おはようございます。ウグイスさんですね。私は事務方の小熊です。広報は私がまとめてるんで、何かあったら私に知らせてください」

「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」


 ウグイス嬢(この場合は『嬢』とは言わないか)を男性にやらせることに賛成はできないが、他の候補者と同じことをしていては目立たない。まぁその程度だ、君には正直期待なんかしていないから、足手まといにさえならないでくれればそれでいいよ……心の中でそう言いつつも、とにかく彼の仕事環境を説明しなければならない。それが俺の仕事だ。


「じゃあ、まずは運転手を紹介しようか。選挙期間中、選挙カーの運転は彼がやることになってる」


 俺はウグイスを従えて、事務所の隅で煙草をふかしている中年の背に声を掛けた。


「野瀬さん、ウグイス来ました」


 野瀬さんが「お?」と振り返る。みるみる相好を崩して煙草を灰皿に押し付けた。相当嬉しいらしい。


「おお、来たかい。巷で噂のウグイス男子」

「彼が運転手の野瀬さんね」


 俺がウグイスに運転手を紹介すると、野瀬が手をパンパンと払ってから右手を出す。この人はいつもそうだ、新しい人とは握手をする。


「オレがあんたとセットで動く運転手だ。あんたをって覚えてくれりゃあいい、よろしくな」

「野瀬さんですね、ウグイスです、よろしくお願いします」


 彼は一礼すると、野瀬さんの右手を握り返した。


「へぇ、電話で聞くより生の方がいい声してるな」

「お電話くださったのは野瀬さんでしたか。その節はありがとうございました」


 そういえば野瀬さんのコネクションで紹介されたと言ってたな。でも本人たちは初対面か。


「野瀬さん、出発前に車の備品をチェックしたいので、あとで見せていただけますか?」

「おうよ。出陣式は事務所の連中でやるから、その間に二人で備品の点検しちまおう」

「承知しました。よろしくお願いします」


 二人の話がまとまったようなので、候補者を紹介しておこうと思ったが……本人がいない。出陣の朝の候補者は目が回るほど忙しい。あちこちに挨拶に回っていて、なかなか捕まらないのだ。


「丹下さんと顔合わせしておきたいんだけどね、どこにいるのかねぇ」

「もしお時間かかるようでしたら、丹下さんがお見えになるまで、ご本人のプロフィールや政策などに目を通しておきたいんですが」

「ああ、そうだよね」


 なかなか考えてるな。まぁ、自分がマイクを持つんだから当然か。

 俺は丹下さんのプロフィールと政策を書いたものをウグイスに渡した。彼は政策の方をチラリと一瞥すると、すぐに顔を上げた。


「丹下さん自身の家族構成と出身校はわかりますか?」

「家族構成と出身校?」

「はい、この公約ですと必需品です」


 この公約で? 『お年寄りと子供に優しい街づくり』で?

 なんだかわけがわからないが、本人が必要だと言ってるんだからそれくらいは教えやってもいいが、資料が揃っていないので口頭での説明になってしまう。


「奥さんと、子供さんが二人。上は小学生、下は幼稚園、あとは実母が一緒に住んでいて子供の面倒を見てるから、奥さんも仕事に出てるよ」

「五人家族ですね?」

「そうだけど」

「出身校は地元ですか?」


 なんでそんなことを聞くんだ?


「小中は地元だって聞いてるよ。小豆山あずきやま小学校と黒豆沢くろまめざわ中学校。高校は電車通学してたらしいからね、地元じゃないね」

「そうですか、ありがとうございます」


 彼はプロフィールの紙に家族構成と出身校をメモした。


「確認しますが、候補者の名前は丹下源太たんげげんたさん、無所属の新人、三十四歳で間違いないですね」

「うん、それでいいよ」


 そこで俺は、それまでずっと思っていたことを口にした。


「君はこの仕事、初めてなの?」

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