第三話 封印の地

 蝋燭の炎に照らされ、鈍い光沢を放つ石造りの廊下をマントを引きずるように歩いている男がいた。

 額には大きなこぶがあり、一目でチャザイと分かる。

 向かう先の部屋から一人出て来る者が見え、声を掛けた。


「キリフか。何をしておる」

「はい。こちらのお部屋の蝋燭を替えておりました」


 キリフと呼ばれた者もまた、マントを纏いフードを深く被っていた。

 ここでは男女を問わず、誰しもがこの出で立ちのようだ。


「誰かに命ぜられたのか」

「リゼイラ様から申し付かりました。私の他に、ロトドス、ミレイオ、それとダリエで交替しながらお世話をするようにと」


 チャザイの問いかけに、生気が感じられない声で応える。

 俯き加減の顔を上げることもない。


「そうか。もうよいぞ」


 キリフは黙って一礼し、立ち去った。


 その後姿が見えなくなると、音を立てないようにゆっくりと扉を開けて部屋の中へと入り込む。

 中央の寝台へ近づくと、そこに横たわっているギャラナを覗き込んだ。


「美しいお顔だ」


 右目の包帯は痛々しいが、それを補って余りあるほどの美しさと気品を兼ね備えている。

 少なくともチャザイの目にはそう映っていた。

 右手を自らの額に伸ばすと、異様なものが指先に触れる。

 鏡を見ることをひどく嫌い、背が低いことを恨みがましく感じていた。

 しかし、この男が目を覚まし、すべてが終わった時に己が抱えていた鬱屈した思いも消える。

 ハザメとの約束を信じ、笑みを浮かべたままじっとギャラナの顔を見つめていた。

 やがて目を閉じたままの彼の頬へそっと触れる。

 そのまま覆いかぶさるように顔を近づけ、青白い額へ口づけをした。


「あなた様は、私にとっても大切なお方なのですよ」


 そうささやく声もギャラナの耳には届かない。



 遺跡のようなこの石造りの建物にあって、ひと際異質な空間がある。

 ギャラナが眠る部屋からさらに廊下を奥へと進めば、突き当りには閂がかけられた青銅製の扉が現れる。

 その向こう側には限られた者しか入ることが許されていない。

 今はハザメとチャザイの姿しか見えなかった。


昨日さくじつ、ビヤリムから届いた思念波によれば、もう間もなくこちらへ戻るはずでございます」

「此度は何人か」


 チャザイの方へ顔を向けることもなく、相変わらず抑揚のない声でハザメが問うた。


「二人とのことでした」


 答えを聞き、黙ったまま大きく二度うなずく。

 

 立っている二人のフードが同時に軽く揺れた。

 ここには風が吹いている。

 どこから入ってくるのか、目を上へ向けていくと礼拝堂のような高い天井に鍾乳石ストラが点在している。魔の山の洞窟を転用しているようだ。

 陽が差し込むことはないものの、燭台がなくとも辺りの様子が分かる。

 六タルザン(約九メートル)四方の方形に整えられた床の廻りを、綺麗に切り出された石壁が囲んでいる。

 一見しただけではどこからが洞窟なのかは分からない。

 壁には所々に奇妙な模様の彫刻が施されていた。


 机も椅子もないこの空間に、一つだけ置かれたもの――あるいは、その形に切り出されたものがある。

 人の背丈ほどもあるさいころルトゥのような岩塊が一方の壁に沿って鎮座していた。

 側面に刻まれた紋様は背面にも施され、天井へと続いている。

 上面には透かし彫りがある木製の衝立らしきものが左右に配され、背面の岩壁と共に三方を囲んでいた。


 二人は言葉を交わすこともなく、何かを待っている。

 やがて広間の中央に闇が集まり始めた。

 つぶれた球のように固まると、その中から立ち上がった者がいる。


「ただいま戻りました」


 高い鉤鼻の男が、フードをゆっくりと外して頭を下げた。

 異様なほど痩せて頬骨が浮き出ている。


「ご苦労だった、ビヤリム」


 言葉とは裏腹に、ハザメからは労いの思いが感じられない。

 ビヤリムもそれを気にする素振りを見せず、足元に横たわる二つの影に目をやった。


「この者たちか」


 チャザイがしゃがみ込み、顔を覗き込む。

 たくましい農夫のような男と働き盛りと言った女だった。


「女の方は薬を扱える」


 ビヤリムが二人の背中に手を添えて何か唱えると、彼らはゆっくりと眼を開けた。


「こ、ここはどこだ!」


 ハザメ達の異質な姿を見てたじろぎながらも、男が大きな声で威嚇いかくした。

 三人は何も言わず、ただ見下ろしている。


「俺に何をしやがったっ」


 声は出るものの体を思うように動かせないことを知り、戸惑いの表情が見える。


「お願いです、私を村へ帰してください」


 女は体を起こすことも出来ず、顔だけをビヤリムに向けた。

 恐怖のためか目を見開き、視線を泳がせながら涙を流している。


「ここはラガーンダイだ」

「な、ラガーンダイだって!」

「そしてお前たちがいるのは玉座の間だ」


 驚きの声をあげた男へ知らしめるように、チャザイは巨大なさいころのような岩塊を見やる。


「はっ、玉座だぁ? あんなどでかい物が椅子だっていうのか。そこに座るにはよじ登らなきゃならねぇじゃねぇか。いったいどんな王様なんだか」


 この男、見かけによらず口が達者だった。

 チャザイは苦笑しながら、ハザメをちらりと見た。

 その視線を受け、ハザメは黙ったままうなずく。


「お前たちは、一生をここで王に仕えて暮らすこととなる」


 精一杯背伸びをして、仰々しく二人へ宣告した。


「蠍王ディレナーク様のしもべとなるのだ」


 その名を聞いて恐怖を感じぬガルフバーンの民はいない。

 誰もが幼いころから「始まりの詩」をくちずさみ、一夜にして草原を砂漠へと変えた暗黒神・蠍王ディレナークのことを知っている。彼らも例外ではなかった。

 女は、短く「ひっ」と息を吸い込むような音をさせた。恐怖から絶望へ変わったのか床へ突っ伏している。

 それでも男は気力を振り絞って虚勢を張った。


「さ、蠍、王だと。あ、暗黒神なんて伝説さ。そ、そんなことも知らねぇのか」


 男の言葉を無視し、ハザメが静かに歩き出す。

 行く先には城門のような大きな木戸が見えている。

 帯状に青銅で補強され、鋲が打ち付けてある戸の上部には鎖が繋がれ、滑車を介して垂れ下がっていた。

 ビヤリムは立てずにいる二人の背中に触れ、促しながらハザメの後へ続く。

 慣れた手つきでチャザイが鎖をつかむと、音を立てて回し始めた。

 重そうな戸がゆっくりと軋みながら上がっていく。


 やがて四タルザンはあろうかという入り口が開いた。

 玉座の間と呼ばれたこの部屋とは異なり、その向こうには薄明かりすらない漆黒の闇が広がっている。

 ハザメには見えているのか、迷わず進むとラィヤの魔道を唱えて壁の松明に灯した。

 その途端、一気に視界がよみがえる。


 そこはさほど広くもない洞窟だった。

 天井は玉座の間と同様に高く、鍾乳石ストラが見える。

 中央には掘られたような穴があり、その中に――何かがいた。

 チャザイが振り返り、二人へ言った。


「ここがお前たちの言う、封印の地だ」

 

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